第26話 ヤマメに人間のカレンダーは関係ない

               29


 クリスマスも正月も俺にはアルバイトの予定が入っていた。


 養魚場のヤマメに人間のカレンダーは関係ない。旗日はたびであっても毎日当たり前に餌を食べる。


 けれども養魚場に勤める大抵の人間は年末年始には休みを取りたいものだ。


 気楽な学生身分の俺は仕事を押し付けるには便利な存在だった。


 俺は朝晩の餌やり当番ほか各種雑用業務を一手に引き受けた。


 それだけであれば平日のアルバイトと大差なかったが暴川上流漁業協同組合の養魚場では近隣神社の初詣客を当て込んで参道にヤマメの串焼きの屋台を出店していた。


 実際にヤマメを焼く屋台の隣に運動会で使うような六本足で屋根だけあるテントを建てて机とパイプ椅子を並べて休憩場兼食事場所とする。


 あわせて生ビールを販売すると正月気分のお客さんたちが沢山ひっかかるという仕組みだった。


 休憩場は串焼きを買ったお客さん専用にしているため他の屋台で買った物を食べる場所を探しているお客さんたちも入場料代わりに串焼きを買ってくれた。


 正月三が日を、ひたすらヤマメ焼きと酔っ払いの相手で俺は過ごした。


 もちろん相棒として他にも正規の漁協職員がいるのだが毎日人が変わる。三日間出ずっぱりは俺だけだった。その代わりにお年玉以上の特別手当をもらっている。


 初詣に来た学校の誰かに絡まれるかも知れないという心配をしていたが、そのようなイベントは発生しなかった。何人か見覚えのある顔を見かけたので同じ学校の生徒はいたようだが、それだけだ。


 別にお客さんとして目の前に立たれれば普通に接客するだけのことだが気恥ずかしいので会わないですむならばそれに越したことはない。


 一月四日からは保育園が保育を開始している。


 俺はほぼ一週間ぶりに保育園に足を運んだ。


 年内最後に保育園を訪れたのは十二月二十八日だ。保育園の仕事納めの日だった。


 その日から展示水槽の管理はしていない。


 観賞魚用の電池式の自動給餌機を水槽の上に設置しておき、一日一回、ほんの少しだけ餌を与えるようにしていただけだった。


 餌を与え過ぎては水を汚すだけなので一尾当たりに換算すると極微量の餌だ。飢え死にはしないだろうが適正量には不足しているので次第に痩せてしまうだろう程度の量である。


 そこまで絞ったとしても給餌機内の餌は空になっていた。


 水槽内の稚魚たちは何日か絶食を強いられたに違いない。


 一月四日は保護者が休みである園児も多いので実際に通園している園児は少なかった。


 最近は俺が水槽をいじっていると顔見知りになった園児が寄って来る。


 なのだけれども、その中に琴音ちゃんの姿はなかったので今日はお休みであるようだ。


 俺は水槽内を覗き込んだ。


 幸い、死んだ稚魚はいなかった。


 死んだ魚がひっくり返って浮いている姿を園児たちに見せたくはない。


 俺は、いつもの水槽のお世話を一通り行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る