第3話
今週の図書委員の作業も無事に終わった。
校舎を出ると、柚木さんと僕は、それぞれの家路に向かう。
「……
その。」
ちょっと荷物の多い柚木さんが、
別れようと手を振る直前の僕を遮った。
「……
あ、あのっ
そ、そのっ。」
……
なにか、言いたいことがあるのだろうか。
「……
あ、あの、
その、
へんな、へんな意味じゃ、なくて、
その。」
?
あ。
髪に隠れた首筋が、真っ赤になってる。
「……ちょっと、落ち着こうか。」
「う、うん……。」
空はもう黄昏が覆っていて、部活の練習の声が、遠くに聴こえる。
報われるかどうかも分からないのに、
こんな夜まで練習してるのは、単純に偉いものだ。
「……
あの、ね。」
「うん。」
「その、
あ、あいつが、来るの。」
あいつ。
「……
今日、GⅠレースの日なの。」
GⅠ?
「……
その、け、競馬の。」
あ、あぁ。
柚木さんの口から、競馬の話を聞くとは。
「……
GⅠレースの日、もの凄い暴れるの。
部屋のもの、また、みんな壊れる。」
え。
じゃ、じゃぁ。
「……
機材は、
昨日のうちに、学校に置いといたの。」
……。
あ。
急に慌て始めた。
機材を逃がしてホッとして、
柚木さんの性格なら、ありえる。
「……
わかった。」
……手続き的には、またしても犯罪者予備軍だな。
保護者の許可なく外泊させるわけだから。
これは、ちょっと、やっかいな話かもしれない。
まぁ、いいか。
柚木さんの歌声、震えるくらい『本物』だから。
*
「え゛」
うん。
「そ、それは。」
結論。
いまのID、絶対に消したほうがいい。
「だ、だって、昨日。」
そう、言ったんだけど、
再検討してみると、
「セキュリティ的なものもあるんだけど、
それよりも、このID、機能的に死んでる。
伸びにくい。」
「……。」
「このID、キャラクターがないし、
まんべんなく歌いすぎてる。
それと、機材が悪すぎるし、音響も悪い。」
マイクにノイズが入ってるし、部屋の残響音で籠ってしまっている。
せっかくの声が、伸びない。
「……。」
髪を下したまま俯いて、くっと唇を噛んでる。
いかん、言いすぎたか。
「柚木さん。」
「……。」
あぁ。
ちょっと、狡い言い方しか残ってない。
「……
僕を、信じて。」
「……。
……。
……
いやだ、って言ったら。」
「別に?
そのままだよ。」
「ここ、追い出すとか。」
「それは別次元の話でしょ。
そんなことくっつけはしないって。
まぁ、その次元で言ったら、
常識としては、女子の友達の家に
「どんなIDにすればいいの?」
あら、急に。
まぁ、狙いからすれば。
*
「……こ、これって。」
うーん、さすがは唯。
1週間で作っちゃったよ、ホントに。
また直射日光に当たらない生活してたんだろうな。
「いわゆる、ガワ、ね。
表情や仕草のパターンは後から増えるみたいだけど。」
康達の
それがどこへどう流れてどう使われるかは、こっちは関知しないけど。
アングラなものへは出さないと言ってはいるけど、
唯とは常識が違うからなぁ。
「イメージとしては30代前半、
きれいめ若作り主婦さんのほのぼの自画像って感じ。」
「……。」
「柚木さんに見えないでしょ。」
「う、うん。」
「でも、柚木さんの要素は入ってるらしいよ。」
「?」
そんな顔されても困る。唯のことだから。
っていうか、ただ髪あげてるだけで美少女なんだよな、この娘。
二重瞼だし、瞳の形もいいし、睫毛も少し長めで自然にカールしてる。
パーツがこれだけ整ってるなら、手を入れたら凄いことになりそうだけど。
おっと。
いまは、中じゃなくて、ガワの話。
「さて。
殴り込みをはじめようか。」
「え゛!?」
ちょっと表現が過激すぎたか。
*
『御園詩姫』
「御園は、みそじ。
でも、三十路と読ませない。」
Utaだと、全然差別化できない。
同じようなIDだけで数件あった。
「……。」
「まぁフリートークは当分先だからいいけど。
で。」
「……。」
「母さんの部屋に、機材を置く。」
「え゛」
「たぶんだけど、
いままで、
一人だけで。」
「……。」
なんていうか、あわあわしながら機材置いていく
背中を丸めた柚木さんの姿が目に浮かぶ……。
「そのたびに画角がずれて見づらくなる。
集音も怪しくなるしね。」
「……。」
「だから、
恒常的に、カメラと、備え付けのマイクを置く。」
今日び、国産じゃなければ、
そこそこの性能のマイクがそれほどの高値でなく手に入る。
プロになるわけではないから、お手頃感を優先すべきだろうな。
安いやつでもリフレクションフィルターがついてるだけでだいぶん違う。
「母さんに言ったら、
部屋、使っていいってさ。
当分、帰れないらしいから。」
「え゛」
「柚木さんのことは伝えてない。
友達と一緒に、くらいにしかね。」
「……。
とも、だち。」
「違うの?」
「……
う、うう、
う、ううんっ。」
?
「じゃぁ、それで決まりかな。
あぁ、部屋の使用料は頂くから。
後払いで。」
「あと、ばらい。」
「うん。
ちゃんと収益があがったらね。」
「……だって、著作権が。」
うん。
改めて調べたよ、この件は。
「向こうは
収益そのものに手をつけたケースはあんまりない。
それに、版権者が動画サイトにクレームをつけてくるのは、
基本的には、本人歌唱の無断アップが主で、
それ以外のものは、相手方を刺激しない限りは黙認になってる。
向こうからすれば、宣伝してくれてるわけだから。」
そもそも、metubeと包括契約してる場合、
原音源でなければ「歌ってみた」系は問題はないはず。
実際はめっちゃCDから抜いて出しちゃってるんだけど、
それでbanされた例ってあんまり聞いたことない。
まぁ、向こうのbanの基準はとても曖昧だから、
こんなの、本業にしないほうが絶対いいんだけど。
「……。」
あぁ、真面目だなぁ。
絶対的にネットに向いてないな柚木さん。
どうしてこんなのやろうと思ったんだろう。
まぁでも、こっちがやろうとしてることって。
「で、柚木さんのキャラね。
さっきも言ったけど、30代前半女性、主婦。」
「な、なんで?」
「声質。」
「?」
「動画、一通り見たんだけど、
柚木さんの声は、低音域、胸音で一番深く伸びる。」
低音域の倍音が、めちゃ深くて、めちゃくちゃ色っぽい。
いわゆる美人声ってやつ。
「……。」
逆に、いま流行りの高音域、
コケティッシュなファルセットとかは、いまいちなんだよな、残念ながら。
夜に沈めないタイプ。
だから、こそ。
目的には、合致してる。
「柚木さんはさ、
『この曲』を広めたいんでしょ?」
「!
……
うん。」
この曲。
Utaが、無意味に3回もアップしていた曲。
3つの動画で総アクセス数147という地獄の底辺っぷりだが、
この曲は、柚木さんにとって、
なにか、大切な意味があるのだろう。
「だったら、
このステップは、絶対にいる。」
……ひとごとなのに、何か、楽しくなってきてる。
いかんいかん。あくまで無償サポート。
ミッション終わったら放す。そう、決めとかないと。
「……。」
ん?
「ううん。
……
わかった。
春日君の言うこと、ぜんぶ、やる。」
うわ。
髪の奥の瞳、ギラっと輝いたよ。
本気、なんだ。
「よし。
『御園詩姫』、始動だね。」
「……あの。
みそじ、って言わなきゃダメ?」
ダメ。
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