『彼岸の名づけ親』(自称神様見習いが便利屋の「私」に捕縛され〝話し合い〟をする話)

『彼岸の名づけ親』1

「そこの貴方! 幸せになりたくはないですかっ?!」

 八月十五日、昼過ぎ。

 午前中の業務が終わり、社用車を職場の駐車場に停めてエンジンを切り、外に出て数秒。

 駐車場の日陰に居た『それ』は、私と目が合うと、開口一番にそんなことを言った。

 刹那、外は災害級の酷暑だというのに、ぞわりと鳥肌が立つ。

 理由はふたつ。

 ひとつは、人間の体温すら超える気温の屋外で、『それ』は厚手のコートとマフラーを着込んでいる不審者であるということ。

 もうひとつは、『それ』が人ならざるもの――所謂、幽霊であるということだった。

 こんなもの、絶対に関わり合いになってはいけないに決まっている。

 私は俗に言うところの『視える人間』ではあるが、普段、よっぽどの事情がなければそういった類は無視を決め込んでいる。視えるからこそ、死者と容易に関わっていては境界線があやふやになってしまうからだ。

 ただ、その日に限って言えば、午前中にがっつり肉体労働をして疲弊していた上、息苦しささえ感じる暑さで、判断力が鈍っていたとしか言いようがない。言い訳のしようがないほど、しっかり『それ』と目を合わせてしまった。

 いや、もしかしたら『これ』は熱中症の症状が見せる幻覚かもわからない。ともかく事務所に避難しよう。そこなら冷房が効いていて涼しいし、なにより結界に護られているから幽霊は入ってこられない。

 私は幽霊から視線を切り、足早に事務所に向かう。

 しかし。

「お願いです、無視しないでくださいいいい!!!! 貴方、ここの便利屋のスタッフさんでしょう?! 話だけでも聞いてくださいようううう!!!!」

 酷暑でセミすら鳴かない真っ昼間に、悲痛な女性の声が響く。

 突如掴みかかってくることこそなかったものの、目前でこうも騒がれると、如何せん喧しい。これでは事務所の結界内に入ったとして、窓の外から延々叫び続けそうである。

「――害為す者を捕縛し給え」

 私はひどく深いため息をついた後、幽霊に向かってそう唱えた。

「ぎゃっ」

 次の瞬間、幽霊は後手に縛られ、膝をついた。

 視える側の人間であるからこそ、自衛の手段はもちろん持ち合わせている。

 私の場合は、子どもの頃に助け助けられた仲である大型犬の守護霊がそれだ。対象を護る能力を多く持っている私の守護霊は、その術の発動の権利をほぼほぼ私に委ねている。先の呪文じみた文言は、守護霊の力を引き出すものと言って良い。

 術が問題なく発動していることを確認し、私は一旦事務所に入ることにした。

「嘘ぉ?! この状態で放置?! 信じらんない! 鬼、悪魔っ!」

 背後から罵詈雑言が飛んできていたが、ひとまずは無視である。

 事務所に入って、事務仕事をしていた副所長に一声かけつつ、コップに氷を限界まで入れ、麦茶を注いで即座に飲み干す。冷凍庫から大量の保冷剤を取り出し、麦茶のおかわりを注いでから駐車場へと戻った。

 あんな暑い場所になんの対策もなく居続けたら、ものの数分で茹で上がってしまう。あの幽霊についてどう対処するにしても、暑さ対策は必須である。

「酷いですよう、私、なんにも悪いことはしてないじゃないですかあ……。鬼ぃ、悪魔ぁ、悪徳除霊師ぃ……」

 数分ほどで戻ってきたつもりだが、幽霊はこの世の終わりかというほど絶望してベソをかいていた。

 私が近くの日陰にパイプ椅子を置いて座っても、めそめそと下を向いているばかりで、一向に気づく気配がない。

「最近の幽霊は宗教勧誘でもしてるのか?」

 麦茶を飲み干してから私が口を開くと、幽霊ははっとして顔を上げた。

「げげっ、いつの間に戻ってきたんですか?!」

「なんだ、悪徳除霊師に用はないのか。それじゃあな」

「わー嘘です嘘うそ、嘘に決まってるじゃないですかー! 神様仏様便利屋さん様~っ!」

「いや語呂悪いな」

 なんだよ、便利屋さん様って。

 幽霊は無理に口角を上げ、貼り付けたような笑顔を見せている。私の機嫌を取ろうとしているということは、少なくとも除霊は避けたいということだろうか。

 私は様々に思案を巡らせつつ、保冷剤をタオルで巻いて首元に当てながら、幽霊との対話を試みることにした。

 最低目標は、この場から立ち去ってもらうことである。

「あんた、幽霊だろ。ここでなにしてる?」

「ち、違います、私は幽霊じゃアリマセン」

 幽霊は挙動不審な様子で首を横に振り、私の推測を否定する。

「私は、神様見習いです! だから怖くない、怖くないデスヨ~」

「胡散臭ぇ……」

「酷い!」

「ああ、悪いな。思ったことがそのまま口から出てた」

「初対面の人を相手に、なんて失礼な!」

「その初対面の人を相手に、宗教勧誘みたいなことを言ってきたのはどいつだよ」

「私です!」

「返事だけ良くてもなあ」

「あ、でも、宗教勧誘ってのは否定させてください。私はそういう目的でこの町に来たんじゃないんです!」

「じゃあ、本来の目的はなんなんだ?」

「へへっ、よくぞ聞いてくれました。なんと神様見習いである私は、この町に、善行を積みに来たんです! ちゃんとスキメ様の許可も取ってますっ!」

「へえ」

 話の風向きが変わってきた。

 ただの通りすがりの幽霊かとばかり思っていたが、スキメ様――この町の大元を造ったカミサマみたいな存在――外部からの異物を極度に嫌うあの人が許可を出しているのであれば、目の前のこれに脅威はないと考えて良い。或いは、どこかでスキメ様の存在を知って勝手に名前を出した可能性も考えられないことはないが、その場合、あの人が即座にこの場に現れるだろう。来ないということは、前者と捉えて良さそうだ。

「それなら、どうしてウチの前で待ち構えてたんだよ。町ん中を歩き回っていれば良いじゃねえか」

「それがですねぇ、どういうわけか、先月くらいから目に見えて外を出歩いている人間が激減しまして……。善い行いをしようにも、する相手が見つからない状態なですよぅ。ここを見つけたのは偶然ですが、ここなら、困っている人が来るだろうし、私が助けになれるかなと思いまして」

 外を出歩く人間が激減したのは、間違いなくこの酷暑が原因だろう。

 天気予報を見れば、どこも不要不急の外出を避けるように呼びかけている。そうでなくとも、人間の体温以上の気温になっているところに自ら飛び込む命知らずは居ない。

「残念だったな、ウチへの依頼は基本的に電話かネットからだ。直接事務所に依頼人が来るのは、年に数件程度ってところだな」

「そんなあ……。あ、それじゃあ、私ここで待ってるので、私に力になれそうな案件を回してもらうことって――」

「できるわけねえだろ。生者の労働を奪おうとするな。ウチはそれで商売やってんだぞ」

「デスヨネー」

 肩を落とす幽霊に、嘆息する私。

 とはいえ、このまま没交渉で放置はできない。

「善行ってのは、具体的にはどんなことをするんだ?」

 両者にとって落としどころはないものかと、私は幽霊に訊いてみることにした。

「幸せにすることです」

 私の問いかけに、幽霊は真っ直ぐな目で答えた。

 が、あまりに具体性に欠け過ぎている。見た目は成人していそうなものだが、社会人としてその回答はあまりに不適切である。

「例えば?」

「た、例えば……」

 幽霊は懸命に記憶を辿るように、視線を右往左往させながら、言う。

「子どもじゃ手の届かない場所に行っちゃったボールを取ってあげたり、川から落とし物を見つけ出したり……ですかね」

「それは対象となる人間に視認されている必要はあるのか?」

「ないです。あくまで人の助けになる行いがカウントされていくだけです」

「カウント……ってことは、ノルマみたいなものがあるのか?」

「はい。右の手のひらに、あと何回善行を行うべきかの数字があります。見ます? 見たいですよね? それなら、その、拘束を解いてもらって良いでしょうか」

「……あんた、俺が拘束を解いたら、即座に逃げるつもりだろ」

「ぎくっ」

 さきほど視線を彷徨わせていたのは、やはり逃走経路の確認だったか。

 別にこの場を逃げられても困ることはないが、根本的な問題が解決していないと、今後何度も今と同じような状況に陥りかねない。できればこの場で解決してやりたいと思うのは、果たして職業病というやつだろうか。

 私は一度深呼吸をすることで思考を切り替え、それから、トオル、と守護霊の犬の名を呼ぶ。

「この人のこと、くるっと回して、こっちに背を向けさせられるか?」

 私の声に、すぐさまワンと鳴き声が返ってきたかと思うと、幽霊の身体はひらりと反転し、こちらに背を向けた。

「え、犬? どこ? うわわわっ」

 律儀に全部に反応した幽霊をよそに、私は椅子から立ち上がり、彼女の手元を確認した。右の手のひら。そこには確かに、数字が刻まれていた。その数字は現在『89』。これが今後行うべき善行の数だとしたら、なかなか心が折れそうである。

 この町で善行を積みに来たという、自称神様見習い。

 スキメ様の許可も出ている。

 それならもう拘束を解いてしまっても良い気がするが、なにか引っ掛かる感じがする。

 そもそもの話、この町には既に複数の神社が在り、それぞれに住んでいる神様によって町は護られている。町を護る神様を追加するなんてことが有り得るのだろうか。それとも代替わりでもするのだろうか。別段、私はこの町の神事に本格的に関わっているわけではない。あくまで便利屋として、時折手伝いをする程度だ。いや、この気配の感じからして、『これ』が言うところの神様見習いは、単に方便である可能性のほうが高いのだろう――というか、十中八九ただの幽霊でしかないだろう――が、万が一ということもある。

 さっさと対処して、涼しい事務所で昼食にしようと思っていたが。これは存外面倒な案件かもしれない。少なくとも、自分一人で判断するには荷が重く感じられた。

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