3・捕まるペンギン

「まずトボガンすべりでしょ。それからお父さんとお母さんのためにお祈り。海に飛び込んで、いっぱい泳いで、自分で魚を獲る。このへんは絶対にやりたい」

 後部座席でそう話すペン太くんの声は弾んでいる。


「それから、友達もほしい。可愛い女の子とも知り合いたい」

「俺より先に彼女を作るんじゃねえよ」とリョウスケさんがツッコみ、笑い声が上がる。

 楽しそうだ。


「ツムギさんは?」ペン太くんが私に声をかけてきた。「カレシはいるの?」

「いたら、今運転はしてないよ」

「そっか!」

「ほんと、巻き込んじゃってすいません」

 リョウスケさんが何度目になるかわからない謝罪を口にする。

「次に謝ったら、水族館に連絡を入れますよ」

「やめろ――!!」

 ペン太くんが、フリッパーをパタパタとする。でも怒っているわけじゃないと思う。声が弾んでいるから。

「へへっ、楽しいや」とペン太くんが言う。「父さんと母さんが眠る故郷に帰れるのかと思うと、ワクワクする。オレ、いい人の車に隠れたな」


 バックミラー越しにリョウスケさんと目が合う。彼は小さく会釈した。


 楽しそうなのはいいことだけど、南極へ行くのは簡単じゃない。そもそもペン太くんと一緒に乗れる飛行機が出る空港は県内にないので、他県まで行く必要がある。そして該当するものに乗れるのは、明後日だ。

 私の運転で飛行場に向けて移動して、夜にはホテルに泊まった。


 私は車中泊のほうがいいと思った。

 名前を書かなければならず、防犯カメラがあるホテルはイヤだった。たとえペン太くんをスーツケースに隠してチェックインするのだとしても。


 でもリョウスケさんは、ペン太くんを広い場所で休ませてあげたいと、譲らなかった。ペンギンである彼が長時間狭い空間の中で動けずに過ごすことは、とてつもない苦痛なのだとか。ガマンはできるだろう、でも精神的苦痛は計り知れない、というのだ。


『いずれは飛行機に乗り、その苦行を行うほかなくなるのだから、今だけは休息させてあげたい』

 そう熱く主張するリョウスケさんに、私は負けた。

 この半日で、ふたりの絆がどれほど深いものかは、よくわかっていた。



 一夜明けて。

 チェックアウトをして駐車場へ向かう。ペン太くんはスーツケースの中に隠れている。それを転がしているリョウスケさんは、ペン太くんに不快な思いをさせないためだろう、小さな段差でもスーツケースを持ち上げ、丁寧におろす。しかも『あ、また段差かよ』と独り言をつぶやいて、相棒に状況を知らせる丁寧さだ。いい人だ。


 まだ早い時間だから駐車場には誰もいない。監視カメラもなさそうだし車外でペン太くんを出しても大丈夫かなと考えながら、リモコンを車に向ける。

 と、突然物陰から何人もの人が飛び出してきた。あっという間に囲まれ、そしてリョウスケさんはスーツケースを奪われてしまった。


「返せ!」と叫ぶリョウスケさん。

「盗人猛々しい」吐き捨てるように言ったのは、水族館の館長だった。そのとなりに立つのは私の上司である博士。それから研究室や水族館のスタッフたち。全部で十人近くいる。


「なんでここが……」

 ペン太くんにGPSはついていないはずだ。少しでも疑われるものはつけない方針だったのだから。

「バカだね、君は」と博士が嘲った。「ペン太は貴重品だ。翻訳機にGPSも盗聴器もついている」


 暴れるリョウスケさんを水族館スタッフたちが羽交い絞めにし、研究室スタッフがスーツケースを開ける。

 きょとんとした顔のペン太くんが、

「なにこれ。どういう状況?」と言ったそばから血相を変えた。 「リョウスケ!!」

「ペン太!!」


 研究所スタッフがペン太くんを抱え上げて、博士と向かい合わせにする。

「やめて!!」

 駆け寄ろうとしたけれど、私も羽交い絞めにされてしまった。

 ペン太くんは必死に体をよじり、リョウスケさんの名前を叫んでいる。

 博士はポケットから箸のように細長い器具を取り出すと、ペン太くんのくちばしの奥に無理やり差し込んだ。


「できそこないロボットめ」と声を荒げる館長。「リセットはきついが、逃げられたらたまらんからな」


 ペン太くんから、カチリという音がして、彼は動かなくなった。

 代わりに、『認証しました』との音声が続く。それはまぎれもなくペン太くんの声だったけれど、無機質でなんの感情も感じられなかった。

 博士が器具を左に一回転させる。

『初期化開始』

 くちばしから器具が抜かれると、ペン太くんがブンッと音を立てて震えた。


「ペン太……」リョウスケさんが、ガクリと地面にひざをつく。「……ペン太を殺しやがって! 絶対に許さないからなっ!!」

 博士がおかしそうに笑った。

「『殺す』って。君は頭がどうかしているようだ。アンドロイドはただの精密機械。不調ならばメンテナンスをする。当然のことだろう」

「……でもペン太くんは、自分を本物のペンギンだと思っていたんですよ」

 博士がプログラムした『記憶』を、自身に起きた出来事だと信じて。自分は南極生まれで、父母がいて、ナツミという女性に助けられたヒゲペンギンなのだと。


 彼の体表には本物のヒゲペンギンと同じ成分でつくられた羽毛が植えられ、見た目でも触感でもアンドロイドと思えない。疑似食事も疑似排泄もする。最高仕様のペンギンアンドロイド。それがペン太くんだ。

 強欲な館長が、ライバル水族館のイルカショーに勝てるショーをやりたくて、博士に作らせたのだ。世間はペン太が本物のペンギンだと信じている。


 でも、館長や博士にとっては、金稼ぎのためのアンドロイドに過ぎないのだ。ペン太くんがプログラムに反してリョウスケさんの口調になったり、南極へ行きたいと望むのは、故障以外のなにものでもない。


 軽微なメンテナンスで済ませられるのか、初期化でなければダメか。

 その判断の一助とするため、私は昨日、ショーの見学に行かされた。そもそもリョウスケさんとは、以前から博士との連絡係として顔見知りだ。コンビニの駐車場に彼が来たのは、私が呼んだから。


「愚かしい。そんな馬鹿なことを言っているから、君には雑用係しか任せられないんだよ。それすらも満足にできないなんて、ゴミくず以下だね」

 私を貶める博士の傍らで、ペン太くんは専用ケースに収められ、しっかりと施錠されたのだった。

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