第5話「心音」
リラクゼーション同好会は名前こそリラクゼーションを謳っているもののその実態はいかに快適に睡眠を取れるかを研究、実践する同好会であり──つまりリラクゼーションの名を被った昼寝同好会である。その活動故に月曜から金曜の平日に加え、二人の部員が暇である土曜日も活動を行っていた。
「おはようございますセンパイ」
「おはよう〜朝なのにしっかりしてるね〜……」
「センパイ立ったまま寝ようとしないでください。……だからと言って俺に寄っかからないでください」
「ん〜……今日のテーマは人肌の温もり〜」
普段、お子様体質な早柚川は夜の10時には布団に入り5分と経たずに寝始めるのだが先日は友達の家にお泊りに言っていた影響で彼女が就寝した時間は夜中の3時。当然朝の8時からの部活の時間に合わせ、6:00に起床すれば睡眠時間は8時間から3時間へ減少。その短さに早柚川の体が耐えられるわけもなく……
「それっぽいこと言ってないで……部室に行きますよ」
「………………」
「センパイ?ッセンパイ!寝ないでください!センパイ!!」
大久保の叫びも虚しく、早柚川は完全に熟睡を始めた。とりあえず部室に運ばないと理性がやばいと判断した大久保は四苦八苦しながらどうにか早柚川を背負うことに成功して……気がついた
(背、背中に……早柚川センパイが密着して……!)
感情が表に出にくいだけで大久保は立派な思春期男子である。同世代の、しかも意中の相手を背負ってその感触に気を取られるなというのは少々…大分無理な話だった
「……まずい。さっさと部室に行こう」
煩悩がフルスロットルする前に部室に行くことを決意した大久保は背中で眠る早柚川を起こさない程度の速足で部室に向かった。幸いにも途中で誰にも遭遇するようなことはなかった
「さて……どうやって椅子に座らせよう……いや、布団に寝かせるのがベストか」
背中の温かい感触と甘い香りに耐えること5分、大久保は部室にたどり着いた。何とか椅子に座らせようとするもなかなかうまくいかず下手を打ったらそのまま早柚川が床に豪快なキスをすることになりかねないと判断した大久保は片手と背中をうまく使って早柚川を抑え、もう片方の手で布団を用意した
「これで、頭を打たないように……よし」
頭を押さえながら自分ごと横になることに成功した大久保は早柚川の睡眠の妨げにならないように自分にしがみついている早柚川の手をそっと剥がし、布団からの脱出を計った。両手の指をそっと剥がし、起こさないよう細心の注意を払いながらゆっくりと布団の外へ移動しようとして───
「えっ?!ちょっセンパイ?!」
「んふ~」
大久保の腹部に手を回し拘束するものありけり。誰であろう早柚川涼香その人である。寝ているはずの早柚川は器用に大久保の向きを自分の方に向けると胸元に顔をうずめて心地よさそうな表情で再び動かなくなった。両手でしっかりと大久保を捉えたまま。
「っ~~~~~~!!!!!!!!!」
文字通り夢見心地な早柚川に対して絶賛生き地獄な大久保の耳には精神がゴリゴリと音を立てて削れていく音が聞こえていた。振り払うことは簡単である。そもそもの体格の差もあるためその気になれば簡単に早柚川の拘束を突破できる大久保だったが下手に動くと早柚川の睡眠を妨げるかもしれない。
それにこんなに心地よさそうにしているのにそれを妨げるのかという大義名分のもと大久保の中に潜む悪魔が大久保が体を動かすことを躊躇わせていた。天使も頑張って嫁入り前の女子と一緒になって布団に入るなんてダメ!と主張しているが脳みそがショートして思考が激しく空回りしている大久保の耳には届いていなさそうである。
(どうするどうするどうする!どうやって抜け出そうか……でも下手に動いたらセンパイを起こしてしまうかもしれない。けど動かなかったらセンパイが嫌がるかもしれない……いやでも……)
心の中で激しく葛藤している大久保。その原因である早柚川は実に穏やかな表情で熟睡していて大久保の葛藤など知る由もなくむにゃむにゃと寝言を言っている始末である。早柚川の寝息や寝言をBGMにしばらく葛藤していた大久保だったが実に幸せそうに寝ている早柚川の表情を見ていると1週周って頭から煩悩が消え去り、
(そうだ……何を慌てる必要がある。今の俺に必要なのは湖面のように凪いだ心……煩悩を捨て去り、ただ慈愛を以て早柚川センパイの眠りを守ることだ……)
普段あれだけ怖がられている大久保の表情はかつて見た者がいないほど穏やかなものになっており、精神的ストレスが天井をゆうに突破していた結果、大久保はすっと軽く目を閉じて
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
トクン…トクン…トクン…
(あれ…何だろうこの音…)
トクン…トクン…トクン…
(すごく落ち着く音……)
トクン…トクン…トクン…
(一定のリズムで心地いい……まるで心臓の音みたい)
トクン…トクン…トクン…
(それに温かい……
トクン…トクン…トクン…
(そうだ……今日は部活の日だ……大久保君に会いに行かなきゃ……)
心地よい微睡みの中、いつもよりもゆっくりと思考がまとまっていきやがて覚醒へと至る。
「~~~~っ!……?………っ?!」
なにやらいつもの部屋と違う空気を吸い込んだような気がして首をかしげる。自然な流れで目を開けて確認しようとして目の前で呼吸音と連動して小さく上下する胸板が見えた
「えっ?!大久保くん?!なんで私の部屋に……!って部室?」
突然のことに気が動転し大きな声がでかくなりかけたところで周りの景色が目に入り、今自分がいる場所が自分の寝室ではなく学校の部室である事に気が付いた。時計の針は既に昼間になっていることを指し示し、ようやくまともに動き始めた脳は「そういえば学校に自力で登校したはいいけど結局眠くなって大久保くんに運んでもらったような気がする」という結論を導き出した
「そっか……大久保くんが運んでくれたんだ」
「…………」
「大久保くんはやっぱり優しいね……みんなと違って私を求めない。君が後輩でよかったよ」
「……パイ」
「え?」
「センパイ……は……で……」
何かを悟ったかのような顔で寝ていた大久保の表情が少し歪み、何かを言い出した。わたし…?と首をかしげて聞いていると耳を真っ赤にして
「センパイ…耳は…耳はだめです…」
「!……大久保くんは耳が弱いんだ」
寝起きで普段よりも理性がうまく働いていないのか、或いは珍しく油断だらけの顔で無防備な姿をさらしている大久保を見ていたずら心が芽生えたのか。早柚川はスマホを取り出すとシャッター音がならないカメラアプリを起動、写真を撮るとそれをお気に入りフォルダに入れて緑のメッセージアプリを開きアシュリーにメッセージを送った
『【急募】寝てる子へのいたずら』
『もしかして例の後輩ちゃん?』
『そう!寝てるの!珍しく無防備だから』
『……たしか涼香って舌長かったよね?』
「……ベロ?」
『長いのかな?自分だとよくわからない』
『まぁいいや。舌を軽く尖らせて耳の穴に突っ込めば?』
『それ痛くないの?!』
『むしろ前戯的な意味で気持ちいい』
「前戯?……っ?!」
『エッチなのはダメ!』
『だめかぁ』
聞いてはみたものの全く参考にならない提案をするアシュリーを恨めしく思いながら大久保に目を向けると少し眉を顰めて寝ていた。
「何か変な夢でもみてるのかな……?」
やや魘されている?ような大久保を少しの間見ていると目は大久保の耳に吸い寄せられ、脳裏に先ほどのアシュリーのメッセージがよぎった
『舌を軽く尖らせて耳の穴に突っ込めば?』
『むしろ前戯的な意味で気持ちいい』
「……これはお勉強だから……うん。実際にやるわけじゃないし……」
聞いている誰かがいるわけでもないが誰かに言い訳をしながらスマホを取り出し『耳 舐める』と検索すると色々な動画やらブログやらがヒットし、そのうちの一つを開いた
「種類……耳の穴に舌を挿し込むやり方と耳介を舌でなぞるやり方……」
頬を朱に染め、少しばかり荒くなっている呼吸を抑えてブログの文字と大久保の耳を見比べていた早柚川。少ししてブログを読み終わり、大久保の耳を見ていたがだんだん吸い寄せられそして───
「 」
「ッ!!!!!!!!」
「ひぅっ!ミ゜ッッッ」
歯を当てないようにおずおずと舌を出し、軽く大久保の耳たぶの上あたりに舌を這わせた。途端、大久保の体がビクンッ!と跳ねた。当然の反応ではあるがそれに驚いた早柚川は思わずのけぞりそのまま机に後頭部を強打した
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
20分後、少し遠くで誰かが喋っているような声が聞こえ大久保はゆっくりと目を開けた。すると机に突っ伏した早柚川が何やら真っ赤になりながら何かを呟いていた
「センパイ……?」
「っ!……お、おおお大久保くん……お…おはよ…」
(……俺寝てる間になんか変なこと言ったのか!?)
大久保は盛大な勘違いをした。突っ伏した状態でたまにコチラをちらっと見てすぐに伏せてしまう早柚川の行動が勘違いをさらに加速させる
(まずいこれ絶対になんか変なこと言ったやつだ!あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!)
(やっちゃったやっちゃったやっちゃった!!!大久保くんの耳を……な、舐めちゃうなんて!しかも寝てる間になんて……!これじゃわたし…ち、ちちちっ痴女みたい……!)
「……大久保くん」
「……なんですかセンパイ」
「そろそろ時間だし帰ろっか」
「……っすね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます