第6話「4・7・8」
「お、おはよう……」
「…おはようございます」
月曜日、大久保と早柚川は部室で向かい合って固まっていた。ぎこちない挨拶、なかなか合わない目線。そして顔が若干赤い早柚川といつも以上に表情が硬い大久保。二人の間に流れる空気はさながらお見合いである
「…今日の活動はどうしますか」
「……大久保くんっ!」
「は、はい!」
「昨日の……ことなんだけど……っ!」
切り出したはいいが上手く言葉がまとまらず少しワタワタとしていた早柚川だったが一度深呼吸をして真っ直ぐに大久保を見た。大久保も真剣な表情の早柚川を見て背筋を伸ばし言葉を待った
「ごめんなさいっ!実は昨日、寝てる大久保くんの……」
「…………」
「大久保くんの……」
「…………」
「耳をっ……耳にふーって……」
「………………」
最後の最後で恥ずかしさが勝り、嘘を言う早柚川。嘘とはいえ、内容の恥ずかしさにだんだんと声が小さくなり最後は下を向き呟くようになっていった。なんとか言い切った(つもり)早柚川は大久保の返事を促すように上目遣いで大久保を見ると──
「…………???」
背景に宇宙が広がってそうな表情で大久保が固まっていた。頭の上で「?」マークが踊る大久保はしばらく惚けていたが
「……センパイ」
「……なに…?」
「……すみません。俺寝てたんで覚えてなくて……」
「うん……でも、謝りたくて」
「……もしかして昨日のアレは……」
「うん。やった後に何やってんだ私〜!ってなっちゃって……」
「俺が寝言とかで変なことを言ったわけじゃないんですね?」
「言ってないよ?」
「……実は変なことを寝言で言ったんじゃないかと考えてたんです。良かったぁ……」
思わずと言った様子で天井をぎ、心の底から安心してそうな様子の大久保に対して早柚川は表面上はニコニコしているが内心は荒れまくっていた
(あ〜〜もう!なんで嘘ついちゃったの?!大久保くん信じちゃってる!今更嘘です耳舐めちゃった☆なんて言ったら大久保くんが幻滅して部活辞めちゃう!!かといってこのまま嘘つき通すのも〜〜〜)
早柚川の脳裏に『センパイ、寝てる俺の耳舐めたんですか?きっしょ……後輩の寝込みに漬け込むとかマジないわ。退部しますね』と氷点下の目線で部室を去る大久保が浮かび、若干顔が青ざめる
「……ではセンパイ、改めて今日の活動教えてください」
「……そうだね。今日も部活がんばろ〜!!」
「センパイ?どうしたんですか急に」
「え?別に普通だよ!特に何もないよ!!」
早柚川はテンションを上げることで思考を支配していた負のスパイラルを有耶無耶にした。そんな早柚川の思惑など知らない大久保は、急に謎テンションで拳を振り上げる早柚川を不思議そうに見るばかりだった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今日は呼吸法を試そうかなって思ってるの。“478呼吸法”って聞いたことある?」
「確かどこかの大学の教授が提唱してる睡眠導入に適した呼吸法……でしたっけ?」
「そう。アメリカのアリゾナ大学のアンドリュー博士が提唱してる呼吸法だね。本来は継続することで効力を発揮するらしいの。けど何ヶ月もこれを試し続けるのは同好会の活動記録的に無理だと思うの」
同好会は部活と違い、人数による制限がない代わりに活動記録を生徒会に提出しなければならない。リラクゼーション同好会のように単に同じ趣味の生徒たちがクラスターを形成しているタイプの同好会は体裁を保つ為、活動内容をある程度変化させる必要があるのだ
「そこで、私たちリラクゼーション同好会はこの478呼吸法と催眠術を組み合わせた新しい睡眠導入法の実験をしようと思います!」
「……催眠術?」
「うん。催眠術っていうかパブロフの犬って言った方がいいかも?」
「???」
「パブロフの犬っていうのは“一定の条件下で無意識的に起こす行動や反応”の総称だね。簡単に言うと条件反射ってやつ」
「それで…それと呼吸にどういった関係性が?」
「大久保くんって”ASMR”って聞いたことある?」
「AS…?すみません聞いたことないです」
「Autonomous Sensory Meridian Response、略してASMR。日本語なら自律的感覚絶頂反応って言うんだけど簡単に言うと聴覚を介して心地良さとか快感が感じられるの。それを聞くことをトリガーにして眠くなるようにすれば気持ちよく寝られるかもって考えたの」
早柚川が差し出してきたイヤホンを付けると薪が燃える音が大久保の耳に流れてきた。音は左右に揺らぎ、目を閉じればまるで夜のキャンプ場にでもいるような錯覚に陥りそうになる。少しの間聞いて早柚川にイヤホンを返すと目線で感想を求められた
「良いと思います。時間はかかりそうですがこれなら1か月ほどで効果が出そうですね」
「そうでしょ?」
「それで肝心のASMRの音源はどれにするんですか?」
「実は、478呼吸法を実践するためにオリジナル音源を用意することになりました!」
「オリジナルってことは収録するんですよね?機材とかあるんですか?」
「そこは大丈夫!別の同好会と共同でやることになってるの」
「……別の同好会と共同?」
「うん。多分もうそろそろ来ると思うよ」
そう早柚川が言った瞬間見計らったかのようにドアをノックする人物がいた。どうぞ〜と早柚川が返事を返すとざっと180cmはありそうな女生徒がドア枠に頭をぶつけないように少し屈んで入ってきた
「こんにちは……趣味趣向研究会副会長の
小さな喫茶店で提供される珈琲の様な落ち着く低音で挨拶をした柊は早柚川の隣にいる
「……あの?どうしたんですか柊先輩」
「お……お……」
「「お?」」
「男の子ぉぉぉぉぉぉぉ?!?!?!?!」
固まっていた柊はワナワナと震え始め、直後先ほどの声とは打って変わって幼い少女の様な可愛らしい悲鳴が文化部棟に響き渡った
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「改めまして、趣味趣向研究会副会長の柊琲色です。今回は停学中の会長の代理で来ました。」
柊は部室に入ってきた時の声ではなく、悲鳴をあげた時と同じ声色で自己紹介をした。目を白黒させている大久保を尻目に早柚川が柊に話しかけた
「来てくれてありがとうねひーちゃん!」
「スズのお願いだもん。あたりまえだよ……って、そうじゃなくて!」
(大久保庵って男の子だったの?!)
(そうだよ。言ってなかったっけ?)
(聞いてないよ!あれだけ男の子から距離取ってたのに大丈夫なの?)
(大久保くんはいい子だよ。だから大丈夫)
(……まぁ、スズが言うなら良いけど)
柊は大久保に背を向け、早柚川の横にしゃがんでひそひそと話し始めた。とりあえず落ち着いた大久保はその図を見て親子みたいだななどと考えていたため二人の会話は聞こえてない様子だった
「さて、今回オリジナルのASMRを作るためにうちの設備を使いたいってことだよね?」
「そう!」
「あの、さっき調べたらとんでもない金額だったんですけど大丈夫なんですか?」
「大久保くんの心配はもっともなんだけど、あれはうちの部で稼いだお金で買ってるから大丈夫。けど部長に聞いたらこれにサインしてくれれば大丈夫って」
柊はカバンから一枚の紙を取り出した。そこには契約書と書かれており破損した場合のことなどが書かれていた
「わかった。ここにサインで良いんだよね?」
「うん」
「……センパイ、少し待ってください」
早柚川に断りを入れ、契約書を熟読する大久保。少しして大久保は契約書の裏に小さく書かれた一文を指さして柊に突き付けた
「この”甲は乙が作成した音源の権利を保有する代わりに機材の使用に発生する一切の金銭を乙に要求しないものとする。”ってのはどういうことですか?」
「「……へ?」」
「柊先輩、もしかしてこれの中身見てないですか?」
「う、うん。形式だけの代物だからって言われてたし……」
「この契約書にサインしたらセンパイのASMR音源が趣味趣向研究会の管理下に置かれるんです。そして恐らく趣味趣向研究会はこのダミーヘッドマイクを使って作成した音源を販売してるんじゃないですか?」
「う、うん……けどスズの音源は販売する気なんて……」
「部長さんはその気だったんじゃないんですか?」
「ち、ちょっと部長に確認します!」
露骨に不機嫌そうな声色の大久保に柊は大久保にビビりまくっていた。慌てて部長に電話しようとした柊が部室のドアの前に立った瞬間ドアが勢いよく開かれ、赤いネクタイをした少女が部室に入ってきた。ドアに激突され、「ミ゛」と変な声を発して倒れた柊に駆け寄る早柚川を尻目に少女は大久保の目の前に仁王立ちをした
「君が大久保庵くんだね?アタシは趣味趣向研究会会長の琥珀、谷上琥珀だ。以後お見知りおきを」
「大久保庵です。どういうつもりなのかきっちりと説明してもらいますよ、谷上先輩」
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