第29話 二年三組に女子はいない

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 暴川上流漁業協同組合では十月一日から二月末日までがヤマメ釣りの禁漁期間、三月一日が解禁日だ。


 ヤマメは秋に産卵するため産卵や孵化、稚魚の成育を邪魔しないよう禁漁期間が設けられている。


 禁漁期間が明けた直後は魚が釣り人に警戒をしていないため良く釣れる。


 そのためヤマメ釣りを楽しみにしている釣り人が解禁にあわせて釣り場に殺到するため一気に釣られてしまうと文字通り川からヤマメがいなくなる。


 解禁直後に釣れない釣り場は評判を落とし逆に釣れた釣り場には継続的に釣り人が訪れる。


 数多くの釣り人に繰り返し来てもらいたい漁協としては解禁前のタイミングで釣りに適正なサイズのヤマメを釣り場に大量に放流しておく必要があった。


 その手伝いに二月後半の土日を俺はほぼ費やした。


 水が流れているすぐ脇まで車で横付けできれば良いが、そのような都合の良い場所は少ない。


 したがってヤマメを釣り場に放流するためには車から実際の釣り場まで人力でヤマメを運搬しなければならなかった。


 水と酸素とヤマメをビニール袋に入れて持ち運ぶ。


 ヤマメが稚魚であればサイズが小さいので袋も小さくて済むが全長15センチより小さいサイズのヤマメは漁獲の対象としてはならないという規則があった。釣ってはいけない。


 となると全長15センチ以上のサイズのヤマメを大量の水と一緒に袋詰めすることになる。


 袋詰めしたヤマメは籠に入れて背負うなどして釣り場まで運ぶのだが基本的に足場の悪い場所を人力で運搬するしか方法がない。


 しかも、二月だと場所によってはまだ雪がある。


 水が入った重いビニール袋を背負いながら何往復も河原を歩く。


 重労働だ。漁協の年寄り連中が高校生である俺をあてにしてしまうのも仕方がない。


 三月になると釣り場に釣り人が一斉にやってくるので今度は監視だ。


 釣りをするためには漁協から遊漁券を購入する必要がある。


 遊漁券を購入した釣り人は見やすい場所に券を掲示していなければならなかった。


 スキーのリフト券と同じ仕組みだ。


 漁協の職員は釣り場で釣り人を見て回り遊漁券の掲示がない釣り人には声をかけて掲示をしてもらう。


 もし、釣り人がまだ遊漁券を購入していなかった場合は、その場で販売する。


 解禁直後が年間で一番遊漁券の購入が多くなる時期なので三月になってからの土日は主にそちらの手伝いだった。


 あっという間にただでさえ短い三学期が過ぎ去っていく。


 授業以外の学生らしい活動をほぼ行わずにアルバイトばかりをしていた一年だった。


 とはいえ、学年の最後に行われた学年末テストの結果は、いつもどおりだ。


 年間を通して学年一位。まさか特待生漏れはないだろう。


 終業式以降に次年度の特待生を決めるための会議が行われて、理事会の承認を得た上で年度内に該当者には通知が送られるという仕組みらしい。


 もちろん、俺は特待生に認定された。


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 四月になった。


 俺の所属クラスは二年三組だった。


 二年時のクラス分けは成績順ではない。


 専門科目の選択内容によって分けられていた。


 生物と物理、日本史と世界史のいずれを選択したかで組分けされる。


 俺は物理と世界史を選択した。


 多数派は生物と日本史だった。


 生物と日本史を選択した生徒のうち一年次に学校が定める一定水準以上の成績を修めた者で一組から二組の三分の二までが埋まった。


 次いで生物と世界史の組み合わせで二組の残りが埋まった。


 ということは、二組は全員が生物を選択し、そのうち三分の二が日本史、三分の一が世界史を選択していることになる。


 三組は全員が物理選択者のクラスだ。


 うち三分の二が世界史選択者で三分の一が日本史選択者だった。


 二組の日本史選択者に三組の日本史選択者を足すと一クラス分の人数になる。


 逆に三組の世界史選択者に二組の世界史選択者を足すと一クラス分の人数になる。


 そのため二組と三組は同じ時間帯に世界史と日本史の授業を設定し、二組へ三組の日本史選択者が、三組へ二組の世界史選択者が移動をして授業を行う形となった。


 実は進学科のクラスは四組以降も存在する。


 青嶺せいれい学園高等学校の一学年は二十クラス。


 一組から十組が進学科で十一組以降がスポーツ科だ。


 基本的に進学科とスポーツ科はカリキュラムも教科書も違っている。


 スポーツ科について俺は詳しくは知らない。


 四組から十組までの進学科のクラスも三組までと同様に生物と物理、日本史と世界史のいずれを選択したかで組分けが行われていたが一組から三組が一軍だとしたら四組から十組は二軍だった。三組までの生徒と比べて学力が低いと学校から判断された生徒たちのクラスだ。一年次に学校が定める一定水準以上の成績を修められなかった者たちが所属する。


 一組から三組も四組から十組もどちらも進学科ではあるが一組から三組までは学校が期待をかけて教育に力を入れている生徒たちのクラスであり四組以降は普通どおりの扱いを行うクラスであった。学費に差はないが教科書の難易度と教師の質が違う。


 対外的には発表されていない入学しないと分からない学校の秘密だ。


 だからといって三組までの生徒の全員が特待生であるわけでもない。


 特待生の人数は若干名とされており誰が特待生であるか公表もされていないため正確な人数は俺も知らなかった。三組までの各クラスに何人かずついるらしい。


 昨年度まで学年主任であった一年一組の担任は引き続き学年主任として二年一組の担任となったため俺の担任教師は昨年度とは別の人物だ。


 気真面目そうな若い女性の教師だった。


 生徒も大半が入れ替わった。


 昨年同じクラスであった生徒の多くは生物と日本史を選択したため引き続き同じクラスになった生徒は十人足らずだ。


 此花も鶴瀬も笹本も引き続き一組だ。


 二葉も一組になっていた。さては選択科目を笹本と合わせたな。


 和賀と鈴木は四組以降のどこかのクラスらしい。


 俺は自分が所属するクラスを確認するため掲示されていたクラス名簿を二年一組から順番に確認していったのだが少なくとも三組までに和賀と鈴木の名前はなかった。


 後になって物理を選択した者のクラスは三組だと気付き、一組、二組の名簿は確認する必要がなかったと俺は思った。もちろん四組以降にも物理を選択した者のクラスはあるが、俺はそちらのクラスのはずがないことは少なくとも分かっている。


 結局、和賀と鈴木が何組になったのかまでは確認していない。


 二年三組には俺が会話らしい会話をした経験がある相手は一人もいなかった。


 だとしても、もともと必要事項以外の会話は誰ともしていなかったので問題はない。


 さらに言えば、二年三組には女子も一人もいなかった。


 物理を選択した女子のうち総合的に三組以内に入れる成績の子はいなかったらしい。


 なので、三組は男子クラスだんくらだ。


 女子と仲良くなる予定はなかったけれども、いないといないで残念なのはなぜだろう。


 ちなみに新年度開始時の席順は出席番号順であるため俺の席は廊下側の一番前だ。


 少なくとも教室の出入口が近いのは良かった。

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