『透明人間はスパゲッティで孤独を癒やす』(極端に影の薄い「私」が並行世界の人間と不老不死の人間に救われる話)

『透明人間はスパゲッティで孤独を癒やす』1

 物心がつく頃には、私は透明人間になっていた。

 否、透明人間と言うと流石に語弊がある。

 正確には、極端に影が薄い人間になっていた、だ。

 一人で飲食店に行けば入店したことすら気づかれず席に案内されないことに始まり、やっとの思いで注文ができても、注文したものが出てくるまで通常の三倍は時間がかかる。

 学校生活においては、とにかく出席しているという証明をするのが難しかった。なにもせずにいると、席に座っているにも関わらず、居ないことにされて欠席扱いとなることも多々あった。

 さらに、血の繋がった家族でさえ、時折私が見えなくなるのだ。父と母と兄と私で食卓を囲んでいても、いつの間にか私が蚊帳の外にされてしまう。さすがに存在そのものから無視されていないだけマシなのだろうが、疎外感は否めない。

 だけれどこれは、決して私に対して悪意や他意があるわけではない。

 ただただ純粋に、私という人間がそこに居ることに気づかないだけなのだ。

 そんなことがあるものか、と突っ込みを入れたくなる気持ちはわかるが、これは私の住む町のカミサマみたいなひとによるお墨付きだ。

 曰く。

 御主のそれは、そういう特性だ。それは恒久的なものだから生活に苦労はあるだろうが、生きていけないわけではないから、過度に心配するものでもない――だそうだ。

 この町には、私以外にも特異な特性を持つ人が多く居る。たとえば、手順さえきちんと踏めば町のカミサマと話ができることもそうだし。それ以外にも、うちの裏手に住んでいるお兄さんは、声帯模写という言葉で片づけるには惜しいくらいに七色の声を自在に操ることができたりする。

 この町では、いろんな人が居て当たり前。

 だから、特性と言われてしまえば、私はそれを受け入れるしかなかった。

 受け入れて、いろんなことを諦めて、生きていくしかなかった。

 不幸中の幸いだったのは、現代社会に生まれたということだろうか。データ上、インターネット上であれば、私の影の薄さは影響しない。あくまで私が透明人間になるのは、対面時に限られるのだ。だから私の話し相手はいつも画面の向こうに居る顔も知らない誰かで、文字によるやりとりが主だった。それでも、誰かと会話ができるのであれば、贅沢は言わなかった。

 大学を卒業後、私は在宅の仕事に就いた。

 社会人生活は、私のこれまでの人生で一番快適なものとなった。データ上でのやりとりであれば、職場は私に仕事を振ってくれるし、私はそれに応えられる。学生の頃からは信じられないくらい、日常のやりとりがスムーズになったのだ。仕事をしていれば私の存在はきちんとそこに在って、私は仕事にのめり込んでいった。

 私にはメリットしかないと思っていた在宅勤務だが、残念ながらほどなくして、決定的なデメリットをつきつけられることとなる。

 それは、常に家に居ることにより、仕事と生活の線引が曖昧になってしまうことだ。一人暮らしであれば、尚のことである。

 私は仕事をすればするほど自分の存在を認められることに高揚感を覚え、それに依存し。

 その結果、入社から一年で身体を壊してしまった。

 睡眠と食事を疎かにして倒れ、しばらく入院することとなったのは、完全に自業自得である。

 入院中もこの影の薄さは遺憾なく発揮され、看護師さんたちからは脱走癖のある患者と思われていたようだった。一度自分の身体の状況を把握してからは、ふらふらで歩くことすらままならないというのに、とんだ風評被害である。

 看護師さんたちと一進一退でコミュニケーションを取り、どうにか信頼関係を築き上げて退院できたと安堵したのも束の間。

 今度は上司から、在宅から出勤に切り替えてはどうかと打診されてしまった。

 どうにか在宅勤務を続けさせてもらえるように交渉しようとも思ったが、諦めた。私の職場が町内にあれば、まだ交渉の余地はあったのだろうけれど。透目町すきめちょうの外では、『透目町での当たり前』は通用しないことのほうが多い。説得材料に欠ける状況では、私は上司の言葉に頷くほかなかった。

 そうして、夏の終わりが近づく九月末。

 いよいよ明日から勤務再開――同時に出勤日となるのだけれど。

 兎にも角にも、気が重たかった。

 憂鬱で仕方がなかった。

 家の中に居ても息が詰まる一方で、私は血肉を求めるゾンビのようにふらふらと外に出た。外に出たところで、なにかが変わるわけでもない。むしろ、一度外に出れば、仮に私がどれだけ顔面蒼白であろうと、道行く人々に気づきもされない。それが余計に明日を嫌いにさせ、背中に重くのしかかるだろう。それでも私は外に出た。ゾンビでこそないが、それこそ、なにかを求めるように。なにかに惹きつけられたように。

 散歩は昔から苦手だった。

 目的地へ向かう移動手段としての徒歩ではなく、徒歩での移動すること自体を目的としていることが、私の中ではどうにもちぐはぐで、いつまで経っても消化不良を起こすからだ。生真面目に散歩の仕方を調べてみたこともあるが、結局私の中ですとんと腑に落ちるものは見つからなかった。そもそもの話、外出嫌いに散歩は向いていないのだ。

 外出するということは、多かれ少なかれ、他人との関わりが発生する。普通なら、対面すればお互いを認識してスムーズに会話ができるのに、私にはその『普通』ができない。他人と関わる度に、疎外感と孤独感、疲労感の三重苦を味わうのだ。

 ふらふらと、歩みを進める。

 目的はない。

 強いて言えば、明日が来ないように逃げ続けているのかもしれない。

 逃げて、逃げて、逃げて、それでなにが変わるわけでもない。どうしたって私は一人では生きていけない。他人と関わって生きていくしかないのだ。どうしても嫌になったら、山奥に籠もって自給自足の生活をするしかないだろうが、私にそれができる気は全くしない……いや、思考が暗くなり過ぎてしまった。

 私はふと空を見上げ、暗い気持ちを排出するように息を吐いた。

 目的もなく外を出歩いていたが、いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。いや、家を出たときには既に日はすっかり沈んでいたかもしれない。どうやら意図せず、目的もなく徒歩で移動する散歩という行為ができてしまっていたらしい。これなら案外、明日からの仕事もどうにかなるのでは――と半ば強引に、自分にとって都合の良い方向に思考を持っていこうとしたが、それは失敗に終わる。なにせ、判断材料となるのは、私のこれまでの人生二十三年と少しの経験だ。これまで、どれだけ人に気づかれず、無視され続けてきたのかを考えれば、上手くいくなんて到底考えられるはずもない。

 逃げてしまいたい、という社会人としては非常識な考えが、頭の中を徘徊する。こんなことで逃げ出していては、先が思いやられる。影が薄いからってなんだ、他人から気づかれにくいからってなんだ。それ以外は普通な癖して、特別ぶるなんて自意識過剰もいいところだ。

 私はその場にしゃがみ込んで、もう一度、今度は大きく息を吐いた。

 すると、なんだか頭がくらくらしてきた。酸欠ではないはずなんだけれど。

 世間の皆々様が帰宅する時間帯はとうに過ぎているのか、辺りはとても静かだ。ここが住宅地の外れであることも相まって、余計に静かに感じる。

 くらくら、ふらふら、ぐらぐら。

 だけど、この世界が回るような感覚は、直近で味わったような気もする。そうだ、確か仕事用のパソコンを前にしたときに――

「……あの、大丈夫ですか?」

 と。

 すぐ近くから男性の声がして、私は反射的に顔を上げた。

 するとそこには、ミドルエプロンをした、見るからに喫茶店員であろうと思われる二十代後半か三十代前半ほどの男性が、眉根を下げて心配そうにこちらを見ていた。

 近くに体調の優れない人でも居るのだろうか、と私は周囲を見回す。しかし、周りには私の他には誰も居ない。

「いや、あの、貴女のことですよ……?」

 男性は右手をすいっとこちらに向けて、そう言った。

「……私が、見えるんですか?」

 咄嗟にそんな言葉を口にしてから、今のは言葉を間違えた、と後悔した。

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