2・逃亡ペンギン
ペン太くんはどうやら誘拐されたらしい。犯人は動物愛護団体ラブ・アニマルズ。
だけど賢い彼は敵の隙をついて逃げ出して、安全そうなところに隠れた。それが、施錠していなかった私の車。
「ショーを終えて、部屋に帰ろうとしたところで捕まったんだ。袋に入れられてさ。『逃がしてあげる』って言われたけど、不法侵入するようなヤツらなんて信用できるかっての」
ペン太くんはそう言うと、私が買ってきたばかりのペットボトルの水を器用に飲んだ。
彼を見つけてすぐ、車を近くのコンビニに止めた。てっきり家出でもしたのかと思ってかなり焦ったのだが、違ったらしい。
「いい判断だよ。とにかく水族館に帰ろう。警察に届け出るかは、館長さんと相談してからだね」
後部座席にちょこんとすわる彼にシートベルトを勧め、私は運転席にすわりなおした。助手席に置いたスマホを一瞥してから、エンジンをかける。
「お姉さん」とペン太くん。「おれ、戻らない」
「――はい!?」
慌てて振り返るとペン太くんのつぶらな瞳と目があった。
「前から、一度故郷に帰りたいと思っていたんだ。でも館長はダメって言う。だからお姉さんが南極に連れて行ってくれよ。大丈夫、堪能したらちゃんと水族館に戻るからさ」
ペン太くんはずっとやや乱暴な言葉使いをしている。
「あのさ。ショーのときと雰囲気が違くない?」
「かもな」とペン太くん。「リョウスケの喋り方が移っちゃって。一年も一緒にいれば仕方なくない? でも館長は『ペン太くん』のイメージが壊れるって怒ってさ。リョウスケがクビにされそうだから、ショーのときだけはがんばっていい子にしてるんだよ。あ、『リョウスケ』はおれの担当飼育員。ショーで司会してるひと。ずっと一緒にやってきた、大事な相棒だ」
なるほど、とうなずく。
「今がチャンスなんだ。防犯カメラにラブ・アニマルズが映っているはずだから、おれは彼らに誘拐されたと思われてる。追われるのは、あいつら。おれは自由!」
ペン太くんが。バッとフリッパーを広げる。
「『大事な相棒』を置いて行っちゃうの?」
そう尋ねたら、フリッパーがしおしおと下がった。
「一緒に行きたいけど、リョウスケが怒られる。それはイヤだ」
突然、バンッと音がして、後部座席の窓に張り付いたひとがいた。作業着を着た、若い男だ。滂沱と涙を流している。
「ペン太ぁぁ! お前はいつも俺を心配してばかりで!!」
「リョウスケ!」
『水族館のお兄さん』ことリョウスケさんだ。不審者にしか見えないから、通報される前にと急いでペン太のとなりに乗ってもらう。そしてペン太くんが誘拐された経緯から、彼がこの機会に南極へ行こうと考えているところまでを説明した。
「お前、本物の氷床でトボガンすべりをしたいって言ってたもんな」とリョウスケさん。
「そうなんだ。リョウスケが怒られるから、こっそり行くつもりだったんだけど」とペン太くん。「どうして、ここに来れたんだ?」
「そりゃお前が攫われたんだから、探すに決まっているだろ?」リョウスケさんは頭をかく。「ほら、SNSだよ。ペンギンの目撃情報がないか調べて、ここに辿り着いたってわけ」
「まじか!」ペン太くんがぐいんと首を伸ばす。「お姉さん、今すぐ出発だ! 見つかる前に」
「だな! とりあえず、移動をお願いします!」
リョウスケさんまでそんなことを言い出したので、エンジンをかけた。行き先も決まっていないのに、道路へ走り出す。後部座席では相棒たちが、夢の実現について熱く語り合っている。
まさかとは思うけど、本当に南極に行くだなんて言い出さないよね?
水族館に帰るよね?
バックミラーでちらりと様子を見る。と、ひととペンギンは拳とフリッパーをこつんと合わせていた。
「すみません」とリョウスケさんが運転席の間から、スマホを差し出した。画面にマップが出ている。「ここ、行ってもらえますか。俺のウチです。で、今日のことは全部忘れてくれると助かります」
「……嘘でしょ?」
「いや。本気です」
バックミラーに映るリョウスケさんは真剣な表情だ。
「ペン太の夢を叶えてやりたいんです。この一年、こいつは本当によくがんばった。世間じゃ天才ペンギンなんて言われているけど、それは違う。ペン太の努力の賜物だ。なのに館長は金儲けのことしか考えていない」
「ペン太くんは水族館の所有物ですよ。リョウスケさんは窃盗罪になります」
「捕まる前に、飛行機に乗っちゃいますよ」
そう言ってリョウスケさんは、ペットの機内持ち込み可の航空会社の名前をあげた。翻訳機を取ってしまえば、普通のひとにはペンギンの見分けなんてつかない。だから、大丈夫だという。ただ、これは時間との勝負だ。追手に追いつかれる前に、出国しなければならない。
「今すぐ、旅立つつもりなんですか」
「もちろん。実は、ペン太を南極へ連れて行くシミュレーションは何度もしていて」
ペン太くんが、「え!」と驚きの声をあげる。
「だってお前、行きたがっていたからな。このためにパスポートもとってある」とリョウスケさん。
「なんとかなると思うんです。お願いします」
バックミラーの中で、リョウスケさんが頭を下げた。
いくら相棒だからといって、ペン太くんは人間じゃない。彼らはショーのための関係にしか過ぎず、そんな存在のために危険を冒すなんて、バカげている。
それがわからないほど、リョウスケさんは愚かではないはずなのに……。
信号が赤になり、車を止める。
「スマホ、貸してください」
受け取ると、それをホルダーに固定した。
「ツムギです。私の名前。よろしく」
「よろしく……?」
不思議そうに、こてんと首をかしげるペン太くん。
「行きましょう、南極。私も一緒に」
バカな決断だと思う。これで私も窃盗罪。職も失うだろう。信頼も、実績もだ。私はきっと界隈から追放される。
でも、私も見たくなってしまったのだ。ペン太くんが『故郷』に帰り、喜ぶ様子を。
ペンギンだって夢を見るのだから、私だって見てもいいはずだ。それがどんなに愚かしいものだとしても。
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