燕雁代飛

藤泉都理

燕雁代飛




 そんなの詐欺だ。

 空腹の呼吸なんて、そんなの。

 この詐欺者め俺の店に二度と足を踏み入れんじゃねえ。


 声を荒げる店主に、縁の広い純白の帽子を深く被り純白のワンピースを着る女性は、上品に微笑んでは深々と頭を下げ、背筋を伸ばして立ち去って行った。

 店主は急いで店の中に戻ると塩の容器を引っ掴んで、女性めがけて塩を投げかけてやろうとしたが。


「くそっ。塩がねえ」


 怒りが冷め止まない店主は塩の容器を前掛けのポケットに入れると、ロケットパンチを喰らわせるが如く、両腕を大きく振りかぶったのであった。






 フードファイター、ほたる

 縁の広い純白の帽子を深く被り、純白のワンピースを着る細身の女性。

 空腹の呼吸なる奇妙な技を会得しては、デカ盛り制限時間内チャレンジを行う飲食店の主を泣かせて来た。

 かく言う、食堂の店主、三春みはるもそうであった。

 ただし、三春は蛍が空腹の呼吸なる奇妙な技を使って、涼しい顔で制限時間を多く残してチャレンジを成功させた事に怒っているのではない。

 蛍に投げかけた怒りの言葉はそれであったが、本当に投げかけたかった言葉は違った。

 本当は、


「くそっ。ああ。くそっ。イライラするう」


 準備中の札をかけて、客席である回る丸椅子に座った三春は貧乏ゆすりをした。

 頭から離れないのだ。

 蛍のとても悲しそうな顔が。

 制限時間内大食い日替わりチャレンジメニューである、ごぼうつくね、アスパラの肉巻き、アジフライ、そら豆の天ぷら、行者ニンニク豚肉炒め丼を食べ終わった後の、蛍の満足していない顔が、これじゃないです食べたかったのはと言わんばかりの顔が。

 美味しいですとはしゃいで言っていたが、俺にはわかる。

 あれは社交辞令だ演技だ表情こそすべてだ。


「きぃぃぃぃい。くやさい。違う。悔しい!悔しい!悔しい!チャレンジ成功された事より百万倍悔しい!」


 三春は勢いよく立ち上がると、両腕を天井高く突き上げて宣言した。


「今度来た時は絶対に!満足させてやる!くっそ見てろよ蛍!さん!」

「でも店長もう来るなって言っちゃったから来ないんじゃないすかあ?」


 学生アルバイト一か月目の芳美よしみに言われた三春は、見つけたら引っ張って来るから大丈夫だと目をかっぴらいて言った。


「いやそれマスハラっすよ」

「あ?何だ?マスカラ?」

「マスターハラスメント。店長によるハラスメント超迷惑行為っす。店に来るか来ないかは、お客さんの自由ですよお。店長」

「ぐぬぬぬぬぬぬ。じゃ。じゃあ。また絶対に来たくなるようにするもん!絶対するもん!そんでもって、絶対笑顔で帰すもん!また来たくなるようにするもん!」

「はい。頑張ってください。まあ、そんなに来られて賞金を持って帰られても困るんすけど。そこは蛍さんが常識人である事を期待して。いや、チャレンジできる回数を制限すればいいのかな。まあ、そこは今日の終わりにでも話すとして。そろそろ開店準備おねがいしゃーす」

「おう!」



















「ああ。美味しかった。とっても。美味しかった。から。食べ終わるの。嫌だった。なあ」


 時間は遡り。

 三春に詐欺者だと声を荒げて言われた蛍は、とぼとぼと歩いていた。

 制限時間内大食いチャレンジをしている店はどこも美味しかったが、三春の食堂が今のところ一番美味しかった。

 永遠と食べ続けていたいほどに。


「ああ。でももう。食べに行けない」


 もう、怒らせたくはなかった。

 美味しいご飯を作ってくれているのだ。

 美味しいご飯に怒りは不要である。

 ぽぽいのぽいだ。


「………イメチェン、したら。私だって。ばれない。かな。でも。この格好が好きだし。ああもう。透明人間になれたら。なあ」


 ぐすん。

 涙を引っ込めると、蛍は目に付いた食堂の扉を開いたのであった。


「うわあ。すっごく美味しい!」

「うふふ。ありがとうございます」


 まあ、美味しいご飯はいっぱいあるから大丈夫か!











(2024.5.24)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

燕雁代飛 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ