夜明けの海


 明け方の海水浴場で成人男性二人が波をかけあっている様子は、さすがに少し目立ったかもしれない。


 そう思えたのは疲れ果てて砂浜に座り込んだあとで、しかし周りを見てもいまはサーファーしかいなかった。

 同じようにぐったりと隣に座る趣里が言った。怒っている。


「ていうか、本当にさ? やめてね? 言葉足らずすぎるメッセージを残して深夜に消えるの。ふと起きて通知に気が付いたおれの気持ち考えてね?」


 冷静になって思い返すと、確かに意味深なメッセージだったかもしれない。

 悪かったと言うと、それだけで許す甘い趣里は、声音を戻した。


「香澄さんが教えてくれたんだよ、ここ」


 そうだろうなと思う。趣里はここに西川の墓があることなんて知らなかったはずだ。


「西川くんのお墓ってどこですかって聞いて」

「なんで奴の墓だと思ったんだ」

「はじめは大学にあるっていうイチョウの木かと思ったけど。こんな時間はもう閉まってるだろうし。そうなると君をよく知らないおれはもうお手上げで、豊田くんに聞いても香澄さんに聞いても心当たりはないって言われて。じゃあもう、こういうとこしかないでしょ」

「心配しなくてもちゃんと帰った」

「そんなことおれには分かんない。あんなメッセージ信用できない」


 ぴしゃりと言われてしまう。いつになく、苛ついた口調だった。趣里にはとってはそうだろう。まして亡くしたひとがいるのだ。悪いことをした。


「なんでここに来たの」

「言ったろ、話しに来ただけだ」

「西川くんはなんて?」

「……なにも」


 奴は、なにも言わなかった。

 当然だ。死んでいるのだから。


 俺は砂浜に寝そべった。空は灰色が追いやられ、薄い紫からだんだんと橙になる。

 夜が明ける。


「来たくなかったな、ここ。お前と。ていうか、誰とも」

「おん? なにゆえ? ああ、西川くんとの思い出の場所だから?」

「まあ、そうだよ」


 奴が死んだあと、香澄さんに聞いたことがあった。奴はそんなに、海が好きだったんですか、と。

 香澄さんは不思議そうな顔をして、「嫌いじゃないと思うけど、そんなに好きだったかしら」と言った。


 思い返せば、高校のときは連れてこられなかった。大学に入ってから、それも三年に入ってからのことだ。


「奴は、海が好きで。ことあるごとに俺と来たがった。でも違ったんだ」


 言ったことがあった。

 昔、俺がまだ小学生だったころ。家族で海に来たことがあった。父は珍しく機嫌がよくて、母はそれに安心して穏やかだった。張りつめていない空気は俺にとっても安心で、それが記憶に残っていると。

 数少ない家族の思い出で、楽しかったと。

 ふたりきりだった大学の談話室で、なにかの折に、そんな世間話をしたのだ。


「奴が好きだっただけじゃない。俺のためだった」


 奴と見た夜の海は、真っ黒で。晴れた夜空も同じように暗く。砂浜だって暗闇に沈んで。

 なにも見えないのに、なにも見えなくていいと思った。奴が隣にいて笑っているそれだけが、その場の幸福をつくっていた。


 それがあまりに美しく。

 二度と見たくないと思った。


 あれ以上はない。なくていい。奴との記憶を上書きするくらいなら、今が最上のままがいい。

 見たくなかった。誰とも。


「そんなとこに、おれと来ちゃったわけだ」

「勝手に来たんだろ、お前が」

「まあそうだけど。目でも瞑ってようか?」

「そういうことじゃねえから」


 ――あれ以上愛されることは、もう一生ないだろう。


 夜が明けるのだと、思った。

 なにを拒否しても、どれほど嫌でも。


 新しい、朝が来るのだ。

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