『名無しの名無花さん』(突如現れた正体不明の女性と同居することになった「私」の話)
『名無しの名無花さん』1
ある月曜日の朝、リビングで知らない人が家族と朝食を食べていた。
両親はとっくに食事を済ませ、母は早々に仕事へ行く準備を、父は家族全員分の弁当の用意をしていて。それを横目に、兄はテレビを観ながらトーストに齧りついている。
毎日代わり映えのない光景に、しかし今日は、異物が一人。
その知らない人は、兄の正面の席に座り、同じように朝食を食べていたのである。
見た感じ、二十代前半ほどの女性だ。胸元まで真っ直ぐに伸びる黒髪は、どんなヘアケアをしているのか訊きたくなるくらいに艷やかだ。髪色と同じ黒を基調とした服装は、ゴシック系やビジュアル系というよりかは、フォーマルなそれだ。しかし決して社会人としてそのまま出社はできないだろうと思わせる、なんとも個性的な服である。いや、その正面に座っている兄がまだ寝巻きなことも相まって、余計に際立って見えてしまうのだろうか。
顔の雰囲気は、特別美人ということもなければ、不美人ということもない。もうメイクはしているのか、それとも素顔なのか、とにかくきめ細かい肌だな、と思う。それでも、雑踏の中に居れば簡単に紛れてしまう程度の、平均的な顔立ちだ。
今は椅子に座ってはいるが、背格好は中肉中背。立ち上がっても、女子平均の私と同じか、それより少し高い程度だろう。
なにもかもが平均的な、普通の人に見える。
けれど、普通の人はある日突然現れて、さも当然のように家族に紛れたりなんてしない。ましてや、和やかに食事をしているだなんて、言語道断である。事前に誰か来るなんて聞いていないし、仮に私がそれを聞き逃していたとして、初対面であることに変わりはないのだから、まずは自己紹介くらいはして欲しいものだ。けれど彼女は、まるで『自分は以前からこの家族の一員です』と言った様子で、他の家族と同じように「おはよう」とだけ言ったのだ。
知らない人なのに。
家族じゃないのに。
「……誰?」
私のこの一言だって、勇気を振り絞ってようやく出したものだった。
家族全員が警戒しているならともかく、私以外はその人が我が家の日常に溶け込んでいることに、なんの違和感を覚えていないのだから、そりゃあ一言放つだけでも、勇気を総動員させる必要があった。
「どうした、
せっせと弁当を詰めていた父が、私の小さな声に反応して顔を上げる。
「まだ寝ぼけてるのか? まるで知らない人でも居るみたいな顔じゃないか」
まさにその通りである。
一言一句違えず私の表情から全てを読み取った父は、まさに親の鑑と言えよう。が、それを『寝ぼけている』と処理してしまったことで大幅に減点され、瞬時に普通の父へとその座を戻す。
「ほら、詩帆のぶんももうすぐできるから、早く食べなさい」
言いながら、父は兄の隣の席に、私のぶんの朝食の品を置いていく。ホットココア、スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ。そして、現在焼き途中の食パンも、じきに食卓に並ぶだろう。
私の席は兄の正面のはずだが、そこが既に埋まっているから、別の場所に置いているのだろうけれど。そもそも、どうして私の席に知らない人が座っているのか、という話だ。
この人は一体誰なんだ。
どうして誰もこの人を不審に思わないんだ。
目に見えて異常事態であるというのに、私以外の家族はいつも通りの朝を過ごしている。
私は、私の頭がおかしくなったのではないかと、そう思い。
あらゆることが怖くなって、その先、なにひとつ訊くことはできなくなった。
父の料理は、いつもお店顔負けの美味しさを誇るのに。この日の朝は動揺のあまり、ほとんど味を感じることができなかった。
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