第41話 何ら不利はない

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 ネットで少し調べただけだが高卒資格の認定試験の正式名称は高等学校卒業程度認定試験というらしい。


 何らかの事情で高校を卒業できなかった者に高等学校を卒業した者と「同程度以上の学力」があるかどうかを選定する学力試験で合格すれば大学の入学試験の受験資格等が得られる。


 認定試験を受験する年度末までに満十六歳以上になる者であれば受験ができ合格しても例外の大学を除き満十八歳になるまで大学の受験資格はない。認定試験は科目ごとに分かれている。


 要するに高等学校卒業程度認定試験で必要な科目の認定試験に合格をすれば俺は俺と同学年の学生たちが大学受験を行うのと同じタイミングで大学受験ができるということだ。


 何ら不利はない。


 年に二回、八月と十一月に高等学校卒業程度認定試験は実施されるが第一回試験の出願期間は四月一日から始まり一か月程度しかない。確実に次の大学受験に間に合うように全科目で合格しておくためのチャンスは二回。第一回試験から受験しておきたい。早速明日、願書を出そう。


 理事長との話を終えて家に帰った俺は昼食の際、祖父と祖母に高校を中退してきた事実と理由を告げた。


 あわせて高等学校卒業程度認定試験を経て大学は受験するので心配はいらない旨を伝えた。


 お金の問題なら心配をするなという話を祖父にはされたが、そういう問題で高校を辞めるわけではないとはっきり伝えた。人間の尊厳の問題だ。


 祖母は泣いていた。


 午後になり慌てた様子で理事長と校長が連れ立って家に説明と説得に訪れたが祖父に怒鳴りつけられて意気消沈して帰っていった。


 実は本年度から特待生の選考基準が見直されたが俺の選考漏れは学校側の事務の手違いでありそれは新たに必要となった担任からの特待生に推薦する旨の推薦状が何分今年から見直された基準であり例年と同じという勘違いから偶々担任が提出を忘れて添付漏れしていたためであって俺の人間性に何ら問題があるわけではなく日付を遡って特待生承認の事務処理を行ったので来年度も俺には特待生としてぜひ本校に通っていただきたく金銭的な心配はまったくいらないので云々かんぬん。


 みたいな話が理事長の説明だ


 慌てて用意したのであろう俺を特待生として承認する旨の通知を差しだしたが知ったことか。難関大学への合格実績は現在と今後の生徒たちへの教育で勝ち取ってもらいたい。


 俺が地味にショックを受けたのは、もちろんわざとであるのはわかっているが俺を特待生として推薦するという二年次の俺の担任からの推薦状がなかったという話だ。


 学校側の内部の都合などどうでもいいが俺と電話で会話をした際、元担任は基準の見直しを知っていた。当然、担任からの推薦状が必要だという仕組みも知っていただろう。


 その上で学校側と共謀して俺の推薦状を出さなかったのだろうが、そのような仕打ちを受けるほど俺は元担任から嫌われているとは思っていなかった。


 修学旅行には確かに行かなかったし、そのために元担任には面倒な事務処理が発生したのかもしれないが、だとしてもそれだけだ。他に迷惑をかけた覚えはないし、むしろ俺自身は聞き分けのいい生徒だったと思っていた。まさか、そんなにも嫌われていたとは。


 そこは共謀を求める学校側に対して、元担任として推薦状は提出します。その上で落すか落さないかは学校側で判断をしてくださいという、やりとりがあってほしかった。


 他人が自分をどう思っているかという本心は本当に分からない。


 結局、俺はあっさりと年度の第一回目の高等学校卒業程度認定試験に合格して大学入試の受験資格を手に入れた。


 中退をした高校に連絡をして、不足する認定の足しにするので二年生までに履修した科目の単位習得証明書の発行をお願いしますというやりとりをせずに済んで本当に良かった。


 そういうお願いをして、もし拒否されたり嫌がらせをされた場合には文部科学省に文句を言わなければならないところだった。言ったからどうなるとも思ってはいないが嫌がらせぐらいにはなるだろう。


 本来俺が高校三年生を送るはずだった年度は俺の学校生活がなくなったため、俺は、ほぼ暴川上流漁業協同組合の正規職員のような毎日に明け暮れた。


 漁協の人たちは高校を中退した俺に対して何も言わなかったが、そのまま俺が本当の職員になるだろうなと思っていたようだ。祖父母も多分同じだ。高校を中退するような子が大学に受かるとは思ってもいないだろう。


 俺は予備校や塾には通わなかったがネットで元の持ち主がまったく有効活用していなかった白紙状態の某アルファベット一文字の進学塾の通信教材を手に入れて独学で勉強した。


 そして予定どおり都内にある世間一般には日本一と思われている某国立大学に合格した。


 滑り止めとしてやはり都内の有名私立大学もいくつか受験して合格している。


 俺が高校で同学年だった人たちの進路はどうなっただろうか?


 もう高校の卒業式は終わっているはずだ。


 別に懐かしくも感慨も何もないが理事長の顔が思い浮かんだ。


 今更戻ってきてくれと言われてももう遅い、からの、ざまあ展開だ。


 中学卒業時に将来高校中退の結果になるとわかっていたならば祖父母の家に引き取られても高校になど行かずにずっと漁協でアルバイトをしているという選択もありだった。


 正規勤務ばりの時間をかけてアルバイトを行いほぼ使わずに貯金をしていたならば結構な金額になったであろう。大学生活の良い足しになってくれたはずだ。


 俺が中学まで住んでいた都内の実家は名義を俺に変えて売らずに残してあった。


 年に何度か掃除をしには行っていたけれども今後の俺は都内の実家で一人暮らしをしながら大学へ通う予定だ。


 祖父母の家には丸三年住んだことになる。


 三月下旬の某日。


 祖父母の家に荷物を受け取りに来た引越業者に指示を出して俺は事前にまとめておいた引越荷物をトラックに積んでもらった。正確な時間は決まっていないが遅くも明日中には都内の俺の家に引越荷物が届く予定だ。


 引越業者が夜間も荷物を運べば明日の早い時間に届くだろうし明日になってから運び始めるようならば遅い時間になるだろう。


 三月末の引っ越し繁忙期であるため引越業者でも人員とトラックの手配に不確定な部分があり到着日の指定はできるが時刻までは何とも言えないそうである。但し明日到着であることは間違いない。


 荷物を送りだした俺は今日の内に電車で都内の家に移る。


 俺は祖母と別れを済ませ、祖父が運転する軽トラックで駅まで送ってもらった。


 俺の元母校である高校の最寄り駅だ。


 ということは此花貴音の家の最寄り駅だ。


 祖父と別れの挨拶を終えた俺はロータリーから続く駅の階段を登るべく見上げた。


 此花貴音と琴音姉妹が階段の最上段を登り切り姿が見えなくなるところだった。


 相手に気づかれないように俺は階段をゆっくり上った。


 此花姉妹は切符を買っていた。


 俺は此花姉妹が改札を通りすぎてからどちらのホームへ降りるためにどちらの階段に向かうかを遠目に確認した。


 自分の切符を買い此花姉妹とは違う階段を使ってホームの一番端へ向かった。


 ホームにはまばらにしか人影がない。


 俺は一番端の車両の、さらに一番端の扉が止まる場所の最前列に並んだ。電車が来るまで十分近くある。


 一息ついた瞬間、ドンと背後から子供に抱き着かれた。


「ヤマメ先生!」


 琴音ちゃんだった。


 琴音ちゃんの背後には此花貴音がにやにやと笑いながら立っていた。

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