第4話 喜楽ビルヂング
残照が照らす薄汚れた外壁の廃ビルのエントランス前に立ち、久慈慶子(くじけいこ)警部補は外壁に残る『喜楽ビルヂング』と取り付けられた立体文字を見上げた。
筆文字で作られた横一列の文字は、建物の規模に比して小さく目立ちにくく作られている。
「この場所の監視カメラは駄目ですね」
部下達が機動捜査隊隊員や所轄署員達と近隣の聞き込みと防犯カメラ映像の確保に動いている中、大槻源蔵(おおつきげんぞう)巡査部長が横に立ち口を開く。
「平塚さんに再度確認したんですが、やはり電力供給をカットしているそうで監視カメラは稼働していないそうです」
親子ほどに年齢の離れた上司に丁寧な口調で報告する。
報告を聞きながら久慈は先程二人で巡った、喜楽ビルヂング他数棟の雑居ビルを囲む回廊の様に敷かれた街路にあった数多の防犯カメラを思い起こした。
「稼働していたら貴重な手掛かりになったのに、残念ね」
視線を大槻から闇に沈み始めたエントランスホール最奥に向けて、感情を感じさせない口調で返した。
喜楽町内に期待できないのであれば、南北を東西に走る四車線の市道と県道沿いに建つビルやコンビニエンスストアの防犯カメラが、喜楽町唯一の出入口が面する南北に貫く二車線道路に入るナニモノかを捉えている可能性が考えられる。
ひょっとしたら、喜楽町の西側を月山駅前から南へと向かう国道沿いに建ち並ぶビルからの目撃者がいるかもしれない。
始まったばかりなのに弱気は禁物だ。
「他のは全部シャッターを下ろしたり、フェンスが設置されて侵入できないようにされていたのに、ここだけ開放されているのは何度考えても不思議だね」
心と話題を切り替える為に、久慈は当然の疑問を口にした。
回廊内外の雑居ビルは全て封鎖されていたのに、喜楽ビルヂングだけはシャッターが下ろされずフェンスも設置されていないのは不可解だった。
社長からの指示でと平塚は言っていた。
大津不動産の社長に確認するべきだろう。
そんな事を考えていると、ホールの左奥が光がさしたかのように明るくなった。
松木巡査部長が懐中電灯で照らし真昼の様に明るい階段を、遺体袋に収容した死体を背負って白川警部補は下っていた。
女性とはいえ身体はズッシリと重い。
やっとの事で最後階段を下り、エレベーター前に繋がる通路に踏み込んだ。
「バンのバックドアを開けておいてくれ」
一刻も早く背中から降ろしたいと、白川は松木に頼んだ。
通路からエントランスホールに出て右に曲がり俯けていた顔を上げると、ヘッドライトを点灯した車両がいるのか、光を背に立つ二つの人影が見えた。
バンに小走りで向かう松木の背を見ながら、あともう少しで降ろせると自身を奮い立たせ歩みを進める。
「係長、交代します」
バックドアを開けた松木が戻ってきて、白川から遺体袋を受け取りバンへ運んで行った。
曲がった背筋を伸ばしてヘアキャップを外した。
「お久しぶりです。白川さん」
聞き覚えのある声に顔を向けると、心配の色を表情に浮かべた大槻源蔵巡査部長が立っていた。
「おお、大槻やないか。久しぶりだな。捜査一課は忙しいだろう」
痛む腰を軽く叩きながら、白川は言葉を掛けた。
「悪いけど、御遺体を署の霊安室に搬送しないといけないんだ。捜査本部が立ち上がったんだろ?明日にでも話そう」
大槻の横に立つ女に一礼してバンに戻り、検視用装備一式を脱ぎ去って助手席に乗り込んだ。
走り出したバンの送風口から吹き出す風が、汗にまみれた身体に心地よい。
霊安室に安置して書類作成したのちに、シャワーを浴びて衣類を着替えたかった。
「あの女が話題の久慈慶子だろ。三〇ちょっとで警部補で捜査一課係長を務めてんだぞ。俺とはえらい違いや」
白川はハンドルを握る松木を笑わせようと愚痴っぽい口調で話し掛けたが、松木は苦笑を浮かべただけだった。
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