『名無しの名無花さん』2
それから、数日間に及ぶ観察の結果。
突如我が家に現れた女性の名前は、
それでも、とりあえずはあの女性を、名無花さん、と呼ぶことにする。
家族の会話から察するに、名無花さんは私の従姉妹であるらしい。少し前に――どれだけ探りを入れてみても、具体的な日付や季節さえわからなかった――療養の為、この
いつの間にか、名無花さんのぶんの食器も椅子も揃えられていて、名無花さんは客間で寝起きする。朝は家族全員が居る時間に朝食を済ませ、家を最後に出る父親が出発する前に、名無花さんも療養の為の散歩だと言って、父親の作ってくれたお弁当を持ってどこかへでかけて行く。夕方、誰かしらが帰ってくる時間帯に合わせて名無花さんも帰宅し、夕飯の手伝いをして、彼女を含めた家族全員で食卓を囲む。それが当たり前の日常になり代わっていた。
家族と名無花さんの仲は良好だった。
なんだったら、私よりも仲睦まじいかもしれない。その理由は単純明快、名無花さんはとにかく聞き上手なのだ。話者の求めるタイミングで相槌を打ったり質問をしたりというのは、誰もができるようでできない技術のひとつである。
兄は私のふたつ上、現在高校三年生だが、思春期真っ只中とは思えないほど、名無花さんに対しては饒舌になっていた。やれ学校でこんなことがあった、やれ友達がこんなことを言っていた。そんな、私たち家族が普段訊いても答えてくれないようなことを、名無花さん相手にだけは話すのだ。
二人が話をするのは、決まってリビングだった。どうやら名無花さんが、お喋りをするならリビングで、と取り決めを行ったことが理由らしいが、おかげで、両親はそれを遠巻きにそれとなく眺めているだけで、息子の近況を知ることができる。これにより、両親から名無花さんへの好感度はさらに上がっていった。
私は、ただただ怖かった。
どんな方法を使って、私の大切な家族を洗脳したのだろう。どうして私だけがその洗脳にかかっていないのだろう。以前だって笑顔の絶えない素敵な家族だったのに、今はなんだか、仮面を貼りつけられているような、ぎこちない空気が流れていて、居心地が悪い。
本当なら自分の部屋に引きこもって、名無花さんが居なくなるまでじっと耐えていたかった。けれど、自分の居ない空間で自分の話をされるのは、もっと嫌だった。両親が名無花さんに気を遣って私を下げるような発言をし、名無花さんがそれを嗜める。そんな反吐が出そうになるやり取りが階下で行われるかと思うと、精神衛生上よろしくない。だから私も、リビングでの家族団欒にはいつも通り参加していた。
名無花さんは、私にも話題を振ってくる。
けれど私は、最低限の返事だけで済ませて、極力彼女と会話を成立させなかった。そうすると両親が私を注意してくるのだが、そのときの表情のほうが人間味を感じられて、その瞬間だけ、私は僅かに安堵するのだ。
これはきっと、子どもの頃に観た、家族がいつの間にか人形に置き換わってしまったというあらすじの映画に起因する恐怖なのだろうと思う。子ども向けの映画ながら、あれは本当に怖かった。映画の通りの設定であれば、本物はどこか別のところに居るのだろうけれど。残念ながら、というべきか、この家に居る家族は間違いなく生きている人間で、どうしようもなく本物だった。だからこそ、恐怖と不安が日々加速していくのだ。
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