【第一話】ワームウッド盗賊団
赤子の泣き声。
まだか弱い彼の、力強い声。
泣き止んで、彼は見つめる。視界の霞む目で、新しいこの世界を、新しい母の笑顔を。
体を包み込む掌の温もりを感じながら、心地の良い歓声を聴きながら。
「あなたの名前はクローバーよ。幸せの象徴、クローバー」
これはきっと母の声。
俺を呼びかけるような声。
ぼんやりと意識が遠のいてゆく。
やがてベッドに寝かされる頃には、すっかり夢の中。すーすーと立てる寝息、緩む口元。彼はあの家族の夢を見ていた。
※
「夜ご飯できたよ〜」母の呼び掛け。
唐揚げの食欲そそる香りがリビングに広がっている。
お風呂から上がり立てホカホカの咲希が「わ! 美味しそうな匂い!」と喜ぶ。
「そこの幸せコンビ! お皿運んで!」
「幸せコンビ」というのは、俺とお父さんの総称である。「幸助」と「幸一」。お分かり頂けただろう。
「「へ〜い」」
だらだらとスマホを弄っては時間を貪る二人のナマケモノが立ち上がる。
俺は茶碗とコップとこどもビールを。
父は冷凍チーズフォンデュと、それをディップする唐揚げや野菜の入った大皿を。
妹も箸を並べてしっかり貢献。
食事を並べ終わり、いざ家族四人で机に着く。
「「「「いただきまーす!」」」」
麦酒の缶とこどもビールの瓶が開く音。
シュワっと軽快で特別な音が、俺と妹のクリスマスマインドを興奮させる。
幸せな団欒。
──しかし、これは全て空想に過ぎない
※
「クローバー」として新たに生を受けてから一ヶ月。家では罵声と咽び泣きと暴力の音を、毎日のように耳にする。
部屋の隅に追いやられたようにあるベッド。その上に寝る赤子は、「もうやめて」と泣くしかできない。
「私達の生活はどうなるの」
震える母の声。毎日のように言う母に、父は賭博や酒に染められた拳を彼女の頬に振るう。めいっぱい、何度も、何度も。
その度に拳の骨と頬骨がぶつかるような鈍い音が鳴る。同時に響く呻き声。
「んなもん、自分達で、何とか、しろ」
言葉の区切り区切りで鈍い音。
母は声を抑えて呻き続ける。
近所の人に勘づかれてはいけないと。しかしそれでも一瞬、叫んでしまうことがある。その時父は母の口を掌で覆い、力のままに抑え込む。時には俺の口を塞ぐ事さえあった。
父は舌打ちをして掴んでいた母の胸ぐらを投げるようにして放る。それから父は外出をしようと玄関の方へ向かう。
「また…賭け事。きっと悪魔のせいね。教会へ行って祓ってもらいましょ、そうしたらきっとアナタも元に戻るはず、ね?」
母の言葉を無視し、ソイツが扉を開ける。
そこには四人の盗賊がいた。
黒紫のローブを纏い、頭巾を被っている女。それの奥に隠れて顔は見えない。長身で美しい体つき。手には可愛らしい球体関節人形を抱え、肩には一匹の烏を乗せている。
隣には男が一人。質素で汚れの目立つ服を着ている。欠伸をし、何を見るでもなく空を仰いでいる。
父の頬を撫でるような妖艶な声でローブの女は言う。
「お金の匂いがしたのだけれど」
父は一瞬呆気に取られた後、不敵な笑みを浮かべる。
「お前ら盗賊か」
「えぇ」
「生憎金は無いんだ。そこの無能が稼がないからよ」
親指を立て、背後で横たわる母を指す。
「何も渡せないっつったらどうする」
「…腹が立って殺しちゃうかも」
「そりゃ怖い。ならよ、女とガキ一人でどうだ。売ってもいい、働かせてもいい、体を使ってもいい。特にお前にゃ垂涎もんだろ?」
父は女の隣に立つ男へ問い掛ける。
男は呆けた面で父の方へ見向く。しかし、父の質問には答えず、男は女の名前を呼ぶ。
「ベラ」
「なぁにルピナス」
「もう始めよう」
「そうね、もう終わらせましょう」
訳の分からない会話に苛立つ父。
その苛立ちは間もなく消え失せ、阿鼻と叫喚に侵される。
ルピナスの身体が獣のように灰褐色の毛に覆われてゆく。細長い耳が生え、重みのある尾が生える。その姿は狼の如く。
父は腰を抜かす。
ベラの手の中にある人形は口も動かさずに言葉を発する。
「ベラ、あの力使う?」
「いいえ。その代わり、赤ん坊を慰めていて頂戴」
「わかった」
手の中からそっと降ろされた人形はひとりでに歩き出し、赤ん坊のいるベッドへと向かう。
「クロウ、貴方には彼女を頼んだわ」
「かァ」
ベラの肩に乗っていた烏は母の所まで飛んでゆくと、ぬるりと人の姿へ変わる。烏のような黒いマスク、黒いハット、黒いマントを身につけた不気味な怪人。
「いやぁ! 近づかないでぇ!」
「大丈夫、私は貴女の味方さ、ハニー」
烏男の放った言葉に人形娘が反応する。
「コラっ、クロウは誰にでもそういうんだから!」
「これは失礼ドール…いえ、マイハニー」
「もうっ!」
一方、狼男は父に飛び掛かり鋭利な牙を剥き出して、睨みを効かせている。
溢れ出す涙と鼻水、冷や汗。顔も服もびしょびしょでみっともない姿。地獄に堕ちた悪人の姿。それは他人に与えた苦しみの因果応報の姿。
それを見た母は父の元へ寄り添おうとした。「違うの! その人は悪魔に、悪魔に取り憑かれているだけなの!」
しかし烏男は母の身体を押さえつける。
「そうかい、なら彼はもう君の大好きな夫じゃない。優しい夫はもう死んだんだ、マドモワゼル」
母は父との楽しい思い出を巡らせる。現状、目の前に広がる阿鼻地獄との差異に心を壊されながら。
「嫌だぁ! 彼を殺さないでぇ! 子供にも手を出さないで! なんでもするからぁ!」
※
ベッドの外では何が起こっているのだろうか。
知らない人達の声、母と父の泣き声。
悲しくても泣くしかできない俺の身体。
……?
「よいしょ」
木製のベッドがミシミシと音を立てるのと同時に、間近で少女の声がした。と思うと可愛らしくも西洋人形のような顔が俺を覗き込む。
「坊や、もう大丈夫よ」
彼女は無機質で綺麗な人差し指を、俺の唇に当てる。すると、ふと悲しい感情が消え、驚く程に落ち着きを取戻した。
知らない人たちの仲間だろうか。目は瞬きをしないし、眉も口も動かない。なのに、彼女が優しく微笑んだような、そんな気がした。
※
「そろそろ潮時かな」
狼男は牙を引っ込め、睨み目を戻し、掴んでいた父の両腕を放す。能力を解除し、みるみるうちに元の男の姿へと戻ってゆく。
父の身体は強ばったまま震えている。突飛な展開に頭を混乱させながら。
ベラは父の元へ近づき、顔を覗き込む。
「アナタ、愛されていて良かったわね」
「え、ぇ?」
「渡す物があろうと無かろうと、彼女の愛がなければ容赦なく殺していたわ。だってアナタみたいな屑人間、すごく腹が立つもの」
「…俺は、助かったのか?」
安堵を声にした瞬間だった、父の頬に掌が叩きつけられる。それはベラの手だった。
「一人の女性と赤ん坊に辛い思いをさせといて、これから先、このまま何の罰もなく生きていけると思うんじゃないよ!」
次にベラは母の元へ早足で向かうと、父と同じように頬に掌を打付ける。
「悪魔とか、そんな根拠の無いもののせいにして悪人を庇うんじゃない! 赤ん坊だっているのよ! …辛かったろうけど、その感情は不幸の道へしか繋がっていないわ。アナタはどうすべきだったのか、よく考えなさい」
相変わらずローブの奥にある顔は見えない。彼女は父の方へ振り向く。
「さて、アナタの妻と赤ん坊は私達が連れてゆくわ。アナタはこの後衛兵に自首することね。今までしてきたこと、ぜーんぶ打ち明けて。じゃなきゃ……どうなるか分かるでしょ?」
父は顔を縦に激しく振る。
「さて、みんな、帰るわよ」
ベラの足元に虹色の魔法陣が現れる。
「あれは転移魔法だ。今からハニーと赤ん坊を私達の家へ連れ帰る」
なぜ、どうして、母の心に不安が芽生える。
「大丈夫、とても安全な場所さ。洗濯や炊事は全て私達がする。ハニーは傷ついた心を存分に癒しなさい」
「どうして、そんなことを…」
「強いて言うなら、私達の古傷に掛けられた呪いかな。 …さて、ベイビーのお母さんは君しかいないよ」
俯いた顔を上げると、魔法陣の上で狼男のルピナスが手に赤ん坊を抱えている。狼男の面影はなく、笑顔を見せる彼はただの好青年のようだった。赤ん坊は落ちついている。
隣では人形娘が手招きをしている。やはり顔のパーツはビクともしないが何となく表情が読み取れる。笑顔である。
「さ」
そう言って母の震える手を持ち、立ち上がる背中を支える烏男。烏のような黒いマスクに隠された顔はどんな表情をしているのか。
全員魔法陣に入り、転移の準備が整う。
「みんなしっかり魔法陣に入った?」
一人一人がオーケーの返事をする。
しかし腰が抜けたままの父はオーケーではなかった。
「アナタ足先が入ってるけど、そこだけ転移したら……」
慌てて父は足先を出す。
「いいわね。その足で衛兵さんに自首してきなさい」
虹色の魔法陣が激しい光を放ち始める。
「さようなら」
母が父に送る最後の言葉。
父は両掌と頭を床に押し付けている。それは懺悔の姿。
──そして部屋は静まり返る。
残された男は力のない足取りで衛兵の元へ向かうべく部屋を出る。
あの頃描いた幸せに暮らす未来。明るく平和で賑やかな家庭は叶わぬまま。
誰も居なくなった建物は「家」という名を失った。
【第一話】ワームウッド盗賊団
✿──終わり──✿
楽園戦記 〜Eden war story 〜 マネキ・猫二郎 @ave_gokigenyo
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