第2章

第15話


 <明日、君らに直接会いたいそうだ。

  どうする?>

 


 リビングには、

 僕と、唯と、柚木さんと、

 ダイニングチェアーの上に置かれたスマートフォン。


 ……

 

 「どう、しよう……。」

 

 柚木さんが、

 怯えるように僕を見あげてくる。

 

 それは、そうだ。


 Ikuma。

 

 お化けバンド、Imperial Incidentのベーシストにして、

 飼育係、ケネルクラブなどの著名バンドを生み出した。

 プロデューサーなのに、自身の記念単独公演だけでアリーナを埋める力がある。

 10代から70代まで、世代を超えて知られている、国内屈指の名プロデューサー。


 雲の上の端すら見えない人が、まだ5桁のmetuberに、

 忙しい時間の合間を縫って、わざわざ、直接。

 

 柚木さんというよりも、

 僕が、怯えている。

 

 『専業主婦御園さんの、暇つぶし歌謡劇場』

 

 柚木さんの声を、柚木さんが拘っていた曲を、

 ネット上で広めるためだけのフォーマット。

 30歳主婦の設定といい、ガワといい、

 メジャーデビュー感は皆無だ。


 正直、戸惑いしかない。

 

 <明日>

 

 相手方は、当代トップレベルのプロデューサー。

 当然、10分単位で予定が組まれているだろう。

 一銭の価値もないズブの素人の身で、

 待ってもらうなんてことは、絶対にできない。

 

 決めなければ、ならない。

 

 しかし。

 

 会う意味、あるのか?

 会って、何を?

 銀の盾なんかとは、ぜんぜん、桁が


 「会ってみるべき。」

 

 !?

 

 「!」

 

 ゆ、ゆ、唯っ?

 

 「会って、喧嘩別れしても、

  命まで取られない。」

  

 そ。

 それはまぁ、そうだけれども。

 

 「はじまりは、なんでも、

  やったことなんてない。


  動画の撮影も、編集も、

  PC上で絵を描くことも、

  税金の申告も、ぜんぶ、やったことなかった。」


  ……最後のはいるのかな。


 「やってみて、失敗したなら、止めればいい。

  やらないうちに、失敗を怖がるなんてナンセンス。」


  ……。


 「柚木絃の歌、泣ける。

  凄い歌い手。勿体ない。

  

  だから、使った。

  

  たとえ啓の知り合いでも、

  いい歌でなければ使わない。」


 ……

 唯。

 

 ……

 柚木さん、真剣な表情で考えてる。

 御園詩姫を始動させる時と、同じくらい。

 

 あ、あれ?

 柚木さん、

 なんか、悪い顔して。


 「……私がデビューしたら、ここに留まれなくなるから、

  啓君と引き離せる、とか、思ってますね?」

 

 う、わっ。

 

 ……ぎくぅぅぅ、って顔してるな。

 図星だったらしい。


 「そ、そ、そんなことは、ある。

  すごくある。」

 

 一秒で認めるスタイルかよ。


 「でも、勿体ないのは本当。

  1億くらい廻ってしかるべき。」


 !!


 「!?」


 い、い、いちおく???

 

 「国外だと、上のほうは10億。

  1億は普通。」


 ゆ、唯。

 な、な、

 なに、言ってるの?


 「わたしの涙を絞った声が、

  価値がないわけない。」


 ……ああ。

 

 こういうとこ、唯は本当に強い。

 常識にまったく従ってない分だけ、

 常識に微塵も縛られない。


 ……。

 

 「柚木さん。」

 

 「!」

 

 「原田さんは、柚木さんに、

  できる限りのことをしたいと思ってる。

  だから、あのリストを僕に寄こした。」

 

 ひょっとしたら、

 原田さんは、親のひいき目なしに、

 娘の才能を見取っていたのかもしれない。

 

 ……あはは。

 僕が、一番凡庸なわけだ。

 認めたくはないが、わかりきったこと。

 

 「会ってみて、いいと思うよ。

  実の父親のお知り合いとしてでもいいわけだし。」

 

 「……。」

 

 そうすれば、

 思ったよりも早く、プロのほうへ引き渡せる。

 柚木さんの才能を、十分に伸ばせる布陣を整えられる。

 

 「啓。」

 

 ん?

 

 「ココ。」

 

 ……ん?

 なに、ひとさし指なんか

 

 

  <に>


 

 ……

 

 ん???

 

 「啓も入ってる。

  当然。」

 

 え゛っ。

 

 で、でも、

 僕はほら、ただの素人で。

 それこそ、付き添いの価値もないよ。

 

 「柚木絃、一人だと無理。

  たぶん、口も聞けない。」

 

 あ。

 あぁ……。

 それはまぁ、確かに。

 

 って、

 なんか、唯、

 めっちゃ悪い企み顔してない?

 

 「……兆が一、デビューしても、

  私、この部屋から通いますからね。

  外泊許可証、あるんですから。」


 「むぐっ!?!?」


 あ。

 やっぱりそっちだったか。


*


 驚い、た。

 

 「あぁ、こっちこっち。」

 

 黒縁の眼鏡、デコボコの肌に無精髭。

 決して高いとはいえないストリート系の服をだらしなく羽織っている。

 ただの草臥れた冴えないサラリーマンの

 うらぶれたプライベートにしか見えない。


 それに、

 指定された場所が。

 

 「あはは。

  オレ、結構好きなんだよ、ココ。」

 

 国民の大半が知っているチェーン系イタリアン。

 お財布への優しさから制服カップルのデート先でも利用される。

 

 この人が、スリーピースのスーツをびしっと着こなし、

 満員のアリーナを揺らす国内最著名のプロデューサーだと、

 寝ているだけで、版権収入が1日300万円は入ってくる人だと、

 誰が思うだろう。

 

 「けっこういい服。」

 

 え。

 そ、そうなの?

 とてもそうは見えないけど。

 

 「でも、ダサダサ。」

 

 ……唯っ。

 

 指定時間が夜だったから、

 思いっきりついて来られちゃった。

 まぁ、唯は今回、関係者そのものだけど。

 

 「はは。

  正直なのはいいことさ。

  

  で、きみが。」

 

 「……春日啓です。

  寺崎謙次郎さんを手掛けられた方に

  お会いできて光栄です。」

 

 「あはははは。はははは。

  なんでそんなこと知ってんの?」

 

 「父が好きでしたから。

  部屋にCDがありました。」

 

 「ああー。えぇー?

  っていうか、お父上、何歳?」

 

 「48歳です。」

 

 「うげ。おわぁ。

  2つ下じゃん。

  っていうか、あぁ。わりと遅めなんだ。」

 

 「はい。」


 「あはは、そりゃ楽しい。

  で、そちらが。」

 

 「……ゆ、柚木絃です。

  よ、よろしくお願いしますっ。」

 

 「あぁ、うん。

  今日はありがとね、来てくれて。

  フラれちゃうんじゃないかってビクビクしてたよ。

 

  はは。

  っていうか、あぁ。

  え? あれ?

  めっちゃ若いね、きみら。」

 

 いまさらかいっ。

 

 「だってさ、最初の話題が寺崎さんじゃ、

  オレの頭の中の時系列も狂うよ。」

 

 好きなんだけどなぁ。

 

 「うーん。

  あー、

  うわ。正直ちょっと、

  いや、かなり予想と違った。


  っていうかさ、

  え、だって、

  あ、あー。あの人老けてるだけかよ。」

  

 なんか勝手に盛り上がってるな。

 こういうタイプの人なのか。

 

 「うわ、え、

  この歳でやったの?

  すっげぇな。

  

  こっれはおもしれぇなぁ。

  スポンサーの会食飛ばしてよかったよ。

  はははは。

  

  で、きみは?」

 

 「アートプロデューサーです。

  Yzkの名はご存知ですか?」

 

 「え?

  うーん、ごめん。

  さすがに知らない。

  

  あ、

  あー、

  あのCG、か。」

 

 ほんと、勝手に気づくなぁ。

 頭の廻りが違う意味で早い人だ。

 

 「はい。」

 

 「あー、

  きみが作ってるのか、あれ。

  あれもうプロ級だと思ったけど。」

 

 もう半分プロみたいなもんだよ。

 

 「ふぇー。なんだよそれ。

  え、じゃ。

  

  っていうか、

  きみら、いくつ?」

 

 そういう情報、予め集めてないのか。

 意外だな。

 

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