『ランランラン・エスケープ』3

 そうして、どれだけ人生の乗り換えをしてきた頃だろうか。

 私は漠然と、延々他人の人生を渡り歩いている自覚だけを持ち続け、透目町すきめちょうという田舎町で目を覚ました。

 名前を確認するのも面倒臭い。

 こうして乗り換えを自覚してしまった以上、また次の人生に移るだけだ。これまでの経験則から、それだけははっきりと覚えている。

 もう心療内科に予約する気も起きず、私はのろのろと重い足取りで家の外に出た。どうせすぐにここを離れてしまうだろうから、それがどうせ記憶に残らないとしても、見納めとして近所を散歩してこようと思ったのだ。

 透目町は、なんとも不思議な町だ。

 異常が日常に上手く溶け込んで、穏やかな日々を形成している。

 幽霊が視える人や、動物と話ができる人、背中に翼が生えた人まで居るこの町でなら、異常な私の人生も受け入れてもらえたかもしれない。それだけに、私は初めて、この人生を手放すのが惜しいと思った。

「――ほう。御主、我に返ったのだな?」

 と。

 背後から女性の声がして、振り返る。

 するとそこには、三メートルはあろうかという長身の女性が、楽しげに目を細め、私を見下ろしていた。

 このひとは、スキメ様だ。

 私も見るのは初めてだけれど、この町の創造主のような存在で、今も町を見守ってくれている、神様のようなひとと聞いている。誰から? それはもちろん私の両親から聞いた話だが、私にとっては血の繋がった家族なんて、他人と大差ない。

「我に返った、とは……?」

 突然現れた神様に、私は咄嗟にそれだけしか言えなかった。

 しかしスキメ様は、それで機嫌を悪くすることもなく、けらけらと楽しそうに話を続ける。

「言葉の通りだ。御主、これまで他人の人生を転々としてきた、逃亡者のようなものだろう? あれらは、ここが自分の居場所でないと判じると、途端に『我に返る』――つまり、逃亡者として自覚した自我が、意識的か無意識的かに関係なく、次の人生へと乗り換えを行うのだ。どうだ、心当たりはあるだろう?」

「あり、ます……」

 あるどころか、それは私のこれまでの半生そのものだった。

 流石スキメ様だ、この現象を知っているのか。

「そうさなあ、まずはひとつ、安心材料を与えてやろう。御主は言わば、一時的に意識を乗っ取る意識体のようなものだ。そのときの宿主は、言葉の通り『我を忘れている』という状態でな。御主が離れれば、本来の自我を思い出し、なにごともなかったように日常生活に戻る。だから、御主による影響はなにひとつない」

「私は、他人の人生に寄生し続けてきた、ということですか?」

「そういう言いかたもあるが、害はないんだ。罪悪感を抱く必要はないぞ」

「で、でも、その人の限られた人生の時間を、私が一時いっときでも専有してしまったのは事実で……」

「ははあ、さては御主、結構面倒臭い性格だな?」

 それが私の元来の性格なのだろうか。

 わからない。

「儂はな、御主に要求と提案があって、ここまで来たんだ」

 スキメ様は、私の心情など知ったことではないと言わんばかりに、マイペースに話を進める。

「まずは要求だ。その身体から出ていけ。その身体は、この町で二十余年を生きてきた貫田ぬきた蒼子そうこのものだ」

「……っ」

 スキメ様が出てきた以上、そう言われることは、なんとなく覚悟していた。

 いくら害はなくとも、異物が混入している状態を、スキメ様は是としない。

 だってここは、スキメ様が造った町で。

 スキメ様は、町民全員を深く愛しているのだから。

 本来この町の住人ではない私は、このあとスキメ様から『消えてくれ』と提案され、この意識を散らすのだろうか。

 ずっとずっと、逃げ出してきた。

 誰の人生の責任も背負わず、だらだらと人生を浪費するだけだった。

 それならば私は、ここで消えるのが運命だと、受け入れても良いのかもしれない。

「次に提案だ。御主、儂が造る身体に乗り換えて生きてみないか?」

「わかり……え?」

 想像とは違う提案に、私は思わず目を見開いた。

「厳密に言うと、人形の身体なのだがな。なに、大昔はよく造っていたのだ、ちゃんと人間のかたちになるだろうて」

 スキメ様は、楽しげに言う。

 そのあまりにわくわくとした様子から、もしかして、その人形とやらを造りたいところに、ちょうど中身となる私が現れたからと、この提案をしているのではないだろうな? ……なんていう疑念が脳裏を過る。が、失礼過ぎるので、口にはしない。

「いや、その通りだが」

 果たして。

 スキメ様はあっさり私の心の声を聞き取り、肯定してみせたのだった。

 造りたかったんだ、人形……。

「儂は久しぶりに人形を造れる。御主は御主で居られる上、終の住処を手に入れる。ほれ、ウィンウィンというやつだ」

「つ、終の住処って……?」

「うむ、それなんだがな」

 スキメ様は、嬉しそうに目を細めた。

 そんな風に見えた。

「御主は儂特製の人形の身体を手に入れる。その代わり、この町から一生外には出られぬようになる。それでも別段構わないな?」

 ついでのような確認に、私は再びぎょっとする。

 今日日、ひとつの町から出られないことがどれだけ大変か。日常生活を送る上での必需品は町内で調達できるとして、仕事はどうする? 旅行になんて絶対に行けない。絶対に不自由することが多いに決まっている。

 どうしてそんな条件がつくのだろう。もしかしたら、透目町の外にまで、スキメ様の力は及ばないからかもしれない。

 不思議なできごとは、決まって町内で起こるように。

 スキメ様の力も、この町でのみ発揮されるのだろうか。

 透目町は好きだ。

 けれど、町の中に閉じ込められるとなると、また意味が違ってくる。

 必要最低限の生活は送れるだろうが、如何せんこの町には娯楽となるようなものが、なにもない。私の寿命がこの先何年あるのかわからないが、それはあまりに条件が厳し過ぎるのではないだろうか。

 いや、しかし。

 落ち着いて、私は改めて、頭の中に天秤を用意する。

 片方には、田舎町での窮屈な人生。同じひとつの身体で生きていける人生。

 もう片方には、これまで通り、他人の人生に寄生し転々とする人生。

 揺らぐ。

 揺らぐ、揺らぐ。

 でも。だって。

 そんな言葉が、ぐるぐる巡る。

「……わかりました。お願いします」

 私はそう言って、スキメ様に頭を下げた。

 この機会を逃したら、私は永久に逃亡者としての人生を送るのかもしれない。そう考えた途端に、怖くなった。

 もう逃げなくて良い。

 それが、どれだけ心を満たしたか。

 だから、私はスキメ様の提案を受け入れることにしたのだ。

「あいわかった」

 スキメ様は満足そうに頷くと、ゆっくりと私の頭に手を置いた。

 褒めているのでは、ない。

 一体なにをするつもりなのだろう。

「なに、この身体から御主の意識を取り除くのだ。人形ができるまで、しばし時間を貰うが、御主の意識は儂がきちんと管理してやろう」

 言うが早いが、スキメ様は私の頭をするりと撫で、刹那、意識が反転した。

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