第9話 柊葵はかく笑へり
『秋葉君、君はもう今後一切こちらに来ないで。書くことも創ることも諦めた君がここに居ても、君を、そして君を信じてくれた誰かを傷つけるだけだよ』
懐かしい声が聞こえる。飛鳥井先輩の声だ。
誰にでも等しく優しかった先輩の口から初めて聞いた拒絶の言葉。
あそこまで、俺のことを期待してくれていた先輩に、ここまで言わせるのだ。ほんと俺の無能っぷりが思い出させられる。
先輩、やっぱりあなたは正しかった。
もっと貴方の忠告を聞き入れれば良かった。
結局五年前と同じになってしまった。
先輩の期待に沿えず、そしてまた俺を信じてくれた彼女の期待も裏切った。
俺のせいで誰かを傷つけるばかり。
ほんと何も成長してないですね俺。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
俺はこれが夢の中だと気づきながらも、いまだ脳裏に焼き付いている先輩の顔を思い浮かべ、彼女に泣きながら何度も何度も謝った。
酷く冷たい雫だった。
* * *
2024/04/08 12:30
「で、貴方はこうして部屋の隅っこでうじうじしていると・・・もう一度言ってもいいかしら?貴方馬鹿なの?」
俺の部屋の中。そこには、一つのテーブルを三人で囲む俺と葵、茅野の姿があった。
仲良く雑談―という雰囲気ではないけど。
先ほど美雪と雑談していた時の喫茶店の雰囲気はとっくに消え、この高圧的な態度で俺を問い詰めてくる茅野を見るに、さながら取調室だ。もしくは圧迫面接。
お前、今の時代それやったらコンプラ的にアウトだからな。警察でも緊取みたいに可視化されてきているし注意しろよってか腹減ったしかつ丼出せやい、なんて内心ブーブー不満を垂れ流す。ちなみにリアルの取り調べだと利益供与にならないようにかつ丼は自腹らしい。なんと夢のないことだろうか。
にしても、まさか俺の部屋でこんなことになるとは・・・
時は三十分遡ることになる。
美雪が帰るのを見届け、俺はベッドに横たわった。
軽く休むだけのつもりが、疲れが溜まっていたのか完全に寝入ってしまったらしい。
茅野と葵がチャイムを鳴らしても出てこない俺に、電話をかけ、その着信音で俺は目覚めた。で、そのあと俺は玄関のカギを開けたのだが・・・俺の顔が相当酷かったらしく、こいつらに問い詰められることとなった。
後で聞いた話だが、泣き顔のように目じりは赤く、顔色は酷く青かったらしい。何か悪夢でも見たのだろうか。
で、こうして恥辱に耐えながら、今日の朝から今までの成り行きを語ったのだが・・・このように罵倒されていると。
まぁ、あそこまで美雪に諭されたのに、頑なに美雪の誘いを断り続ける俺は傍から見ればどうしようもないバカ野郎に見えるに違いない。
若しくは、叱咤激励しようとしてくれているのか。
とにかく批判は甘んじて受けるとしよう。
「今は小さくてかわいい奴の方が人気なのよ。すみっコに居ちゃダメじゃない」
「・・・」
俺は黙る。
葵の方は笑いを隠し切れないのか、俯いたままだ。おい、お前聞こえたぞ、お前のぷって笑い声。もう少し隠す努力をなぁ・・・
にしても茅野さん。なんか流れが六十度ぐらい変わってきませぬか。
よくよく考えたらよ、普通俺を慰める所じゃないの?
『大丈夫、貴方は悪くないわ、私がついているもの』
みたいなことを言えとは言わないけどさ。
もう少しこう傷心中(自業自得だが)の秋葉君を慰めたりしないものかね。
てかさ君。もしかしなくても、この状態の俺にツッコませようとしているよね。
俺は絶対にその誘いには乗らないぞ、と目で茅野に訴えかける。
無言の抵抗というやつだ。
あなたの思い通りにはならないわよ!
彼女は俺の視線に気づいたのか、ちらっとこちらを見るも、すぐにぷいっと目を反らす。
「・・・すみっこにいちゃダメじゃない」
あーうん、壊れたロボットかゲームのNPCだね!
んなことより、俺の無言の抵抗にそう返してきたか・・・
今ので最初のやつにツッコむための間と雰囲気が無くなったじゃん!
難易度爆上がりだよ!
あと、葵。お前笑いすぎな。あとでお仕置きじゃけん、覚悟しとっちょ。
誰も発しない静寂がまた一秒ずつ経っていく。
どんどんツッコミずらくなってきた。
・・・あーーーもう、分かった、分かりました。ご期待に沿ってあげますから。
「すみっこに縮こまってんだから実質ちいか〇と同じだろ。っつーか両方可愛くて俺は好きだぁぁぁ!」
しーんと静まり返る。笑い声が起きない。それどころか、可哀そうなものをみるような視線が感じられる。
うーん微妙、二十点。赤点確定だな、なんて自己分析を行うも、それは恥ずかしい気持ちを抑えるための方便でしかない。
もうやだぁー、家に帰りたいよ~おかあさーん。まぁここが家なんですけど。
素人がツッコみを急に入れると、こう全く面白くもない結果となるから嫌なんだ。
茅野もう少しツッコミしやすい振りフリを出せっての。
とはいえ、最初は真顔だった茅野は、少し経ってからは少し頬を緩める。その様子を眺める俺も少し気が楽になる。
普段のこいつなら「清十郎、それつまんない」とか平気でダメだししてくるあたり、今日は判定がかなり緩めだ。
もしかしたら、こいつ自身、俺の答えなぞ気にしていないのかも知れない。
ただ俺が本調子に戻るために芝居を打ったのかもしれない。いつものようにツッコませておけば勝手に立ち直るでしょと。
・・・いや、それはないか。俺の勘違いだろう。
誰も彼も俺を気にしてくれているなんて、思い上がりもいいところだ。
推測の域を出ないし、俺に都合のいい妄想でしかない。
そもそも俺は小中高と勘違いの連続ばかりしてきた道化師だぞ。
女の子に好意を持たれていると勘違いして告白し、こっぴどく振られたこともあった。
自分に才能があると勘違いして糞みたいなシナリオを作り、先輩たちの作品に泥を塗った。
挙句、そんな俺を信じてくれた人達に、秋葉清十郎は出来る男だと勘違いさせ、先輩の、美雪の信頼も期待も全て裏切った。
自分を傷つけ、あまつさえ他人も傷つけてきた。
俺が自分に己惚れて、勘違いを起こさなければ全て上手くいったはずなのに。
誰も悲しそうな顔をしなくて済んだのに。
今さっきもまた、俺は凝りもせず勘違いを起こすところだった。
結局俺はいつまで経ってもガキのままで、何も学んでこなかったのだろう。
自分の無価値さを。罪深さを。
俺は俺が嫌いだ。
* * *
「俺の妹がお前に迷惑かけたようですまなかった」
俺の対面に座る葵はしゅんと肩を落とし、謝罪の言葉を述べる。
いや、ほんと頭を上げてほしい。俺が何かされたわけでもあるまいし。
ただちょっと怒鳴られただけだ・・・ちょっとかは自信ないけど。
「いや、そもそも俺が美雪さんの提案を拒否したのが悪かった。それに美雪さんは、最後の最後まで俺を責めることはなかった」
まぁ、連日押しかけてくるのは流石にビビったけど、と笑いながら伝える。
とはいえ、押しかけてきたといっても宗教勧誘と新聞勧誘のような、対応するのが苦痛なレベルではなかったし、全然気にしていない。
そもそも俺は神なんて信じてねぇって。信教の自由は神を信じない自由も認めてくれているっての。
経典読む前に、六法と判例でも読んでろ。難しかったり、嫌だったら芦部憲法でもいいからさ。
「そう清十郎が言ってくれると俺も助かる・・・」
葵は歯切れが悪い。いつものコイツならここらへんで何か下ネタぶちかましてきそうなところなのに。
「あのな、俺からこれを言うのも心苦しいんだが、少しいいか?」
やはり浮かない顔を浮かべる。
いつもの癪に障る、イケメンのニヤニヤ顔はどこに行った?
調子が来るから辞めてくれ。
「どうした、お前らしくない。はっきり言え。下ネタ以外なら何でも大歓迎だぞ」
「そうか、それならうん。それなら言わせてもらうか」
葵は一転、かんきつ類の薫りを香らせ、にこやかな笑顔を見せる。
それは並みの女ならすぐにその色香に惑わされそうな程だ。
俺はごくりと唾を呑み、葵の方に目を見据える。いや、目を反らすのを許されなかった。
おい、辞めろ。これ以上そんな顔で見つめられると、こっちが変な気分になるだろ。
ふぅと艶美な風情で息を吐く姿はエロティックで、俺はゾーニングされた暖簾を潜り抜けるように感じる。男の娘でもないのに、ここまで俺に倒錯的な感情を抱かせるとは・・・これが男の大人の色気というやつか。
葵は俺の心を知ってか知らずか、少し間を開ける。
「なぁ清十郎、俺の
彼の声は、この静まり返った部屋の中でよく響くこととなった。
その笑顔に似つかわしくないドスの利いた声と言葉に俺は慄き、考えるのをやめた。
そこにはまだ俺も知らない
* * *
「聞いてんのか、清十郎?」
第二声を聞いた瞬間、俺ははっとスリープモードから解除し、そして即座に察知した。
こいつ、
流石兄妹。性格だけじゃなく、怒り方まで一緒とは恐れ入った。
なんて、対面に座る怒りの表情を見せる友人を目の前に、頭の中で分析できているのは、先ほどその妹さんに、反論どころかぐうの音も出させない程完璧に言い負かされ、もう抗う気にならないからで、俺が冷静沈着な凄い人という訳ではない。負け犬根性ここに御披露目ってな。
そんな俺が冷静沈着なんて誰も思ってないだろうけど。
「え、えっとさっき謝ってくれませんでしたっけ?」
「それは。一人の兄としての立場から誤ったに過ぎない。今の俺は美雪の兄貴としてここに座っている」
ん、ん~~~これぞシスコン極まれり。
兄として一般論と妹の兄貴という二つの立場を取るか。気持ちは分からんでもんないが・・・理不尽すぎる!
かの邪智暴虐の女王たる茅野でさえ「うわっ」って声に出しちゃったよ。
「あ、あのー葵さん。僕、妹さんに手も足もちょっかいも出していませんよ」
「美雪を悲しませた時点で犯罪なんだわ、ボケェェェ」
某借金芸人顔負けのボケェェェ頂きましたわ。あざます!
てかっやっべ。これ詰んだわ。ここまで妹愛に溢れているとは想像以上だった。
これ以上刺激したらホウセンカのようにはじけ飛びそう。唾が。
あともう少し声量下げろ。ここ一階だから外に響くだろ。
そもそもお隣の小山さんにこれ以上勘ぐられるのも、ね。変な風に誤解されたら・・・もうここ周辺で生きていく自信がない。
毎日挨拶欠かさない、若干優等生である俺の評判がぁぁ。
「悲しませるって・・・だから、ほんとに申し訳ないと思っているんだって」
「それならなんであいつの頼みを断った?見たんだろ、あいつの愛を」
「愛ってなんだ?」
いや愛というのは知っているぞ。
英訳するとlove、若しくは affection だろ。
俺が言いたいのは、そういうことじゃない。
葵が愛と呼称する何かを俺は見たかどうか。
確かに、美雪からの説法は愛が若干は込められていたかもしれないが、そうはいっても「見せる」というのとはまた別の話だ。
「見てないのか、アレを・・・いや、あいつが見せなかった?」
葵は小声でぶつぶつと呟く。
だから何を見せる、見せないってなんの話だよ。
俺の怪訝な表情を見て、葵ははぁ~と大きなため息をつく。
ほんとあのバカは、と頭を搔きながら愚痴を零す姿は、妹に手を焼かされているお兄ちゃんの姿そのものだった。
それは妹の尻ぬぐいをさせられる俺と似ているどこか困った表情だった。
まぁ妹の尻拭きぐらいちょちょいのちょいだがな!
「わーかった。俺が悪かったわ。俺の勘違いだ。謝る」
「えっいや、謝るのはいいけど」
急に謝られても困る。
謝るんだったらもう少し口調を穏やかにしてくれませんかね。
俺は口調を普段通りに戻せと抗議する。
葵はそれに「うっ」とうめき声をあげる。
あれれ~おかしいぞ~なんか仮面が破れてるよ~
お前、もしや罪悪感を感じているな。とはいえ、その鬼の番長らしき口調を元に戻そうとしない。早く元に戻せよ。
俺はしびれを切らし「演技へたくそ、辞めちまえ」と追い打ちをかけることで、ようやく葵は表情をぎこちないながらも元に戻した。
やっぱりお前はそれだよ、それ。なんか色気とか憤怒とかお前には似合わん。
葵はだんだんと調子を取り戻し、いつもの少しにやけた表情を浮かべ始める。やっぱそれぐらいが丁度いい
「あいつが見せない判断をしたのなら、その考えを尊重するのが良いお兄ちゃんというものなのだろう。だが、俺はお節介焼きの嫌な兄貴だからな。ここで妹の隠したかった秘密を憧れの先輩に見せちゃうのさ!」
なんて、陽気に笑いながら戯れ言を抜かすぐらいには調子が戻ったようだった。
俺、それを見ても責任持たないからな・・・
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