第2話「腕立て伏せ」

「今日のリラクゼーション同好会の活動は……ストレッチだよ!」

「ストレッチですか?あんまり本格的な奴は睡眠の前によくないと聞きますが」

「そうだね。だから今日やる奴は軽~~~~い奴なの。これをやって血行を良くしたらぐっすり寝られるんじゃないかなって」

「センパイ」

「実はね……じゃじゃーん!すでに調べてきてます!」


 大山学園では伝統的に6月に学力把握テストなるものが行われており、2.3年に属する生徒は強制的にそのテストを受けさせられる。2年生である早柚川も当然そのテストを受けたわけであるが──


「センパイ」

「……どうしたの?」

「明後日の追試の勉強をしましょう」

「イヤッッッ!!!」

「ここまではっきりと拒絶を見せるセンパイは珍しいですね」

「だって嫌なんだもん!なんで学力を把握するためのテストで赤点が設定されてるのよ!」

「流石に20点下回るのはやばいから勉強しようねってことかと」

「ふぇ~~ん…学校と大久保君がスパルタだよぅ……」


 若干涙目で大げさに悲しむそぶりを見せる早柚川を見た大久保は自らの心に嗜虐嗜好が芽生えかけたことを自覚して慌てて早柚川が取り出したテストの点数を見つめることで心の平静を取り戻そうとした

(可愛い……?今俺はセンパイの涙目になってる表情を見て可愛いって思ったのか?これじゃあまるで俺がさ嗜虐嗜好サディストみたいじゃないか!そんなことはない!そんなことは……)


「あの……大久保くん?あんまりテストの点数を見つめられてもお姉さん恥ずかしいなぁって……」

「センパイ」

「……」

「数学だけやったらストレッチやりましょうか」

「!そ、そうだね!よ~しがんばるぞ~!」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「う、う〜ん……」

「センパイ……」

「やめて!可哀想な子を見るような目で見つめないで!」

「……これ数1の範囲じゃないですか。しかも因数分解……」

「そうだよ!私バカだから1年も前の授業内容なんて覚えられないんだよぉ!」

「いえ、センパイは努力ができる人です。俺に言われても説得力ないと思いますが俺はセンパイが本気で向き合うことができる人だと知ってます。だから大丈夫ですよ」

「大久保くん⁈」


 気付けば俺は机の上に突っ伏して顔を隠す早柚川センパイの頭を撫でていた。落ち込んでると思い何か慰めになるようなことを言おうとしたまでは良いがその後全くの無意識で頭を撫でてしまった

 

 (か…完全に無意識だった……ってヤバい!センパイの顔に若干警戒の色が……!)


「す、すみません……センパイの顔が落ち込んでる時の妹にそっくりだったもので無意識に……本当にすみません」


 って言い訳じゃなくて謝らなきゃ。出会って2ヵ月程度の男にいきなり触られたら警戒するってもんだ……多分。でも先輩は結構ベタベタしてきてたような?と一瞬考えたが女子から触るのと男から触るのじゃだいぶ違う(俺調べ)


「……妹?」

「は、はい……2つ下の妹がいるんです。ソイツが落ち込んだ時の顔が重なっちゃって」

「大久保くん」

「はい……」


 (俯いて表情がよく見えないが恐らく怒ってるよなぁ……それに今の俺の言動傷つけてから甘やかすって完全にDV野郎のそれだ……)


「私……」


(っ……)


「私はセンパイだよ?妹なんて……」

「……へ?」

「へ?じゃないの!私は年下じゃないもん!お姉さんだもん!」

「???」

「大久保くんも私のこと小動物っぽいとか思ってるんでしょ!」

「え゛……えっと……」


 珍しく怒ってます!という表情で大久保に詰め寄る早柚川。それに対して大久保は思わず後ずさり言い淀み顔をそらした。その反応を見た早柚川はさらに頬を膨らませ詰め寄った

 

(ち、近い近い近い近い!!!良い匂いする!顔小さい!目大きい!まつ毛長い!可愛い!え、ナニコレほんとに可愛い)

 

一方大久保は且つてない接近に脳みそがショートしかけていた。距離が普段より近いが故に早柚川の顔がよく見え、普段はほのかに香る程度の薔薇のような香りがより強く鼻腔をくすぐる。一周回って冷静になりかけているように見えるがその実、脳みそはとうに応答していない。


「お お く ぼ く ん ?」

「はい!」

「復唱してね」

「はい」

「早柚川センパイは」

「早柚川センパイは」

「大人っぽい」

「大人っぽい」

「小動物みたいじゃない」

「小動物みたいじゃない」

「分かった?」

「……はい」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「終わったぁ……」

「お疲れ様ですセンパイ」


 1時間後、落ち着きを取り戻した早柚川はテストの勉強が一段落して液体のように溶けていた。それを尻目に大久保がいそいそと布団の準備を整えているといつの間にか大久保の隣に移動していた早柚川が大久保の腕をじっと見つめていた


「あの、センパイ?俺の腕に何かついてます?」

「大久保くんってさ、筋肉すごいよね」

「えっとまぁ筋トレしてるんで」

「腕立て伏せとかできるの?」

「それなりにはできます」


 少しの間考えるそぶりを見せた後早柚川は恥ずかしそうにやや顔を赤らめながら大久保に視線を向けた。何故腕立て伏せの話の後に顔を赤らめながら考え事をしているのか皆目見当もつかない大久保は頭の上に?マークを浮かべる


「えっとね、私ちょっと憧れてるシチュエーションがあって……」

「???」

「大久保くんが腕立て伏せをやってて」

「???」

「私がその……大久保くんの背中に座って……お、応援とかしてるの。」


 言っちゃった!きゃーー!と身をよじる早柚川。それに対して大久保は───

 

(そんなに顔を赤らめるような事なんだろうか……?)

 

家で筋トレをするときに平然と背中に乗ってスマホをいじっている妹を思い出し混乱していた。普段妹を相手にやっていることであり大久保にとっては然程珍しいことでもなかったがふつうはそんなもんなのかと思い、早柚川の提案を承諾した


「えっと……俺でよければいいですけど……」

「良いの?!」

「は、はい」

「じゃあじゃあ腕まくりして!後ネクタイもちょっと緩めて!それからそれから……!」


 テンションがおかしくなっていく早柚川に目を白黒させながら大久保は思った。これ絶対少女漫画のくだりだなと。そしてその少女漫画を描いている人は頭のねじが飛んでいるか余程の筋肉フェチだなと。そんなことを考えていた所為か、大久保がたった一つの重大な問題点に気付くとはなかった


「それではどうぞ」

「し、失礼します……わぁ!」

「ど、どうですか?」

「すごい!こんな感じなんだぁ」


 そしてとうとう、腕立て伏せの姿勢になった大久保の背中に早柚川が恐る恐るといったように腰を下ろしていつもと違う感触に小さく歓声を上げた。大久保に跨がるように座っているため傍から見た早柚川はあたかも休日の父親に「おうまさんごっこ」をしてもらう幼児のように見えているのだが大久保の目線が壁に向いている以上、それを指摘する人間はこの空間に居なかった。


「それじゃあ動きますよ?」

「うん!」

「1…2…3…4…5……」

「おぉぉ!頑張れ大久保くん!」


 大久保のつむじが見えたり、想像以上にごつごつとした背中の感触など普段と違う状況と憧れのシチュエーションを再現できたことに無邪気に歓声を上げる早柚川。しかし、一方の大久保はというと

 

(センパイめちゃめちゃ軽い!心配になるくらい軽い……それよりもまずい……センパイの……お尻の感触が……ダイレクトに……!)


鍛えられた広背筋の上にある普段は感じない柔らかい感触で頭がいっぱいになっていた。早柚川は小柄ではあるが同世代と比較しても凹凸はしっかりとしているほうである。おまけに着やせするタイプであり、大久保が想定していた感触とだいぶ違っていた。そして大久保は非常に口下手でありその性格と外見から女子と話す機会などほとんどなく、それこそ妹ぐらいであった。それゆえに女子への耐性は皆無であり、この状況は大久保がオーバーヒートするのに十分すぎるほどであった。


 その後、リラクゼーション同好会の部室には楽しそうな早柚川の声と淡々と数を数える大久保の声がしばらく響いた。その声は時計の長針が半周を数えるころまで続いた。ストレッチは二人とも忘れていたためやらなかった


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おにぃ、きょうは腕立て伏せやらないの?」

「……学校で200回ほどやってきたから大丈夫だ」

「なにやってんの?いやほんとに」

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