『はんぶんこの二乗と抱擁』2
「まあ、手伝うのは別に構わないんだけどさ。聞いた感じ、見回りも注意喚起もしてるんだろ? 僕らがどうこうしなくても、そのうち捕まるんじゃない?」
近くに寄ってきた猫を撫でながら、雅貴くんは言った。
「それはそうかもだけど、でも、その間、この子たちは危険に晒されるわけじゃないですか。現に、見回りも注意喚起もしていた中で、犠牲が出ちゃってるし。下手に長引いたら、冬になっちゃうかもしれない。猫たちの動きが鈍ってるところを狙われたらと思うと、早めに解決しておきたいなって思って」
今は九月中旬。
少し気が早いかもしれないが、友達の命が危険に晒されている状態が長く続いて良いことなんて、ひとつもない。
「なるほどな。確かに、それは急いだほうが良い。気がそぞろになって、二学期中間で酷い点を取って補習になるのも、友達に悪いものな」
「そ、それも理由のひとつではあるけど……」
そういえば、一学期の期末テストの点が振るわなかったことを、雅貴くんには話していたんだったか。
私は猫の言葉がわかるという特性を活かして獣医を目指し、日々勉学に励んでいるのだが。先のテスト期間は迷子の猫を捕まえることに熱を注ぎすぎて、勉強が疎かになってしまったのだ。
「それで? 夜に公園に張り込んで、犯人と思しき人物を特定していく感じで良いの?」
「そうだね。証拠映像を撮って、警察に捕まえてもらうのが現実的かなとは思ってます」
猫に危害を加えている決定的場面でなくとも、噛みつこうとしているその手前まで撮れていれば、それで良い。猫への被害は極力抑えたい。
「俺は比較的猫が集まりやすいここら辺で張ろうと思うので、雅貴くんは向こう側、公園の出入り口辺りを、近くの高台から見張ってもらいたいなって」
「僕が公園に入ると時間経過が遅くなるし、それが良いだろうね」
そうして雅貴くんと計画を練っていたところに、この辺りのボス猫である茶トラのチヒロくんがやって来た。その後ろには、黒猫のヤマトくんも居る。
『琥珀、聞いてくれ。犯人を見たってやつが居たんで、連れてきたんだ』
にゃあにゃあという猫の鳴き声は、私にとっては人間の言葉と同じように聞き取れる。音としては鳴き声なのだが、脳が勝手にそれを理解してしまえる、と表現するのが、感覚としては一番近いのかもしれない。
「本当? ありがとう、チヒロくん」
『良いってことよ。ほらヤマト、さっきの話、こいつにもしてやってくれ』
言いながら、チヒロくんは胡座をかいている私の膝上にどかっと座った。頭を撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めたが、後輩であるヤマトくんの手前か、いつものように自分から甘えてこない。
『おれ、きなこに噛みついた人間を見たんスよ』
私の前に腰を落としたヤマトくんは、開口一番に有力な情報を口にした。きなことは、二人目の犠牲者となった茶白の猫の名前である。
「その人間、オスかメスかはわかった?」
『メスでした。毛が長かったッス』
「どのくらいの長さかな。肩くらいとか、腰くらいとか……」
身振り手振りで髪の長さの目安を尋ねると、ヤマトくんは少し首を傾げて記憶を辿るような仕草を見せてから、
『肩くらいまでッスね』
と答えた。
「髪が肩まである女性か……」
『あ、あと、きなこに噛みついたあと、そのままきなこのことを喰い始めたんスよ。おれ、人間の言葉はわかんねえけど、なんかぶつぶつ言ってて、すげぇ怖かった……』
「それは、怖くて当然だよ。君になにごともなくて、本当に良かった」
私が手を差し出すと、ヤマトくんはすっとこちらに寄ってきてくれた。撫でながら、念の為、この子に怪我がないかを確認する。が、特に外傷はないようだ。
『じゃあおれ、これから
「うん、話してくれてありがとうね」
気をつけて、と言いつつ、ヤマトくんを見送る。近くの茂みに入っていったヤマトくんの姿は、あっという間に見えなくなった。
「チヒロくんも、ありがとうね」
『どうってことないさ。オレも、仲間を殺したやつは早くここから居なくなってほしいし』
「そうだよねえ。あ、妹のチカちゃんは元気? 最近あんまり見かけないんだけど」
『チカは今、
「そっか、源本さんのところなら安心だ。チヒロくんも今はそこでお世話になってる感じ?」
『オレはパトロールがあるから、ずっとじゃないけど。夜は源本さんちで寝るようにしてるぜ』
「うん、しばらくはそれが良いよ」
『じゃ、オレもパトロールの続きがあるから。またな、琥珀』
「うん、またね、チヒロくん。忙しいのにありがとう」
ひょいと私の膝から降りると、チヒロくんは来た道を引き返して行った。流石、しろさんが直々に後継者と認めた猫だ。ボス猫然とした、堂々たる足取りである。
「……というわけで、犯人に関する新情報ゲットです」
言って、私は雅貴くんのほうに向き直った。
「何度見ても、不思議な光景だなあ。でもまあ、今のはなんとなくわかったよ。さっきの黒猫が犯人を見かけた、みたいな話でしょ?」
「うん、だいたいそんな感じ」
そうして私は、たった今ヤマトくんから聞き取った情報を、雅貴くんに共有した。
犯人は、髪が肩ほどまである女性らしいということ。
猫に噛みつき、そのまま食べていたらしいということ。
その際、なにやらぶつぶつと言っていたらしいこと。
「……それ、なにを言ってたのかは、わからなかったんだよね?」
「そうみたい。まあ、人間が猫の言葉を理解できないように、猫も人間の言葉は理解できない場合が多いから。特にヤマトくんは若い猫だから、余計にね」
逆に言えば、長生きしている猫ほど、人間の言葉を理解することが多かったりする。とはいえ、それは個人差が大きい。人間の言葉がわかる猫に追跡を頼めば、その呟いていた内容もわかるかもしれないが、あまりに危険度が高過ぎる。外で暮らす猫を喰らう異常者には、極力近づけたくなかった。
「今夜から張り込みを始めるとして、琥珀くん、僕とふたつだけ約束をしよう」
「なに?」
首を傾げた私を、雅貴くんは真っ直ぐに見据えて、言う。
「張り込み中は、常に僕と音声通話を繋いでおくこと。あと、危ないと思ったらすぐ逃げること」
「それは、保護者として?」
「半分はそう。もう半分は、友達としてだよ。僕だって、友達に傷ついて欲しくはないからさ」
「それは、うん、そうだね。わかった」
それじゃあ、頑張ろう。
そう言って、私たちは互いの拳をこつんと合わせた。
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