第34話 此花がつくったのはどれ?
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保育園児の小さな手では塩ビ管の両端をきっちり塞ぐ行為は難しかっただろう。
大人だったら掌だけで穴が防げるところ園児では指を広げた状態でギリギリ管の縁と縁に指が届くくらいだ。指の隙間に向かって勢いよくヤマメが突っ込んできた場合、指は簡単に突破されてしまった。
「網が欲しい人集合!」
俺は水溜まりの中で騒ぐ子供たちに向かって声をかけた。
全員ぴたりと動きを止めて俺を見た。
俺の足元には子供用の小さなタモ網の束があった。
網の幅二十五センチ、柄の長さ七十センチの
俺はしゃがんで網を束ねている紐をほどいた。
網を一本手に取り、「これ使って」と琴音ちゃんに渡す。
琴音ちゃんの背後には俺の言葉を聞き慌てて駆けてきた園児たちが列を作っていた。
要領もしくは運のいい子は既にうまい具合に管に隠れたヤマメを捕まえて屋台に焼きに持って行っている。けれども、まだ多くの子がヤマメを捕まえられていなかった。
「どうぞ」と言いながら一本ずつ園児たちにタモ網を手渡していく。
網は園児たち全員に行き渡り、彼らは再び水溜まりへと駆けて行った。
琴音ちゃんと何人かの女の子がその場に残っていた。
「一緒にやろ」と琴音ちゃんたちから俺は誘われ手を握られた。
「もてもてだね」と此花に冷やかされる。
「ついに俺にもモテキが。でも園児にもてても事案にしかならないからなあ。もう少し年上じゃないと」
「小学生?」
「女子高生だよ」
此花はジトっとした目で俺を見た。
「相羽くん、口ではそういうこと言うよね。彼女ほしいとか全然思っていないでしょ」
此花に図星を突かれた。
友達も彼女も、そもそも心を通わせる相手をつくろうという思いは俺にはなかった。人間関係など知り合い程度のコミュニケーションが取れればそれでいい。お互いに相手の内面には踏み込まない心地よい関係性だ。
だからといって此花の言葉を安易にイエスとは肯定しづらい。
「思ってるよ」
俺は心にもないことを言った。
相手が此花ではなく事務のおばちゃんだったり園長先生のように明らかに冗談で言っていると話が通じる相手であれば、「もっと早く知り合えてればなぁ」と、さらに言葉を繋ぐところだ。
相手が此花なので、そこまでは踏み込まない。冗談が通じずに困った顔をされたり本気でお断りをされたら立ち直れない。
「本当かなぁ?」と此花。
見すかされ過ぎてて草。この話題はここまでだ。
俺は膝まである長靴を履いていた。
水深十センチなので、このまま水に入っても問題はない。
自分用の網を持って琴音ちゃんたちと水溜まりに降りる。
網を手にしてパワーアップした園児たちが魚を追いかけては網を振り回していたので水溜まりの中は危険地帯だった。網の柄で誰かをつついてしまいそうだ。
「はい、こっちに注目ぅ」
俺は水溜まりの真ん中で声を上げた。
網を振り回していた園児たちが手を止めた。
逃げ回っていたヤマメが隠れ家である塩ビ管の中に入っていく。
「魚は泳ぐのが速いので網を持って後ろから追いかけても捕まりません。追いかけると逃げちゃうからみんなそのままジッとして」
俺の足元にも塩ビ管が落ちていた。その管にヤマメが入っていく姿を俺は見ていた。
「水の中にいくつもパイプが落ちています。じっとしているとヤマメはパイプに隠れるのでパイプの片側を網で塞いでパイプの反対側と網を同時に持ち上げます」
俺は自分の足元にあるパイプに対して口にしたとおりの行為を行った。
網の中に水が落ちるようにパイプの片側が斜めに下がり隠れていたヤマメが水と一緒に零れ落ちた。網の中でぴしゃぴしゃとヤマメが跳ねまわる。
「こんな感じ」
俺は塩ビ管を水に捨てると網をひっくり返して捕まえたヤマメも水に落とした。ヤマメが慌てて逃げていく。
わあ、と、園児たちから声を上がった。尊敬のまなざしを受けた。
「お父さんお母さんも今のやり方を覚えておいて。いつか家族で海や川に出かける機会があったら試してみてください。水の中にあるゴミや草の中には小さな魚が隠れています。丸ごとすくうと中にいる魚が一緒に捕れます」
俺は琴音ちゃんと女の子たちに顔を向けた。
「やってみて」
嬉々として琴音ちゃんたちが行動を開始する。
やり方さえ分かれば後は簡単だ。
十分すぎる数の魚とパイプが水中には準備されていた。
瞬く間に琴音ちゃんも女の子たちも網の中でヤマメを躍らせた。
「やったあ」と網を掲げて自分の保護者に見せるべく駆けていく。
水溜まりの周りには放流に使っていたバケツと靴が並んでいた。
ヤマメをバケツの中に入れて飛び出さないように網で蓋をする。
足を拭いて靴を履くための場所として水溜まり脇の地面にブルーシートが敷かれていた。
シートの手前には水を張ったタライが置いてある。
裸足のままタライの水の中に入って砂を落とし、それからブルーシートに上がって足を拭く。
ブルーシートのタライ側にはペット用の吸水シートが広げられていて、まずその上に乗って足の裏の水を吸わせてからタオルで足を拭き、タライが置かれている側とは反対側のシートの端で靴下と靴を履いてブルーシートを降りる仕組みだ。
その後はバケツに入れたヤマメを手にしてシートの外で待っている保護者と屋台に向かう。網は後で俺たちが片付けるからその場に置き去りで問題ない。
屋台でバケツと引き換えに園児と保護者の分のヤマメを受け取ったら、お弁当用に広げられている別のシートで、それぞれ昼食だ。必要に応じてテントで着替えてください。
見ている間に、すべての園児たちの魚とりが終わったようだ。
誰も水溜まりの中にはいなくなった。塩ビ管が転がり捕まえられなかった残りのヤマメが泳いでいるだけだった。
この後の予定は昼食が終わったら園児たちは帰宅、俺たち漁協関係者は後片付けだ。
それまでに俺も昼食だった。
漁協関係者分の弁当は漁協の誰かがコンビニで適当に買っているはずである。
ひとまず俺は屋台に戻った。
屋台で此花と琴音ちゃんが俺を待っていた。ヤマメの串焼きが入ったビニール袋を提げている。
「相羽くんは園児がお弁当食べている間も仕事があるの?」と此花。
「ないよ。俺も昼飯」
「一緒にお弁当食べようよ」
琴音ちゃんから誘われた。此花が言わせたのだろう。
「いいよ」と俺。自分からは誘わないが誘われたならば断らない。
「シートのどの辺? 自分の弁当持って行くよ」
俺はこの花たちの場所を確認した後、漁協のみんなの元に戻ってコンビニの冷やしたぬきうどんとざるそばを確保した。一つじゃ足りない。
いつもは、まず冷やしたぬきうどんを食べてから残った汁の中にざるそばのそばと汁を入れて食べている。味よりも量が第一だった。
俺は此花たちの食事場所へお邪魔した。
女子高生と女子園児が二人で食べきるには明らかに多すぎるお握りとおかずが用意されていた。
最初から俺の存在が計算に入っていたのだろう。
さすがにそれくらい見ればわかる。
うどんとそばは夕食に回そう。
「おかあさんに俺が感謝していたって言っておいて」
「わたしもつくったのよ」
「マジで! 此花、そういうのできない子だと思っていた」
「あやまれ」
「此花さん、料理のできない子だと思っていてごめんなさい」
俺は深々と頭を下げた。
琴音ちゃんが俺の様子を面白そうに笑っていた。
「で、此花がつくったのはどれ?」
「卵焼き」
「と?」
「卵焼き」
なぜ、それだけでつくったとドヤ顔ができるのだろう? つくってはいるけれどさ。
俺は琴音ちゃんにお願いをした。
「琴音ちゃん、帰ったらおかあさんに『ヤマメの先生』がお弁当喜んでいたって伝えてくれる?」
「オッケイ」
唐揚げを頬張りながら琴音ちゃんがサムズアップした。
此花からは俺にチョップ。
俺は卵焼きを箸でつまんで口に入れた。
「あ、美味い」
卵焼きに限らず此花家のお弁当はどれも美味しかった。
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