第8話


 「ただいま、啓。」

 

 「おかえりなさい、父さん。」

 

 「はは。

  明後日には戻るんだけどね。」

 

 「うん。」


 本社の連絡会議が、どうしても対面であるらしい。

 父さんにとって迷惑な話だろうけど、僕にとってはありがたい。

 

 「随分、面白い同居人がいたようじゃないか。」

 

 「同居はしてないって。

  泊まりにはならないめぐみの家に送致ようにしてたから。」

 

 「ふふ。

  向こうがそう思ってるかな。」

 

 「どうも思ってないよ。

  そういうんじゃないから。」

 

 「はは。

  ま、その娘のこと、うまくいってよかったよ。」

 

 原田重彦さんは、

 電光石火の素早さで、柚木絃さんを認知した。


 と同時に、義理の毒親に対して親権停止の申し立てを行った。

 長年の実子虐待を巡って民事訴訟も辞さない構えらしい。


 「刑事は被害者側の立証責任を巡っていろいろ難しいし、

  民事でも支払い能力はないだろう。

  ただ、二度と寄り付けないようにはなるだろうね。」


 付け入る隙がないことが分かれば、

 よほどの狂人でない限り、タカろうとはしない。

 筋力ムキムキのタンクトップに路上でぶつかろうとはしないだろう。

 

 「父さんが雇ってくれた興信所の人の調査が効いたよ。

  ありがとう。」

 

 「はは、良かった。

  信用の置けるところだから、心配はしていなかったが。

  原田さんが、5倍払うって言ってきて吃驚したよ。」

 

 あぁ。

 それくらいの経済力はあるわけか。

 それなら、柚木さんを安心して預けられる。

 技術的には申し分のないパートナーになりえるし、

 なにより、血の繋がった実の親だ。

 

 「勿論、断ったけどね。

  もともと、帰ってくる性質のものじゃない。」

 

 うん。

 ほんと、まともな大人頼るべし、だよなぁ。

 唯の時もいろいろあったわ。

 

 「お茶漬けでいい?」

 

 「あぁ、ありがたいね。

  啓の作るお茶漬けは、

  地球上のどの料亭よりも美味しいよ。」

 

 僕にその手のおべっかを使ってもなにも帰ってこないのに。

 母さんに毎日言ってるんだろうなぁ。


*

 

 それにしても。

 

 「家、近かったんですね。」

 

 「同学年ですから、

  敬語は要りませんよ?」

 

 Ain_T、こと、豊原佳澄さん。

 18歳だが、休学期間があるので、僕らと同じ学年になる。

 

 「めぐみちゃんに気付かれなければ、

  私は、ずっと、部屋から出られませんでした。」

 

 (私、

  こっちの低音の、知ってる気がするの。)

  

 小学校の頃、団地で近くに住んでいたらしく、

 集団登校の際の歌声を聴いていたとか。

 あいかわらず変なところで記憶力がよく、行動力が異常に高い。

 

 ちなみに、豊原さんを虐めていた連中は、だったらしい。

 なんていうか、いろいろなボタンを掛け違った感じがする。

 

 まぁ、実際、中性的な顔立ちだけど、

 所作振舞も全然、女性寄りなんだよな。

 

 「……Ain_Tも、

  ほそぼそと続けたいとは思っています。」

 

 そうなんだ。

 登録者数、1万5000人だっけな。

 

 「あのコラボ以降、いろいろお話を頂いていますが、

  あんなにしっかり打ち合わせもしませんし、

  練習なんて、長くて二日くらいです。」

 

 まぁ、そういうところ、あるんだろうな。

 お互いに数をこなすって感じなんだろうから。

 コンテンツが弱いなら、継続的に動画を出したほうが視聴者は繋ぎ止めやすいし、

 どんな内容であれ、回数さえ廻れば、収入は得られる。

 

 「……

  その。

  もし、よろしかったら、なのですが。」

 

 ん?

 

 「その、

  春日君の、ご自宅で、ですね。

  マイク、ま

  

 ……

 って。

 

 え?

 

 「柚木、さん?」


 「うん。」

 

 どうしたの?

 原田さん家に引っ越したんじゃな

 

  『外泊許可証明証』

 

 ……は?

 

 「貰った。

  実の父親の許可だから、

  なんにも問題、ないよね。」

 

 う、うん。

 それはまったく、なんにも。

 

 じゃ、なくて。

 

 「……さん、やっぱり忙しくて。

  私の宅録に付き合ってくれる時間、あんまりないんだって。」

 

 そ、そうなんだ。

 それはまぁ、プロだから

 

 「それと、私の新しい部屋、

  君の部屋に比べて、音響があんまりよくなくて。」

 

 え?

 プロの部屋なのに。

 

 「仕事部屋は別なの。

  そっちはいいんだけど、そっちはほんとに業務用なの。」

 

 う、うーん。

 

 「だから、

  だからね、啓君。

  私、こんどこそ、け

 

 

  「約束が違う。」



 は?

 え?

 

 うわっ!

 い、いつのまに。

 っていうか。


 「唯。いいの?

  まだ太陽出てるけど、

  溶けるんじゃないの?」

 

 「もう黄昏時。

  ぎりぎり、吸い取られない。」

 

 そういう感じなのか。

 設定なのかリアルなのか分からないな、相変わらず。

 

 「え、

  その、

  まさか、

  あ、あ、あの御方って」

  

 あぁ。

 そういえば、Ain_Tさん、Yzkのファンだっけ。

 顔出しとかしてんのかな、唯。

 

 「30代主婦っていうから、あのガワ、描いた。

  父親と再会したいっていうから、後ろから手を打った。

  あの曲、tek沼でバズらせたのもわたし。」


 「!」


 あ、あぁ。

 あれやっぱり、誰かがなんかしたと思ったけど。

 

 「あれはいい曲だから、いい。

  でも、話が違うのは、駄目。」

 

 というと、

 滅多に外に出ない筈の唯は、

 想像よりもしっかりした足取りで僕に近づいて、

 

 え゛

 っ!?!?

 

 病的に美しい、ふっくらとした白い肌を黄昏に焼きながら、

 唯は、僕の唇を濃厚に奪ったあと、

 固まる二人に、向き直って。

 


  「啓は、ずっと、わたしのモノ。

   誰にも、絶対に渡さない。」

 


 唯が碧眼を見開きながら、二人を鋭く睥睨する。

 息を呑んで固まる豊原さんとは対極的に、

 柚木絃さんは、黄昏を浴びて輝く唯の碧眼に、

 自らの端正で儚げな容姿を映し取らせながら、



  「大変申し訳ありませんが、

   それは、私の台詞です。」

 


 世界中から、あらゆる振動音が消えた。

 まるで、黄昏に吸い込まれたように。

 

 

襲われそうになっていた底辺歌い手を支えたら、修羅場が待っていた

本編修羅場へ続く)

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