『はんぶんこの二乗と抱擁』6
「二人とも大丈夫か?! ――って、うわあ、なにこの状況」
ほどなく、雅貴くんも公園に入ってきた。
なんだか緊張感に欠ける言いようだが、体高二メートルはありそうな巨大な猫が居ては、そう言いたくなる気持ちも十二分に理解できる。
「こっちに来るまでに通報は済ませたけど……ええと、それが犯人?」
困惑気味の雅貴くんは、そう言って、縄で縛られた女性を指差した。万が一意識が戻って噛みつかれても困るからと、簡易的に猿ぐつわまでしている徹底ぶりである。みどりのリュックサックからあまりに様々なものが出てくるものだから、私もしろさんも絶句していた。
「そ、この人が犯人。俺への暴力行為は撮れたと思うから、ひとまずそれで逮捕かなあ。なんか、最初から俺のこと知ってたみたいだし、ストーカーとかで捕まえてもらっても良いかも」
私の脇の下に顔を突っ込んで爆音で喉を鳴らすしろさんを腕全体で撫でながら、私は言った。
「それはわかったけど、琥珀くん、その猫は一体どうしたのさ」
雅貴くんの指摘はもっともである。
私は再度、死んだはずの友達を見遣る。
「雅貴くんもこの子とは何度か会ったことあるよ。名前はしろさんって言って、俺の知る限りは普通の猫で、二年前の冬に亡くなったはずなんだけど……」
しろさんが姿を現したことは、この際一旦置いておくとしても。なにより、このサイズ感である。しろさんはせいぜい七キロほどの、猫としては大型に入る部類の雑種猫だったはずだ。たとえ記憶でいくらか補正がかかっていたとしても、これほど巨大ではなかったことは断言できる。
『おれは琥珀の兄弟で、友達だ。そして今日からは、琥珀の守護霊になる』
「んん……? しろさん、俺、最後のだけよくわかんない。守護霊って言った? しろさん、今って幽霊的な存在ってこと?」
『うん。琥珀みたいに転生することもできたんだけど、それより、ずっと琥珀の隣に居たいって言ったら、守護霊になることもできるぞって言われて。この間まで、ケンシューってやつをしてたんだ』
「研修……」
まさか猫の口から、研修なんて単語が発せられる日がくるとは思わなかった。
『全日本守護霊・守護天使協会動物支部ってところだ。人間を守る術をたくさん教えてもらったから、これからはおれが琥珀を守る。琥珀、嬉しいだろ?』
「うん。すごく嬉しい」
経緯はさておき、それは私の素直な気持ちだった。
本来であればあり得ない再会なのだ。心が弾まないわけがない。
『……しろさん、ひとつ訊いても良い?』
そう言って控えめに挙手したのは、みどりだった。
しろさんはその巨躯をぬっと動かし、みどりのにおいを嗅いでから、
『人間なのに鳥の言葉を話すのか。面白いな、お嬢さん。琥珀と仲良しみたいだから、良いよ、答えてあげる。なにが訊きたいんだ?』
と言って、また私の隣に戻ってきた。
なんだかしろさんが変な勘違いをして上機嫌になっている気配を感じるが、今は言及しないでおこう。
『その女の人、さっき「またお前か」って言ってたけど、もしかして、ここ数日ほどこの人が猫を殺さなかったのって、しろさんがこの人の妨害をしたから?』
犯人に襲いかかられたことと、突然のしろさん登場に動揺していて私は気がつかなかったが、言われてみれば確かに、という質問だった。
公園で猫が殺されて、私が張り込みをするようになって、三日間は被害が出なかった。
私をおびき出して食べる為なら、張り込み初日を狙ったっておかしくない。それどころか、その三日間、私は一人で公園内に居たのだから、犯人からしたら絶好のチャンスだったのだ。
『その通り。ずっと邪魔してたら諦めると思ってたのに、今日一日、おれの監視の目を掻い潜って姿を消したかと思ったら、ここで琥珀を食べようとしたんだ。許せない』
そう言って、しろさんは低い唸り声を上げた。
身体が大きくなっていることもあり、それはほとんど地響きのように聞こえる。
「ま、まあまあ。しろさんのおかげで俺は無事なわけだし。ありがとうね、しろさん」
『琥珀、怖かっただろ。これからはずっとおれが一緒にいるからな。もう大丈夫だぞ』
そうして私を安心させる為だろう、口を僅かに開いたかと思うと、その大きな舌でざりざりと私を舐め始めた。守護霊といえど、ほとんど実体に近いからなのか、普通に痛い。
「あの、ちなみに、しろさん、前に比べて身体が随分大きくなったみたいだけど、それはどういう理由で?」
『え? 大きいほうが強いだろ?』
さも当然と言わんばかりに、しろさんは言った。
「ということは、今のしろさんは大きさを自由に変えられるの?」
『そうだぞ』
「そしたらさ、前と同じくらいの大きさになれる? もうすぐ警察の人も来るだろうし、大きなしろさんを見てびっくりすると、話がややこしくなっちゃうからさ」
『そういうものなのか』
面倒臭そうな顔をしつつ、しろさんがぎゅっと目を閉じると、間もなくその姿はしゅるしゅると縮んでいき、次の瞬間には見慣れた大きさの猫がそこに居た。
そして、それを見計らっていたかのように、パトカーのサイレンが聞こえ始めた。じきにこの公園へ到着するだろう。
「みどり、君はそこの裏道から公園を出て、早く家に帰ったほうが良いよ。送っていけないのはごめんだけど、ほら、事情聴取とかで家に連絡がいくと、いろいろ面倒でしょ」
詳しくは聞いたことはないが、彼女の鳥に関する特性で、両親とあまり上手くいっていない話は、以前に聞いたことがある。
『それじゃあ、お言葉に甘えて。家まではさっきのフクロウさんについてきてもらうから大丈夫だよ。あ、リュックは琥珀に預けていくね。縄の出処とか訊かれたら、それこそややこしくなっちゃうから』
私にリュックサックを預け、みどりはこれから行く裏道を一瞥して、続ける。
「ま、また、明日。ばいばい」
それは鳥の言葉ではなく、人の言葉だった。
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