『彼方此方に彷徨う蝶はほぞを噛んだ』5
一軒家といえば気楽なものだが、数寄屋門まで構えている、大層立派な日本家屋だった。
スキメ様は慣れた手つきでインターホンを鳴らしたが、応答はない。夜も遅い時間だ、高齢の喫茶店主であれば、とっくに寝ていてもおかしくはない。しかしスキメ様は諦めることなく、再度インターホンを押す。応答がなければもう一度。まるで、居留守をしているのはお見通しと言わんばかりのそれに、五度目の呼び出し音のあと、
『なんだ』
と、インターホンからは、不機嫌を隠そうともしない男性の声が応えた。いや、これは彼でなくとも不機嫌になるだろうけれど。
スキメ様はしゃがんでインターホンのカメラに顔を近づけ、話し始める。
「儂じゃよ」
『それはわかってる。隣に居るのはなんだ?』
「御主の店に住み込みで就職希望の若者だ」
『また妙なの拾ってきやがって……』
「おい永山
『聞こえるように言ったからな』
男性は、スキメ様と気がおけないやり取りを終えるとインターホンの通話を切り、ほどなくして玄関の戸が開く音がした。つっかけサンダルが地面を擦る音が近づき、数寄屋門の引き戸を開けて出てきたのは。
「
私は目の前に現れた人物を指差し、思わず大声でそう言った。
いくら子どもの頃に比べて会う機会が減ったとはいえ、身内を見間違うはずがない。雰囲気が似ているとかそういう話ではなく、彼は伯父の永山恒平本人にしか見えなかった。ただ、私の知る伯父は六十代だったはずで、目の前に居る男性は、どれだけ多く見積もっても三十代前半がせいぜいといったところに見える。
事前にスキメ様から聞いていた話では、戦後からこの町に住んでいる老人のはずだが……?
「此奴で間違いない。他より長生きなのだ」
スキメ様は当然のように、私の内に湧いた疑問に答えた。
いや、これは長生きという言葉で片づけて良いものではないようにも思うのだけれど。当時から今まで見た目も変わらずいるのであれば、それはもう不老不死である。
「……で? これはなんだ?」
動揺する私とは裏腹に、永山久と呼ばれていた男性は、私を指差して冷静にスキメ様に問うた。
スキメ様は楽しそうに目を細めて、言う。
「御主とは異なる方法で生き延びた、並行世界の永山家の子孫。そう言えば理解できるか?」
「理解できないことはないが……その並行世界の人間が、どうしてここに?」
「元々此奴には並行世界に渡る能力が備わっていたのだが、その力を、ついさきほど使い果たして、元の世界に帰れなくなってな。今日からこの世界で生きていくことになったのだ。御主、彼奴の面倒を見てくれるな?」
「……」
スキメ様の言葉を受け、永山さんは深いため息をついた。それは、私が自分の能力の限界すら管理しきれていなかったことに対する呆れなのか。或いは、それで真っ先に自分を頼りに来たことに対する怒りなのか。
「あ、あの、スキメ様は決して嘘は言ってなくて、その――」
状況を見極められないまま、それでもこの重たい空気を打開したくて口を開いた私に、永山さんは右手を小さく振って、私の不安を否定する。
「いい、わかってる。スキメ様は嘘をつかないし、君が永山家の子孫だということも、その顔を見れば、嫌でもわかる」
「顔って……?」
「君の顔、僕の父親の若い頃にそっくりなんだよ。二百年ぶりに見た。うん、こんな顔だった気がする」
二百年ぶりだなんて、大阪の人みたいな誇大表現をする。彼の発音に訛りは一切ないが、関西圏になにか縁があるのだろうか。
呑気にそんなことを思った私の隣で、スキメ様は小さく笑い、
「御主、ついこの間、自分はまだ二百年も生きていないと言っていたではないか。歳を盛るものではないぞ」
などと、これまたよくわからないツッコミを入れる。
「まあ、儂にとっては数十年も数百年も、誤差みたいなものだがな」
「規格外の長寿は黙ってくれ」
それで、と永山さんは続ける。
「そこの若人が並行世界の永山家の子孫だっていうのは理解した。突然帰れなくなって、ウチで住み込みで働きたいというのもわかる。だが、無条件に雇うわけにはいかない。人には向き不向きがある」
「それは、ごもっともだと思います」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
スキメ様は永山さんを、並行世界の血縁者だからという理由で紹介してくれた。これより先は、私の能力に賭けるしかない。
それじゃあ訊くけど、と言う永山さんに、私はぐっと肩に力を入れて身構える。
「君、飲食店での接客経験はある?」
「はい。高校生のときはファミレスで、大学生のときは居酒屋でアルバイトをしてました」
「ホームページ作成とか、SNS運用の知識ってある?」
「学生のとき、自分の趣味用の個人サイトを作ったことはあります。ほとんどタグをコピペして構築したサイトでしたけど。SNS運用のほうは、それが仕事だったので、多少の自信はあります」
「なるほど。うん、そういうことなら、君を採用しよう」
「えっ、あ、ありがとうございます」
たったあれだけの質問で採用されるとは思わず、私の声は若干裏返ってしまった。
「給料とか勤務時間とか、この町で生きていく上での諸々の手続きとかは、明日以降に話そう。今日からここが君の勤務先であり、帰ってくる家になる。ええと――」
握手をしようと右手を差し出したところで、永山さんが言い淀む。そういえば名前を名乗っていなかった、とすぐに思い立った私は、その右手を握り返しながら、
「二木充紀といいます。永山は、母方の姓なんです」
と言った。
「僕は永山久という。これからよろしく」
「こ、こちらこそ! これからお世話になりますっ!」
「過度な感謝は必要ない。これも僕が果たすべき役割のひとつ、なんだろう?」
そう言って永山さんが問いかけた先は、スキメ様だった。
数寄屋門前で行われた面接試験を眺めていたスキメ様は、永山さんに向けて微笑んだかと思うと、
「どうだかのう」
と、勿体つけるような、意味がありそうでなさそうな、曖昧な言葉を返す。
そうしてこの話はそこまでと言わんばかりに、視線の先を私に変えた。
「な、大丈夫だっただろう? 改めて、ようこそ透目町へ。歓迎するぞ、二木充紀」
スキメ様は、小さな子どもにするように、無遠慮に私の頭を撫でた。大人になってから誰かにこんな風にされることがなかったというのもあるが、成人男性の手よりも大きなその手で撫でられるというのは、なんとも不思議な感覚だった。
それから。
永山さんが客間に用意してくれた布団に入って、あっという間に眠りに落ちた。
もしかしたら、結局これも質の悪い夢でしかなくて。次に目が覚めたら、いつも通り自宅のベッドに居るかもしれない。そうして毎日同じ動作を繰り返すように身支度を整えて、会社へ向かうのだ。きっとそうだ。
そう思った。否、そうであってくれと、強く願った。
果たして。
朝が来て、目が覚めて。
まず目に入ったのは、見慣れぬ木製の天井で。私の身体は、慣れないにおいのする布団の上にあった。
帰れなかった。
本当に、二度と帰れないのだ。
そう思うと胸のあたりが急に苦しくなって、涙はだらだらと頬を伝い枕を濡らした。
終
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