切札を栞にしたから

紫鳥コウ

切札を栞にしたから

 カードゲーム『グローリア』のプレイヤーは《グローリアスト》と呼ばれる。


 まだ知名度の低かったこのカードゲームを、一躍有名にした漫画がある。いま思えば、次々に発売される『グローリア』のカードを売るための漫画だった。


 主人公の《グローリアスト》はゲームで負けそうになると、新しく発売される予定のカードを使い逆転勝利をする。そして新シリーズが発売されると、玩具屋おもちゃやさんに子供たちが駆けこむ。


 子供たち――そう、『グローリア』は子供向けのカードゲームだ。だから漫画が連載されていたのも、子供向けの雑誌だった。


 しかし、この漫画のコミックスを全巻揃えて、《グローリアスト》を名乗りだした、ある「大人」がいた。


 名前は、藍染兎花あいぞめうか。フランス現代思想を独自の切り口で研究する、からは、将来を嘱望しょくぼうされた博士課程の大学院生である。


 彼女には、別の研究科に、黒川愛沙くろかわあいさという友人がいた。お互いの家をするほど、仲がよかった。その愛沙の年の離れた弟が熱中したいたのが『グローリア』だった。甘えてくる彼の対戦相手をしているうちに、ハマってしまったのだ。


 ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を、きりのいいところまで読み終えると、〈オリオンの番人の歌〉をしおりにした。このカードは、当時の兎花のこころの支えだった。


 ここで〈オリオンの番人の歌〉の能力を見ておこう。


・あなたがコントロールしているモンスターがスペルの対象になったとき、相手のコントロールするモンスターを、そのスペルの対象に変える

・〈オリオンの番人の歌〉は、必ず発動される。相手のカードの能力による妨害を受けない


 妨害を受けない――なんて素敵なテキストだろう。


 いままで、たくさんの「妨害」に苦しめられてきた。「妨害」という言葉が適切でないならば、いくつもの「障害」にぶち当たってきたと言い換えてもいい。


 この前の研究発表会では、「そんなものは研究ではない」という「演説」をくらった。

 そう、あれは「演説」だった。質問者の教員は質疑応答の時間をたっぷり使って、自分の「研究観」を延々とのべていた。


 そんなものは研究ではない――いままでにない切り口の研究だけに、風当たりは強く、他の大学院生と同じような対応を受けられなかった。


 それらの例を並べ立てることは、もう必要ないであろう。

 なぜなら兎花は、いまや、第一線の研究者として、国内外でひっぱりだこになっているのだから。しかしそれは、また後の話である。


 大学院生――特に博士課程ともなると、休んでいる時間なんてない。

 自分の信念を貫けば、画期的なパラダイムを起こす研究になるかもしれない。チャレンジャーの兎花に、息つく間などない。


 しかし、異端ともいえる研究をしている兎花の味方となってくれるひとは、ほとんどいない。指導教員さえ、見捨てがちになっている。


 さて、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著である『アンチ・オイディプス』の真ん中あたりに、栞として挟まれているのは、相手からの攻撃を、必ずね返すカード〈オリオンの番人の歌〉だ。しかも、妨害を受けない。


 このカードは、いくつものバトルに勝利するほどの強さはない。コレクションしたくなるような、稀少なものでもない。


 だけど兎花は、このカードの「能力」に、自分の境遇を重ね合わせている。

 本を開くと、このカードが出迎えてくれる。


 いつか、〈オリオンの番人の歌〉を組みこんだデッキを作ろう。そのために、いまは研究に集中しよう。


 その想いは「当然」成就した。兎花を批判していた人々は、いま、どこにいるのか分からない。掌を返してきた人たちもいた。だけど、一顧いっこだにすることはなかった。


 兎花もいまや、大学で教鞭を執る教授になった。そして、《グローリアスト》でもある。


 今年から、ひとりの大学院生を指導することになった。なんでも、兎花の研究にかれたのだという。研究内容も、自分と同じような「尖った」ものだ。


 みっちりと研究を指導してあげたい。それに、ありったけの応援も送りたい。


 大学院は不要だと断じる教員の多い、この有名とはいえない大学にいる自分のもとへ来ることは、相当の覚悟がいることだっただろう。

 これから彼女は、むかしの自分のように、たくさんの「妨害」を受けることになるかもしれない。


 しかしいまは、兎花こそが〈オリオンの番人の歌〉だ。彼女にふりかかる冷評や冷遇を、撥ねのけてあげなくてはならない。


 激務のおかげで雑然とした机の上に積まれた、ソール・クリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドックス』と、ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』のあいだに、歴戦の果てにボロボロになりかけている〈オリオンの番人の歌〉が挟まれている。


 今日はとくに、忙しいらしい。



 〈了〉

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