第7話「趣味趣向研究会」

「……それで、先ほどの自分の見解はいかがでしたか?」

「ふっ……暗殺者は100の美食の中に1の致死毒を仕込むものなのだよ大久保くん?」


 普段平穏なリラクゼーション同好会の部室に観測史上最大級のブリザードと台風が到来していた。部室へ襲来した台風、傲岸不遜の権化「谷上琥珀」。かたや、珍しく怒りの感情がむき出しになっている大久保。

 そして漫画ならドス黒いオーラを撒き散らしていそうな二人を見て部屋の隅で抱き合ってプルプルしている早柚川と柊。部室は一瞬にして戦場へと変わっていた


「それで、この悪意しか感じない書類の形式についてご説明頂けますか」

「悪意も何もすこぉしだけ裏に付け足しただけじゃないか」

「早柚川センパイが見落とす可能性を考えなかったので?」

「見落とす?早柚川鈴香が?ハンッそれこそありえないってもんだ。現に君も気がついただろう?それで、この条件を飲んでくれれば我々趣味趣向研究会は君たちに無償でASMR用のマイクを貸し出そうじゃないか」

「……早柚川センパイが収録した音源を販売、譲渡をしないのであれば」

「おやおや、本体をレンタルするなら最低でもこれくらいは貰うものだけどそれをタダで貸してやろうというアタシの広い心を理解できないのかい?」


 右手の指を2本立てて目の前で振って見せる谷上を今にも噛みつきそうな表情で見つめる大久保。それを見てなお余裕そうな表情の谷上はニヤニヤとした表情を引っ込めた。途端部屋の中の圧力が倍増する


「そもそも、何故君が私につっかかるんだい?君は早柚川氏のなんなんだ?」

「それは……」

「その怒りは早柚川氏に対するどんな感情に由来するんだ?親愛か、それとも恋慕かあるいは独占欲か……いずれにせよ随分と独りよがりに見えるがね」

「……早柚川センパイがそういった感情を避けていることは知ってます。それに“こおり姫”の名前は1年にも届いてますから」

「……それで?」

「この部室ではありのままで居てくれた……それは自分に対する信頼です。自分は……信頼には相応の誠意を以って対するべきだと思っています」

「……なるほどな。噂通りのやつだったらどんな手を使ってでもこの学校から追い出すつもりだったが……要らぬ心配だった様だ」


 しばらく睨み合っていた2人だったが、少し考えたのちに先刻までの雰囲気を霧散させ人当たりの良さそうな笑みを浮かべる谷上。まだ続くと思っていた大久保は肩透かしを喰らいキョトンとする


「いやいや、試す様な真似をして申し訳ない。改めて自己紹介をしようか……3年の谷上琥珀だ。そこの早柚川の幼馴染でね。スズは何故か変な男ばかりを吸い寄せるもんでね、こうして厄介払いをしていたというわけさ。まぁスズが信用しきっていたから問題はないと思っていたが万が一もあるし試させてもらったというわけだよ」

「……不合格ではなかった様で安心しました」

「あぁ、マイクに関しては無料で貸し出すから安心してくれ。無論、音源をばら撒いたりもしない」

「……分かりました」

「谷上先輩?!これはどういうことですか?!」

「柊……アタシは君ほど隠し事に向いてない人物を見たことがない、ゆえに君にも黙ってた。ちなみに愛しの彼もこのことは知っているぞ?」

「そんなぁ……」


 何も知らなかった柊琲色(17)がその場に崩れ落ちるのを面白そうに見ていた谷上は後輩の泣き顔を堪能したのち立ち上がると大久保に向き直った


「と、いうわけで今から音源の打ち合わせをするから今日はここで帰りたまえ。被験者モルモットに実験の内容を伝えると結果に影響が出かねないからね」

「……なんだかとても不愉快なルビが振られていた気がしますが……分かりました。では失礼します、お疲れ様でした」


(このチビっ子……何故だか顔を見るだけで腹が立つ……)

 そんなことを考えながら大久保が退出し、足音が遠ざかって聞こえなくなった瞬間谷上がヘタリと椅子に座り込んだ


「谷上先輩?!どうしたんですか⁈」

「……プレッシャーに離れていたつもりだったんだが……こ……」

「「こ……?」」

「怖かったぁぁぁぁぁぁぁ……なんなんだアイツ!初対面の相手に向ける圧じゃないだろ!何度死を覚悟したか……!」


 椅子に座り込み子鹿の様に足をプルプルする谷上を柊は目を丸くして見ていた。基本的に谷上琥珀という人物は傲岸不遜が服を着て歩いている様な人物であり、男だろうが先生だろうが圧に屈することなく余裕の笑みで交渉のテーブルにつく人物であった。その谷上が男とはいえ、年下の後輩に怯えていたのだ


「谷上先輩……大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけあるか!スズ!悪いことは言わない!アイツはやめとけ!!アタシの心臓が持たない!!!」

「やめとく……?友達を?」


 可愛らしく小首を傾げる早柚川を見て柊は苦笑いを、谷上は呆れた視線を向けた。二人の知る早柚川鈴香は基本的にとても警戒心が強い。校内でも早柚川の素を知っているのは片手で数えられる程度であり、人に簡単に自分を見せない。その反面、信用した途端甘え、甘やかすというかなり極端な性格をしていた


(同情するぞ大久保庵くん……スズに信用された男は君が初めてだ)

(大久保くんだったっけ……あの様子だとかなり頑張って耐えてるんだろうなぁ)


 柊と谷上はそっと精神をゴリゴリされているであろう大久保に追悼の意を捧げるのだった


「それで、この催眠……違った安眠ASMRの概要はこんな感じだが……何か不明瞭な点とかはあるか?」

「……ううん、特にないかな。ありがとうねシナリオまで書いてくれるなんて」

「シナリオは柊が担当しているからな。アタシは主に技術指導だ」

「そうなんだ!2人ともありがとうね!」

「ううん。スズちゃんのお願いだから」

「それに礼をするにゃあまだ早い。これから収録だからな」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ここって……第二放送室?こんな部屋あったっけ?」

「スズが知らないのも無理ないよ。だってこの教室が使われなくなってからもう5年は経ってるらしいから」

「でもなんでひーちゃん達がこの部屋を?」

「それはアタシがこの部屋を収録用に改造したからだな。収録は辛いぞ!がんばれスズ!」

「どれくらいかかるの?」

「取り直しとか指導の時間を含めると……音源自体は30分くらいだから……ざっと4.5時間くらい?」

「え゛」

「それじゃあ私は向こうの部屋から指示出しするからスズちゃん、頑張ってね」

「え゛」


 想像よりもだいぶ長い時間を提示された早柚川が固まっている間に2人はいそいそと準備を進め早柚川は今更ちょっと用事が……とも言えない状態になった。

 その後、早柚川が解放されたのは夜の8時だった。しかも「明日も録るよ」とのありがたいお言葉と共に

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