第2話「腕立て伏せ」

「今日のリラクゼーション同好会の活動は……ストレッチだよ!」

「ストレッチですか?あんまり本格的な奴は睡眠の前によくないと聞きますが」

「そうだね。だから今日やる奴は軽~~~~い奴なの。これをやって血行を良くしたらぐっすり寝られるんじゃないかなって」

「ストレッチならよくやるのでいくつかやりましょうか?」

「実はね……じゃじゃーん!すでに調べてきてます!」


 俺たちが通う大山学園では伝統的に6月に学力把握テストという名のテストがある。学力の把握を目的としたテストに聞こえるが把握するためのはずなのになぜがしっかりと赤点が存在する。と言っても100点中20点を下回らなければ赤点ではないから大抵の生徒は追試から免れるのだが……


「センパイ」

「どうしたの?」

「明後日の追試の勉強をしましょう」

「イヤッッッ!!!」


 どうやら早柚川センパイはその大抵の生徒に属しない方だったらしい。カバンから覗いている紙には早柚川鈴香の名前、そして数学の問題がいくつか見える。そして名前の横で踊る19点という点数スコア。たかが1点されど1点ということだ

 

「ここまではっきりと拒絶を見せるセンパイは珍しいですね」

「だって嫌なんだもん!なんで学力を把握するためのテストで赤点が設定されてるのよ!」

「流石に20点下回るのはやばいから勉強しようねってことかと」

「ふぇ~~ん…学校と大久保君がスパルタだよぅ……って、なんで赤点取ったって知ってるの?!」

「……カバンからテストがこんにちはしてます」

「え゛……ほ、ほんとだ……」


 若干涙目で大げさに悲しむそぶりを見せる早柚川センパイ。美人って涙目も可愛いもんなのか……って可愛い……?今俺はセンパイの涙目になってる表情を見て可愛いって思ったのか?これじゃあまるで俺が嗜虐嗜好サディストみたいじゃないか!そんなことはない!そんなことは……


「あの……大久保くん?あんまりテストの点数を見つめられてもお姉さん恥ずかしいなぁって……」

「センパイ」

「……」

「数学だけやったらストレッチやりましょうか」

「!そ、そうだね!よ~しがんばるぞ~!」


 気のせい……だよな?俺にそんな癖はない……はずだよな


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「う、う〜ん……」

「センパイ……」

「やめて!可哀想な子を見るような目で見つめないで!」

「……これ数1の範囲じゃないですか。しかも因数分解……」

「そうだよ!私バカだから1年も前の授業内容なんて覚えられないんだよぉ!」


 追試対策のプリントを見て頭を抱える早柚川センパイ。しかしプリントに書かれているのはどうみても初歩的な因数分解。どうやってこの学園に入学したんだろう……と、そんなことを考えていると不貞腐れた早柚川センパイが机に突っ伏して────


『うぅっ……グスッ』


 昔見た光景と重なった。目の前にいるのは年上の先輩で、あの時目の前にいたのは当時は面識がなかった少女だったが。何か慰めになるようなことを言おうとしたまでは良いがその後あの時の光景が頭をよぎった。

 

「いえ、センパイは努力ができる人です。俺に言われても説得力ないと思いますが俺はセンパイが本気で向き合うことができる人だと知ってます。だから大丈夫ですよ」

「大久保くん……」

「だから、頑張りましょう」

「えっと、追試は頑張るよ。大久保くんも応援してくれてるし。けど、そろそろ手をどけてくれると嬉しいかなって……」


 手?……手ェェ?!?!?!何をしてる俺の右手ェェェ?!?!?!なんで早柚川センパイの頭撫でてるの?!馬鹿なの?死ぬの?

 か…完全に無意識だった……ってヤバい!センパイの顔に若干警戒の色が……!


「す、すみません……センパイの顔が落ち込んでる時の妹にそっくりだったもので無意識に……本当にすみません」


 って言い訳じゃなくて謝らなきゃ。出会って2ヵ月程度の男にいきなり触られたら警戒するってもんだ……多分。でも先輩は結構ベタベタしてきてたような?と一瞬考えたが女子から触るのと男から触るのじゃだいぶ違う(俺調べ)。それに悪いのは完全に俺だし……!


「……妹?」

「は、はい……2つ下の妹がいるんです。ソイツが落ち込んだ時の顔が重なっちゃって」

「大久保くん」

「はい……」

「私……」

 

 俯いて表情がよく見えないが恐らく怒ってるよなぁ……それに今の俺の言動傷つけてから甘やかすって完全にDV野郎のそれだ……


「私はセンパイだよ?なのに妹なんて……」

「……へ?」

「へ?じゃないの!私は年下じゃないもん!お姉さんだもん!」

「???」


 確かに早柚川センパイは怒っていた。怒ってはいたが俺が勝手に触れたことではなく妹、つまり年下と同じように扱われたところがお気に召さなかったらしい。ガタっと音を鳴らして立ち上がるとそのままこっちに詰め寄って来て今までになく距離が縮まり脳みそがショートし始めたのがわかった。

 

「大久保くんも私のこと小動物っぽいとか思ってるんでしょ!」

「え゛……えっと……」

「お お く ぼ く ん ?」

 

あまりの距離の近さに思わず顔ごと目を逸らすとそれを見た早柚川センパイは小動物っぽいと思ってると判断したのか更に距離を縮めてくる。ち、近い近い近い近い!!!良い匂いする!顔小さい!目大きい!まつ毛長い!可愛い!え、ナニコレほんとに可愛い

 サラサラの茶髪風に靡き、普段はおっとりとした印象を与える髪と同じ色の双眸がじっと俺の目を見つめ、センパイの頬を撫でた風が普段よりも濃い薔薇のような香りごと鼻腔を蹂躙する。今までにない状況にいよいよ頭がおかしくなりそうになった時若干の怒気を孕んだ先輩の声が鼓膜を震えさせた


「大久保くん」

「はい!」

「復唱してね」

「はい!」

「早柚川センパイは」

「早柚川センパイは!」

「大人っぽい」

「大人っぽい!」

「小動物みたいじゃない」

「小動物みたいじゃない!」

「分かった?」

「……はい!」


 満足したのか先輩は宜しい。と大仰に頷くとそのまま椅子に座り追試対策へと戻った。何とか耐えきった。よくやった俺……


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「終わったぁ……」

「お疲れ様ですセンパイ」


 1時間後、落ち着きを取り戻したセンパイはテストの勉強が一段落して液体のように溶けていた。今日はストレッチをやるんだったか……じゃあ机とか移動させるか

 そう考え、いそいそと準備をしているとふと溶けていたはずの先輩が姿勢はそのままにこちらを見ていることに気付いた。よく見るとどうやら見ているのは俺の腕のようだ


「あの、センパイ?俺の腕に何かついてます?」

「大久保くんってさ、筋肉すごいよね」

「えっとまぁ筋トレしてるんで」

「腕立て伏せとかできるの?」

「それなりにはできます」


 人よりも筋肉があるのは自覚してるけど決して見せるための筋肉じゃないから見ても何も面白くないと思ってたがどうやらセンパイは興味があるらしい。しかしなんで腕を見てもじもじしてるんだろうか……


「えっとね、私ちょっと憧れてるシチュエーションがあって……」

「???」

「大久保くんが腕立て伏せをやってて」

「???」

「私がその……大久保くんの背中に座って……お、応援とかしてるの。」


 言っちゃった!きゃーー!と身をよじるセンパイ。そんなに顔を赤らめるような事なんだろうか……?

 家で筋トレをするときに平然と背中に乗ってスマホをいじっている妹を思い出し混乱した。普段妹を相手にやっていることで、然程珍しいことでもなかったが普通はそんなもんなのか……?


「えっと……俺でよければいいですけど……」

「良いの?!」

「は、はい」

「じゃあじゃあ腕まくりして!後ネクタイもちょっと緩めて!それからそれから……!」


 ……これ絶対少女漫画のくだりだな。あとその少女漫画を描いている人は頭のねじが飛んでいるか余程の筋肉フェチだな。そうでなきゃこんなことは思いつかんだろな


「それではどうぞ」

「し、失礼します……わぁ!」

「ど、どうですか?」

「すごい!こんな感じなんだぁ」


 声をかけると恐る恐るといった感じでセンパイが背中にまたがるように腰かけた。普段は気にしてないがバランスを取っておかないとセンパイを落としそうだ……それだけは気を付けなければ。……それにしても


「それじゃあ動きますよ?」

「うん!」

「1…2…3…4…5……」

「おぉぉ!頑張れ大久保くん!」


 早柚川は大久保のつむじが見えたり、想像以上にごつごつとした背中の感触など普段と違う状況と憧れのシチュエーションを再現できたことに無邪気に歓声を上げるが、一方の大久保は────

 

 センパイめちゃめちゃ軽い!心配になるくらい軽い……それよりもまずい……センパイの……お尻の感触が……ダイレクトに……!ってそんなこと考えるな!

 

 鍛えられた広背筋の上にある普段は感じない柔らかい感触で頭がいっぱいになっていた。早柚川は小柄ではあるが同世代と比較しても凹凸はしっかりとしているほうである。おまけに着やせするタイプであり、大久保が想定していた感触とだいぶ違っていた。

 そして大久保は非常に口下手でありその性格と外見から女子と話す機会などほとんどなく、それこそ妹ぐらいであった。それゆえに女子への耐性は皆無であり、この状況は大久保がオーバーヒートするのに十分すぎるほどであった。

 


「95…96…97…98…99…100…101…102…103…」

「がんばれっ!がんばれっ!」


 その後、リラクゼーション同好会の部室には楽しそうな早柚川の声と淡々と数を数える大久保の声がしばらく響いた。そしてその声は時計の長針が半周を数えるころまで続いたという。そして2人は最後まで先の光景が「休日に家にいる父親にお馬さんごっこをせがむ幼児と満更でもない父親」のようになっていたのに気がつくこともなかったのだった


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おにぃ、きょうは腕立て伏せやらないの?」

「……学校で200回ほどやってきたから大丈夫だ」

「なにやってんの?いやほんとに」

「…色々あったんだ色々とな」

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