第40話 もう俺の名前はいりませんね

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「特待生の全体人数は減ったのですか?」と俺。


「いや、人数に変更はない」


 理事長は開き直ったのか口が滑らかになった。


 とすると俺の椅子が空いたところに笹本が座ったのだ。


 違う言いかたをすると俺に椅子を空けさせるために基準を改正したのだ。


 とはいえ、笹本を特待生にしたいだけならば別に一番成績が良い俺ではなく他の誰かと笹本を入れ替えればすむ話だ。


 基準がどうこうと難しいことを言わなくても特待生なんかどうせ学校が密室で決めるのだから実際のところは何とでもなるだろう。


 今まで特待生であった者が理由もなく落とされたのでは俺の様に文句も言うだろうが、だったら新入生の特待生を一人減らす手もある。単純に全体の枠を一人増やすのでも良い。


 もっとうまくやる方法がいくらでもあるにも関わらずピンポイントに俺を落としたということは、やはり狙いは俺なのだろう。


「まるで私を狙い撃ちですね」


 とても残念だ。


 もしかしたら俺を特待生から外して笹本を特待生にすることが笹本の母親が保護者会長を引き受ける条件なのかも知れない。昨今、そのような面倒な役職の成り手は少ないと聞く。ましてや学校側の意向を汲んで動いてくれる保護者会長候補者を学校は手放したくないだろう。


 理事長は沈黙した。


「恐らくですが職員会議や理事会の承認を得るために学校側の特待生選考の内部書類がありますよね? 成績以外も考慮するようになったからといって私を特待生から外すためにその書類の中でどれだけ俺にマイナスをつけたのですか?」


 基準が成績だけではなくなったとはいえ一番成績が良い俺に特待生を外れるほどのマイナス面があるというのは相当だろう。人間失格レベルだ。具体的にどんな点が俺の悪い点なのか、ぜひその書類を見てみたい。理事長が見せてくれるとは思えないが。


 ともあれ、学校側は笹本の母親と俺を天秤にかけて笹本の母親を選んだということだ。


 理事長室の壁にはいくつかの賞状が額に入れて飾られ棚にはトロフィーや盾が置かれている。


 多くはスポーツ関連の物だが一つだけ俺の名前が記された感謝状が飾られていた。


 昨年、俺が此花たちと人命救助をしたと警察署長から送られた連名宛の感謝状だ。


 俺はソファから立ち上がると感謝状の額縁に手を伸ばして軽くジャンプした。


 俺の名前が記された感謝状が入った額縁は簡単に壁から外れた。


「こういう実績はプラス評価にはならないのですか? それとも昨年度の話だから今回の選考には影響しない?」


 俺はソファに戻って座りなおした。


「残念ながら今回の選考の対象ではないな」


 俺は思っていたとおりの理事長の言葉を聞き流しながらテーブルの上で額縁を裏返した。


 中身の感謝状を抑えている板の留め金をすべて外す。


 俺は額縁から感謝状を取り出した。


 理事長は俺の行動をいぶかしげに見ていた。


「ではもう俺の名前はいりませんね」


 俺は胸ポケットから黒の油性マジックを取りだした。


 一方が太字で反対側が極太字で書けるタイプのマジックペンだ。


 俺は極太字側のキャップを外すと感謝状に連名で印刷されている名前のうち俺の名前を見えなくなるように線で塗りつぶした。


 感謝状を裏返して透けて見えないように裏側からも俺の名前がある位置を塗りつぶす。


 こういう嫌がらせをしようと考えて俺はわざわざマジックを準備してくるような人間だ。


 しかも素早く作業ができるようにバッグではなく胸ポケットに忍ばせてきた。


 なるほど俺は大分どうかしている。


 俺の人間面にマイナスの評価をした学校側の判断は間違っていないだろう。人間失格だ。


「君、何を!」


 理事長がイカレタ人間を見る目で俺を見ながら声を上げた。


「私が来年度の特待生に選考されなかったことについて、そちらには私に知らせる義務はありませんが、もし私から訊ねなければずっと黙っていたのですか? 新年度になってからいきなり授業料の払込請求書を渡してくるおつもりで?」


 理事長は不愉快そうな顔をした。学生如きに嫌味を言われて面白くないのだろう。


 俺はマジックにキャップを嵌めるとポケットに戻した。


 俺は額縁に感謝状を嵌めなおした。


 裏返しにしたままの額縁から手を放すと持ってきていた小さなバッグを開けた。

中から封筒を取り出して理事長の前のテーブル上に置いた。宛名も何もなく封もしていない茶封筒だ。いわゆる長形3号と呼ばれるサイズである。


「危うく年度が替わって三年生になってしまうところでした。間に合って良かった」


 理事長は封筒を手に取り中身を取り出した。三つ折りにしたA4用紙だ。


「二年間お世話になりました」


 俺は理事長に馬鹿丁寧に頭を下げた。


 用紙の一番上には『退学届』と印刷されている。


 インターネットで検索して出てきた適当な様式に俺が必要事項を記入したものだ。


 誰宛にするべきか判断に迷ったので宛名には理事長と校長の名前を併記しておいた。


 日付は今日付けだ。三月三十一日である。


 年度が替わってからの退学だと日割りで授業料を払えとか学校側は言い出しかねない。


 もしかしたら日割りという制度はないので前期分をすべて払えと言うかも知れない。


 ふざけるな。


 退学の理由は『一身上の都合』ではなく『金銭的な問題』とした。


「待ちたまえ。あと一年で卒業だ。何もここで辞めなくてもいいだろう。金銭的な問題であれば返済の必要がない奨学金制度を利用する手もある。紹介しよう」


 理事長は大慌てだ。まさか俺がこのような強硬的な対応を取るとは想像もしなかったに違いない。


 あいにく泣き寝入りは大嫌いだ。泣き寝入りをするぐらいならば自分の被害がどれほど大きくなるにしても俺はやり返す。


「いえ。本校の教育理念では生徒の人格形成に重きを置くとうたわれていますが二年も通ったにもかかわらず私の人間性は一向に成長がないかマイナスであるようです。どうやら私とは合わなそうなので総合的に判断をして退学を決めました」


「大学進学はどうするんだ? 大学も行かないのか?」


「高卒認定試験を受けるので問題ありません。お世話にはならないつもりですが二年生までに履修した科目の単位習得証明書の発行をお願いするかも知れません。金銭的に私立大学への進学は厳しいですが模試の結果お陰様でどこの国立大学でも・・・・・・・・・A判定が出ていますので心配はないでしょう。ご存じでしたよね?」


 俺はにっこりと理事長に対して微笑んだ。


「それでは失礼します。くれぐれも今後私の名前や成績を本校の売名のために利用しないでください。見つけたら嘘を言っていると騒ぎたてます。逆に学校の評判を落としますよ」


 俺は席を立つと制止する理事長の声を背中に受けながら理事長室を出た。


 幸い、年度末の長期休暇であるため学校に置き放しにしていた私物は既に全部持ち帰っている。二度とこの場所へ足を運ばなくても何ら問題はない。


 俺を育てたわけでもない上に俺を馬鹿にして陥れた学校に未来の俺の大学合格実績を利用させてたまるか。


 はたして理事長は、俺が名前を消した感謝状をまた飾るだろうか?

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