刻まれたもの
「大丈夫か?」
隣に座る
うん、と答えたけれど、ちゃんと笑えていただろうか。声は、震えていなかったかな。
そんなことを気にしている時点で、大丈夫ではないのかもしれない。
父に会いに行ったのは、病院に人の少ない、平日の昼間だった。
計画を新矢に話したら、おれも行くと言ってきかなくて、オープンキャンパスもないのにここまで来てくれた。お願い通り来てくれたふみくんと一緒に、待合のベンチに座っている。
兄には、ここに来ることを話していない。
きょうはお休みだからこっちの家には来ているけれど、嘘をついて一人で出て来た。
夏祭りでかけてくれた
新矢のくれる優しさも、お兄ちゃんがくれた安心も、私は取り溢してしまう。
どれもうまく受け取って、力にすることができない。
私が弱いから。
強くなる必要がある。ふみくんがふみくんのお父さんに会ってあらゆるものと決別したみたいに。
父に、会って、話して。なんでもないって、もう怖くないんだって、理解する。
母が言うには、父はいま、毎日リハビリに出かけているのだという。理学療法士さんと一緒に、病院の外に出て歩行訓練をしている。まずは、でかける父の姿をここから見る。それで大丈夫そうなら、病室へ行って話す。
まっさきに病室に特攻しようとしていた私に、ふみくんが提案したのがそのルートだった。
待合の隅に立って、父が通るのを待つ。
緊張して動悸がする。許されるなら、もうここから立ち去りたい。会いたくないし見たくない。想像するだけで怖い。
それでも。
強くならなければならない。
弱い私は、それでも。
普通になりたい。
普通に、学校に通って。
普通に、同級生と話して。
普通に、体育の授業でダンスをして。
普通に、体調をくずさない夢を見て。
そして、彼と、恋がしたい。
私は――、
――その姿を見た瞬間、本能が悲鳴を上げる。
父は、病院のスタッフらしき人に連れられて、歩行器で少しずつ歩いて来た。
覚えていない。
なにも、覚えていない。
それなのに覚えている。顔や身体ではなく、感情で覚えている。
――私は、ただ、怖かったんだ。
頭に怒鳴り声が響く。あらゆる記憶が舞い上がって、落ちないままずっとそこにある。
瞬間的に心拍数が跳ね上がり、息が浅くなる。急激に不安が襲ってきて、心をやすりでけずりあげられているような感覚が、せり上がる。
私は走り出していた。
待合を抜け、自動ドアをくぐり、病院の外に出たのはいいけれど、そういえば父も病院の外に出てくるのだと思ったら、どうすればいいか分からなくなって、とにかく走った。
後ろで私の名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、振り返りもせずに、ただ、逃げた。
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