『飛べない翡翠の歩きかた』7
「覗き見るつもりはなかったんだ、本当に。たぶん秘密にしてることだろうなって思ったから、このことは誰にも言ってない。猫にも」
殺気立った私を見て、望月君は慌ててそう付け足す。その表情は真剣そのもので、からかっているわけでも、脅すつもりもないようだ。
「花桐さんさ、俺と高校が同じってのは知ってる?」
不意にそう問われ、私は首を横に振る。
「だよね、クラスが違う上に遠いし。俺が見かけたのは、本当に最近のことで――ゴールデンウィーク明け頃かな。花桐さん、放課後に駐輪場の裏手で写生してたことあるでしょ。あのとき、俺も高校に縄張りを持ってる猫とあの辺りで日向ぼっこしてて、偶然、鳥と仲良く遊んでる花桐さんを見かけたんだよね。俺は猫の友達が多いからか、鳥全般から警戒されまくっててさあ。あんなに楽しそうにしてるの、羨ましくって。コツとかある?」
「……」
警戒が甘かったとか、普通じゃないことがバレてしまったとか、そういうことで頭の中がぐるぐるしていたはずが、いつの間にか、毒気を抜かれたように落ち着いていた。
猫と話ができることを周囲から否定されず過ごしてきて、それを土台に獣医を目指し、ボランティア活動までするような人が、鳥と仲の良い私を羨ましがるなんて。
さっきまで締め上げられていたようだった喉元に、すっと空気が入ってくる。
冷え切っていた身体が、内側からぽかぽかとしてくる。
望月君になら話しても大丈夫だろう。
中学の三年間と、今の会話で、私はそう確信した。
『この言葉は、聞き取れる?』
と。
私は初めて、人前でカワセミの声を出した。
周囲には誰も居ないが、それでも念の為にノートで口元を隠し、望月君からだけ、私の口からそれが発せられたのだとわかるようにして見せた。
果たして、望月君はひどく目を輝かせていた。
「ちょ、ちょっとだけならわかる。微妙に周波数の合わないラジオみたいだけど、聞き取れてるよ」
望月君は見るからにテンションがだだ上がりしていたが、大声を出すことはしなかった。信頼を倍にして返してくれたようで、心がくすぐったい。
『私は、人間の声は出せないけど、鳥の声なら出せるの』
「そっか、あれは花桐さんと鳥たちとのお喋りだったんだね。そりゃあ、楽しそうなわけだ。あ、鳥って種類によって鳴き声って全然違うと思うんだけど、花桐さんの声ってどの鳥とかってわかる?」
『……この声は、カワセミ』
色鮮やかな姿を思い起こしながら、私は答えた。
もう何年もあの姿になれていないし、これから先もなることは叶わないであろう姿だ。
「これは俺の推測だから、違ったら違うって言ってもらって構わないんだけど」
少し考えるような間があってから、望月君は言う。
「花桐さんって、鳥の姿になれたりもする?」
『どうして、そう思ったの?』
少しだけ躊躇って、それから私は意を決して、そう尋ねた。
「カワセミって、確か青と橙の色の鳥だよね」
『うん』
「今、こうしてカワセミの言葉で話してる花桐さんの髪の色に、少しだけその色が混じってるんだよ。だから、もしかしたら姿も変えられるのかなって思った」
『……そうだとしたら、望月君はどう思う?』
髪の色に影響が出ているなんて、全く気がつけなかった。
もしかしたら、望月君は『動物と話せる』という共通点で、私に親近感を持ってくれたのかもしれない。姿まで変えられるとわかったら、両親のように、気持ち悪がられてしまうのだろうか。
信じた矢先に疑ってしまう。悪癖だとわかっていても、即時に直せるものではなかった。
「え? 普通にすごいし、羨ましいって思うよ。俺は猫と話せるけど、猫にはなれないからさあ。前に、しろさんとかけっこしようって誘われたけど、人間と猫だと、スピードも、見えてる景色も違うからさ。基本的には俺のこと大好き全肯定マンのしろさんも、あのときはちょっと残念そうな顔をしてたんだよね。だから、本当に羨ましいと思う」
しかし望月君は、私の心配などよそに、けろりとそう答えた。
いや、私だってこの町に引越してきてから数ヶ月のうちに、頭のどこかでは理解していたのかもしれない。この町の人間は、異能や異形を無闇に否定することはない、と。それでも臆病風に吹かれて自ら殻に閉じこもっていたのは、他でもない私自身だ。
『昔は、カワセミの姿にもなれたよ。今はちょっと、できないけど』
「そっか。まあ、生きてればいろいろあるもんね」
詳細を語りたくない私の心情を察してか、望月君はさらりと流して、話を続ける。
「あのさ、花桐さん。今度、鳥とのお喋り会に俺も参加させてもらえないかな。鳥と話す機会って少なくて、言葉のチューニングがいまいち上手くいかないんだよね」
既にカワセミの声で話す私と問題なく会話を成立させているというのに、望月君は熱心だな、なんて思う。それだけ獣医になるという夢に具体性を持たせているということだろうか。
『良いよ』
その夢に協力できるのならと、私は快諾した。
望月君は、やった、と笑みを深めて、言う。
「ありがとう、花桐さん。いつなら都合が良い?」
『いつでも大丈夫。望月君のほうが忙しいだろうから、時間があるときに声をかけてくれたら、それで良いよ』
「そう? それなら、行ける日がわかったら教えるね。花桐さん、三組だっけ?」
『うん』
「おっけ。あ、ちなみに俺は六組なんだ」
そうして話がある程度まとまってきたところで、約束の橋に到着した。
私は橋を渡らず、住宅街へ。
望月君は橋を渡って、保護施設へと戻るのだろう。
預かっていた一匹のリードを返すが、犬はなんだか名残惜しそうな表情をしているように見えた。
『また遊ぼうね。ばいばい』
私が小声でそう声をかけると、犬はその言葉を理解したのかしていないのか、目を輝かせ、一際大きな声でワンと鳴いた。これは私にもわかる、『うん』と言ったのだ。よしよし、と頭を撫でると、それで満足したのか、望月君の足元へと戻っていく。
「それじゃあ、ばいばい、花桐さん。またね」
二匹分のリードを持ち、望月君はこちらに手を振った。
私はそれに頷き、手を振り返した。またね、と声に出して言いたかったけれど、大声が出せない以上は仕方がない。
望月君は前に向き直ると、二匹の犬を連れて橋を渡って行った。途中、犬は何度かこちらを振り返ったが、私はその度に手を振って別れを告げた。そうして犬が振り向かずに歩いていけるようになったことを確認してから、私も帰路に就く。
いつもなら憂鬱で足の重たくなる帰り道。
しかし、数年ぶりに同級生と話ができたからだろうか、今日はなんだか、足が軽く感じられる。心の内がぽかぽかとしていて、気分が良い。
獣医。獣医かあ。
望月君から語られた夢を、今一度頭の中で反芻する。
自由に焦がれて空を飛ぶことばかりに意識を集中していたけれど、きっと今はまだ飛び立てはしない。
それでも、この町でなら、地に足をつけて歩いていけそうな気がした。
終
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