第33話 学校以外だと饒舌だよね
37
空になったバケツを持った園児たちが再び軽トラックの近くに戻っていく。
儀式としては園児が並んで一回バケツを空にしてくれれば本来は終了だ。写真も撮れた。
なのだけれども軽トラ荷台のタンクの中には、まだ大量の稚魚が泳いでいた。
園児たちは川と軽トラックの間を何往復かして一生懸命に稚魚を放流してくれた。
何度か繰り返すとさすがに飽きてきたのか疲れたのか手と足が止まる。
「全員集合~っ!」
俺はテントから少し離れた場所から園児たちに声をかけた。
俺の足元には水深十センチほどの大きな水溜まりがある。
俺を含めた漁協職員が事前に穴を掘っていたためだ。染み出してきた水が溜まっている。
縦十メートル、横十五メートル程度の大きさだった。
水溜まりにはヤマメの成魚が沢山放されていた。いつも串焼きで使う体長二十センチサイズだ。
本日、漁協が園児たちに用意したイベントは放流だけではない。
食育企画でもあるため実際にヤマメの味を知ってもらうことも予定に入っていた。
テントの脇にはヤマメの串焼きの屋台が設置されている。
串焼きに先立ち園児にはヤマメのつかみ取りをしてもらうつもりだった。
園児が自分で捕まえたヤマメを屋台に持ち込み焼いてもらって食べる仕組みだ。
実際には持ち込んでから焼き始めていると時間がかかりすぎるので持ち込んだヤマメと引き換えに事前に焼いておいたヤマメを渡す手筈になっていた。
つかみ取りの際、恐らく園児はびしょ濡れになってしまうので、そのためのお着替え用テントだ。
早くヤマメを捕まえることができた子供たちとその保護者から昼食の時間になる。
そういう段取りを俺は園児と保護者たちに説明した。
最初は手だけでつかみ取りに挑戦してもらい、ある程度の時間が経っても捕まえられていない園児に対してはタモ網を貸しだす。保護者の参戦も可だ。
どうしても捕まえられずにギブアップしても、もちろんヤマメの串焼きは渡す。
園児たちは靴と靴下を脱ぎ、靴の中に靴下を入れるとバケツと一緒に水溜まりの周りに置いた。裸足になった園児たちが水溜まりに入っていく。
地面は石ではなく堆積した砂利や砂なので裸足でも痛くはない。
ヤマメは全部で百尾以上泳がせているため親子全員に先生と俺たちを足しても数が不足する心配はなかった。
余ったヤマメはイベント終了後に網ですくって稚魚と同じく川へ放流する予定である。
まだまだタンクにも稚魚は残っていたので残りは園児が帰った後に、やはり漁協職員が放流する予定だ。
水溜まりの中には、いくつか短く切った塩ビ管を投げ込んである。
直径十センチほど、長さ三十センチほどの塩ビ管だ。
園児に追われて逃げ惑うヤマメの隠れ場所だ。
何も障害物のないただの水溜まりだと単純に魚との追いかけっこになってしまって園児に分が悪い。塩ビ管は魚に対する、ちょっとした罠のようなものである。
ただし、ただの短く切っただけのパイプなので両端が開いたままだ。
管の中に入った魚が逃げないように両手で穴を塞いで持ち上げなければならなかった。
その状態で陸地まで持っていければ園児の勝ちだ。
そういう方法に気づくかどうかもお勉強だ。保護者は暖かく見守っていてほしい。
園児たちが、わあわあきゃあきゃあと水溜まりの中で騒いでいる様子を、俺は岸から眺めていた。
バシャバシャと、ひたすらヤマメを追いかけまわす子もいれば、おろおろと目で追いまわすだけの子もいる。
管を持ち上げたところ中から魚が出てきて、いたぁ、と叫ぶ子。
魚に手が触れたのか足に当たったのか、ぶつかったぁ、と声をあげている子もいる。
「相羽くん学校以外だと饒舌だよね」
此花が俺の横にやってきた。
「そういう仕事だからね」
俺が饒舌な理由は仕事の一環として話をするからだ。講演会で講師が話すようなものだった。人間関係を深める目的の会話ではない。
「学校でももっとみんなと話せばいいのに。聞いたよ。修学旅行休む気だって」
此花と会話らしい会話をするのは新学年になってから初めてだ。クラスが違うと絡む機会が格段にない。
「しぃっ!」
俺は此花の言葉を止めた。漁協の誰かに聞かれていなかったかと慌てて辺りを見回した。
特に祖父の耳には入れたくない。余計な心配をかけてしまう。
幸い、漁協職員たちは誰も此花の言葉を聞いていなかったようだ。
ヤマメを焼いていたり、大きなブルーシートを何枚も敷いて園児たちがお弁当を食べる場所をつくったりと、それぞれ自分の仕事に集中している。
祖父は園長先生と話をしていた。
俺は此花に囁いた。
「じいちゃんに知られたくないから、ここではやめて」
「お爺さん?」
「組合長」
俺は園長先生と話している組合長を目で示した。
此花は祖父を、そっと見た。
「そう言われると相羽くんと顔が似てるかも」
此花は悪い顔をした。
「じゃあ、ご挨拶しないとなぁ」
「やめてくれ」
俺は悲鳴を上げた。
此花は、にやにやしていたが、それ以上は何もしようとしなかった。さすがに揶揄っただけのようだ。
俺の前に水溜まりから琴音ちゃんが仏頂面でやってきた。
「全然つかまんない」
そろそろ網を渡すタイミングみたいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます