小指で繋がる



「お兄ちゃんなんっにも変わってない!」



「いやほら、心配なんだって。たったひとりの妹なんだし」

「だからって、ふみくんを使わなくたっていいじゃない!」


 電車に乗って最寄りについて、家までの帰路をこうして行くあいだ、私はひたすら新矢に愚痴っていた。


 ふみくんと新矢から全部聞いた。ふたりをファミレスに呼びつけたこと、ふみくんに頼んで、私を見ていてくれと頼んだこと。

 ふみくんは最初だけ見てあとは放置してくれたみたいだけど、そこが問題なわけじゃない。


「おれもけられてることまでは知らなかったけど……お兄さんと会ってたのを豊田に黙ってたし。坂田さんも『頼まれて承諾した俺も悪い』って言ってたし。お兄さんだけが悪いんじゃないから。おれも、ほんとごめん」

「でも発端はお兄ちゃんでしょ」

「そうなんだけど……」


 かれこれこんな問答を五周くらいしている。いい加減収めよう。本人に言わないとどうにもならない。家に帰ったら電話しよう。


「お兄ちゃんになにかされたら言ってね」

「大丈夫だよ。おれら案外仲いいから」

「そうかなあ?」


 あんまりそんな感じには見えないけど。兄はあまり新矢と話したがらないし。話したがらないのに、突然ファミレスに呼びつけるし。

 なに話したか、詳しくは知らないけど。


「あ、家ここ。ありがと」

「うん」


 敷地の前で止まる。なんだか名残惜しい。

 泣いてしまったからお化粧はちょっと崩れてしまったし、慣れない浴衣はやっぱり窮屈だ。

 魔法は、もう切れかけ。


「楽しかったね」

「うん。ありがとうな」

「こっちこそ。また行こうね」


 新矢が、小指を立てた右手をこちらに差し出してくる。首を傾げると、なぜか彼は嬉しそうに笑って、指切り、と言った。

 こどもみたいだ。


 やっと触れられるようになった小指同士で、私と新矢は指切りをした。


「じゃあ」

「気を付けてホテル帰ってね」

「うん、大丈夫。じゃあ、玄関入って? 見届けてから帰るから」


 心配性だなあ、と笑って照れを隠して、私は玄関に入る。

 扉を締める最後の一センチまで新矢を見ていたら、彼はずっとこちらに手を振っていた。

 扉を締め切って鍵を掛ける。一気に緊張が解けて、長い息をついた。


 浴衣の返却は明日でいいと言われている。きょうはもう、すぐに脱いでお風呂に入って眠ってしまおう。

 そう思って子ども部屋に上がろうとしたら、台所からお母さんが出て来た。


「涼花、おかえり」


 背筋に、先ほどとは別の緊張が走る。

 兄はもう帰ってしまった。ふたりきりはまだ、全然慣れない。それは母も同じのようだった。

 ぎこちなく、私は笑う。


「ただいま。えっと、お風呂入ろうかと思って」

「そう。楽しかった?」

「うん。お兄ちゃんもね、いつも同じこと聞くよ」


 親子だね、と続けようとしたのだけど、やめた。存外、母は複雑そうな表情をしている。


「晩御飯は? お腹空いてない?」

「うん。たくさん食べた。お風呂入って、もう寝るね」

「あのね、涼花」


 母は、なにかを言いたそうにしている。けれど言いにくそうに唇を歪めた。

 思い出した。母は、言いにくいことを言う前に、こんな表情をするのだ。父にも兄にも、私にも。


「なに?」

「もう少しだけ、長くいられない?」


 滞在予定は二週間。まだ、半分も過ぎていない。

 兄のいない日を待っていたかのようだった。邪推かもしれない。でも、ずるいよ、と思う。

 兄がこれを聞けば、母と喧嘩をしただろう。それを、母は避けたのだ。


「……考えとくね」


 母は、寂しいのかもしれない。長年一緒にいた父と離れて一人暮らしみたいになって、寂しさに耐えられなくなったのかもしれない。

 だから私を呼んで、私と生活したいのだろう。

 それに対しても、ずるいよ、と思ってしまう。


 階段を上がる。

 子ども部屋にはいって扉を締めてから、また長い息をついた。


 寝る前にスマホをみたら、新矢からのメッセージが入っていた。


『ホテルついた』


 自然と笑顔になる。

 スタンプで返し、枕元に置く。新矢のことを考えると、小指を意識させられる。


 男性教師がいれば泣いて、ダンスの授業で近寄られるのも駄目だった私が、やっと触れた小さな指。

 新矢のそれはびっくりするほど大きくてやっぱり怖かったけれど、感じる温かさがそれ以上の安心をくれた。


 もっと。

 私はもっと、近くにいたい。

 彼と恋がしたい。


 ……だから。


 でも、と決意が揺らぐ。私は目をつむって、また考えた。

 弱い私とは、さよならするんだ。

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