第27話 でも俺は大丈夫

               30


 二月になると思いだす。


 小学五年生の時だった。


 今もそうだが当時も俺は色気より食い気だ。


 小学校なので毎日行われる強制的な部活動はなくクラブ活動という複数学年の生徒が合同で選択参加する遊びのような活動が週一回、五、六時間目を貫く形で行われていた。


 俺は別のクラブだったがクラブの一つに料理クラブがあり家庭科室で毎週何がしかの料理をつくっては試食と称してこれ見よがしに教室で食べていた姿がうらやましかった。


 俺が通っていた小学校の公式ルールとしてはバレンタインデーの校内へのチョコの持ち込みは禁止だ。


 けれども料理クラブを担当していた女教師は話の分かる人らしく二月十四日の前日のクラブ活動の料理メニューがチョコブラウニーに決まったそうだ。


 一晩冷ますという名目で合法的に翌日、校内にチョコの持ち込みができる。


『恋愛ごっこ』が好きな女生徒たちは大喜びだ。


 クラブで作ったことにして家で作ったブラウニーも持ち込み放題だった。何なら料理クラブ以外の女生徒が持ち込んでも分からない。


 当日の朝、俺が何も知らずに入った教室の中には既にチョコレートの匂いが漂っていた。


 試食という名目で小さく切ったチョコブラウニーが義理チョコや友チョコとしてクラスメイトたちに振舞われていた。


 教室に入った俺に対しても料理クラブ女子からすぐに声がかかった。小学校入学以来ほぼ全員顔見知りの環境であるため当時の俺は誰からも気安く話しかけられたのだ。


 一人当たり親指の先ほどの欠片を一切れか二切れだが、もちろん俺はありがたくペロリといただいた。


 義理チョコ用の欠片とは別の皿に、もっと見栄え良く大きく切り分けられた正規のブラウニーがいくつか取り分けられていた。料理クラブ女子は『自分たち用』と言っていた。


 俺は単純に食い意地が張っているだけの人間で『恋愛ごっこ』にはまるで興味がなかったからクラスの男子に義理チョコを振舞う女生徒の真意なんか考えもしなかった。


 本命チョコをこっそり特定の誰かに渡す行為は見つかって冷やかされる危険があるが、大っぴらにチョコを渡せば見咎められる危険は少なくなる。


 気持ちは伝えないけれども自分が作ったチョコを本命に食べてもらえるだけでいい、という高尚な感情も俺には分からないところだ。


 恥ずかしいから食べさせる本人には伝えないが暗黙の女生徒ルールで上手にできたら本命チョコで失敗作は義理チョコらしい。本命チョコは、もちろん『自分たち用』の別皿だ。


 本命が来た場合にはその皿から取って密かに渡す。そういう作戦であったらしい。

女生徒たちの思惑を知らないお調子者の男子の誰かが大きいほうも食べたいと言い出し、ジャンケンで勝った一人だけが特別に食べられることになった。余分があったのだろう。


 食い意地の張っている俺はもちろんジャンケンに参加し、偶々勝った。


「やったっ」と、俺は別皿の大きなブラウニーを一つ手に取り口に入れた。


 負けた男子たちに奪われないためには素早さが必要だったのだと理解してほしい。


 途端に近くにいた料理クラブのB子ちゃんが泣き出した。


 俺が食べたブラウニーはB子ちゃんが本命の誰かに渡すための取って置きであったらしい。どれが誰の作ったブラウニーか料理クラブ女子たちだけはわかっていた。


 ジャンケンで買った俺が食べるべきブラウニーは別の切り身であったらしい。


 俺にはB子ちゃんが泣きじゃくる理由が全く分からない。


 B子ちゃんも、まさか泣いている理由をみんなに説明はできなかった。


 俺は後から別の料理クラブ女子に、こっそり真実を教えてもらった。


 当たり前だが義理チョコしかもらえないような男はバレンタインデー当日の主役ではない。俺はモブだ。


 もちろん俺には知る由もなかったのだが、本来、モブの俺が浅ましい思いでその場に長々といるべきではなかった。


 もともと料理クラブ女子たちが義理チョコを配っていたのは俺のためではないのだ。


 俺はモブなのにでしゃばりすぎていた。恵んでいただく立場なのだからわきまえて、いただける分だけをありがたくいただいて引っ込んでいるべきだったのだ。


 その後、どのように場が収まったかまでは覚えていない。


 けれども、いたたまれなかった当時の気持ちだけは強く覚えている。


 その日以来、俺は自分を部外者側の存在であるのだと常に意識するように心がけた。


 うっかり場違いな場所に紛れ込まないように注意した。


 例えば何人かの友達にお菓子を配っている子がいたとして、偶然、そのタイミングで俺がその場に合流してしまう。俺はお菓子を配っている子とは特に親しくなんかないのに偶々その場に出くわしてしまったばかりに俺にもどうぞとお菓子を渡される。さらに間が悪くて、本来、居ないはずの俺に渡したのが最後の一つだったりすると最悪だ。


 そんな時、俺は言うのだ。


「ありがとう。でも俺は大丈夫」


 そう言ってお菓子を受け取らない。


 一体、何が大丈夫なんだろう? 俺にも分からない。


 できれば、自分に手渡されるアクションになる前に気付かぬ振りをして姿を消したい。


 配れる量の何かを誰かが持っていた時点で想定される行為が始まる前に、その場を離れる。


 もしかしたら最初から配る対象に俺が入っている場合もあるかも知れないが、本当にそうであるかは確認しない限りわからない。確認してしまうと本当は入っていなくても気を使われて入っていたことにされてしまうかも知れないので確認などできるわけがない。


 そうならないよう何も配られない内に、その場から消えているように俺は務めた。

物を配る時に限らず、似たようなシチュエーションは色々あるだろう。


 今度みんなでどこどこ行こうぜ、と誰かが言ったタイミングに偶々到着してしまうとか。


 相手が言葉を口に出す前には誘ったメンバーに俺は入っていなかったのは明らかだ。


 はたして俺は誘われたと思っていいのだろうか?


 そのつもりになって行って本当はあいつなんか誘っていないのにと思われるのもつらいし誘いを断って付き合いの悪い奴と思われるのもつらい。


 かといって、お前には言ってねえよ、と面と向かって言われるのもつらい。

人付き合いはつらいことだらけだ。


 自分が相手の頭数あたまかずに入っていないだけならば耐えられる。

入っていないはずなのに、うっかり紛れ込んでしまう状況は切ない。


 その上で変な気を使われることは、もっと切ない。


 だから、そういう微妙な気配を感じた際には俺は自分を部外者と認識して、いち早くその場を離れるのだ。


「ちょっとトイレ行ってくる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る