『ゴースト・バイアス・エクソシスム』2
平日の講義を終え、土曜日。
私は早朝に家を出発し、透目町へと向かった。電車とバスを乗り継ぎ向かうが、如何せん本数が少ない。距離だけ見ればそう遠くないのに、移動時間が二時間ちょっともかかるのは、そのあたりが理由だった。しかも今日は土曜ダイヤで、平日以上に本数が少なく、私が空き目町に足を踏み入れたのは、八時半を過ぎた頃になった。それでも充分早いだろうけれど、そこはそれ、職業病のようなもので――ついでに、町並みを撮影したかったのである。あれだけ動画が拡散されて、次の動画で知らん顔の通常運行はできないだろうし、それならお祓いするまでを動画にまとめたほうが良い。
土曜日の朝は、とても静かだ。休日出勤の大人たちは軒並み出勤し終わっているし、今日が休みの人は、まだ家でゆっくりしている時間帯だろう。空には雲が点在しているが、空気はすっきりと澄んでいて、気分が良い。
私は鞄からスマホを取り出し、早速撮影を開始した。
「おはようございまーす。私は現在、透目町というところに来ています」
映しているのは、降りてきたばかりのバス停だ。雨風に晒され、かなり年季の入った感じを漂わせるそれには、すかすかの時刻表が記されている。こればかりを撮っていても意味はないので、私は事前に確認しておいた神社への道順を辿ることにする。
「前回の動画にたくさんコメントいただきました、ありがとうございます。コメントいただいてから私のほうでも確認してみましたが……うん、なんか、映ってましたね。あれ、本当に撮影してたときも編集してたときも気がつきませんでした。怖いので、今日はお祓いをしてもらうべく神社に向かっています」
最寄りのバス停から神社まで、徒歩三十分ほど。普段からよく歩く私にとっては、なんということもない距離である。
「神社の名前は、ちょっと読みかたがわからなかったので、あとで編集で神社名を入れますね。こういう名前の神社です。調べてみた感じ、お祓いへの評価が高いみたいだったのでここにしました。いやあ、解決することを願うばかりです」
動画用に一人で喋りながら、歩を進める。
自然豊かで、穏やかな風の通る場所だ。コンクリートで舗装された道路や、電柱、民家だってあるのに、どうしてだろう、一瞬、山の中に居るかと錯覚してしまいそうになる。人の気配がないわけではないのに、なんだか不思議な感じだ。
「あ、猫だ。挨拶できるかな」
曲がり角の塀の上に、白猫が座っていた。のんびりと日光浴をしているようである。私が近づいてきてることは気づいているようだが、逃げる様子はない。地域猫で、人間慣れしているのかもしれない。
だが、あと少しで猫に触れられそうなところまで来た途端、猫が飛び上がった。
全身の毛を逆立て、私を威嚇している。
自慢じゃないが、私は生まれてこのかた、動物に嫌われたことがない。近所の飼い犬は私を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきてくれるし、旅行先にいる野良猫はまず間違いなく撫でさせてくれる。だから、私は自分で思う以上に人生初の威嚇行動にショックを受け、身体が硬直してしまった。
「……ろさん、しろさん。早く、こっちおいで」
と。
威嚇する白猫と、それにショックを受け固まる女子大生の間に、小声で第三者が介入してきた。
それは、男子中学生だった。
私が彼を中学生と断定した理由は、単純明快、背丈が女子平均ほどの私よりも低かったからである。小学生よりは体格がしっかりしているけれど、高校生には決して見えない。だから地元の中学生だろう、と踏んだのだ。
彼は黒いパーカーを目深に被り、私と視線を合わせないようにしながら白猫に呼びかける。ようやく男子中学生の声に気づいたらしい白猫は、なにやらにゃあにゃあと鳴く。まるで、彼に話しかけるように。
「うん、うん、それ俺も思った。ほら、一緒に行こ?」
男子中学生のほうも、まるで猫の言葉を理解しているようにそう言うと、両手を広げた。すると、白猫はすぐさま男子中学生の胸へ飛び込む。素晴らしい信頼関係だ。
と。
私が少年と猫の関係性に感心しているうちに、一人と一匹は一目散にどこかへ駆けて行ってしまった。猫はともかく、子どもにまで不審がられてしまったようだ。とはいえ、これは田舎あるあるな余所者への警戒であることは明らかだし、あまり気にしない。
それよりも、私が向かうべきは神社である。これは不幸中の幸いと言うべきか、少年と猫が走り去っていったのとは反対方向だった。向かった先で彼らと鉢合わせることはなさそうである。
猫を撫でられなかったこと自体は残念だが、気持ちを切り替え、私は再び歩き出した。
そうして、あと五分ほどで神社に到着するというところで、私ははたと足を止めた。ここまで来ると民家はほとんどなく、田んぼや林の中に敷かれた道路を歩いていくという、代わり映えしない風景が続いていたのだが。
そんな緑の中に、ぽつんと、廃屋が建っていた。
初夏の太陽を浴びて青々とする木々に囲まれて、そこだけ深い影ができている。
別段、注目するほどのことではない。これまでだって、田舎町でああいう廃屋は何度も目にしてきた。
それなのに、どうしてだろう。
廃屋から、目が、離せない。
「……」
気づけば、私の足は廃屋へと向いていた。
何故だか、頭が上手く回らない。思考を組み立てられない。熱中症になってしまったのだろうか。日差し対策も、水分補給も、ちゃんとしていたはずなんだけどな。いいや、そんなことより、今はあの廃屋に行かなくちゃいけない。どうして? どうしてって、どうしても。
崩れかけの玄関先から、手が出てくる。
こちらにおいでと、手招きをしている。
呼ばれているんだから、行かなくちゃ。
おいで、おいで、こちらにおいで。
近くに来て、その顔をよおく見せておくれ。
きっと可愛い顔をしてるんだろうなあ。
「――お前! なにしてんだっ!」
男性の声で怒号が飛んできたのと同時、ぐいっと、強い力で肩を掴まれた。
それはもう、痛いくらいの力で。
「い、痛いいたい!」
だから私は悲鳴を上げた。
そうして、気づく。
さっきまでの目眩じみた感覚が、なくなっている。頭もすっきりしていて、思考も明瞭だ。
なにがなんだか、わからない。
ひとまず、私の肩を掴んで離さない人物を確認しなくては。
そう思って振り返ると、そこには長身の成人男性が、鬼の形相でこちらを睨んでいた。二十代半ば、いや、三十代くらいだろうか。とにかく、一番パワーのある年代であることは間違いない。
「ひぃっ……!」
そのあまりの鬼気迫る表情に、思わず腰が抜けそうになる。が、ここで脱力するのは危険極まりない。一人行動するからには、それ相応の覚悟と用意はしてきているのだ。
「待て待て待て、通報するな。俺はそういうんじゃないから」
冷静な声音で待ったをかけながら、しかし強引な手つきで私からスマホを取り上げた。
「そ、そんなこと言うんなら、肩から手を離してくださいよ……!」
スマホから緊急通報をしようとしていた私は、泣きそうになりながらそう訴えた。
「……お前、アレが視えるか?」
しかし男性は、私の要求に答えることはなく、私のスマホを持った手で、廃屋を指差した。
アレ、と呼ばれたもの。
それは。
「ひっ――!」
思わず、後退りした。口からは、短い悲鳴じみた声が溢れた。
男性が指差した先に居たのは、私の動画に映り込んでいた、例の人のかたちをしたなにかだった。それとは距離があるにも関わらず、見開いた目が私を凝視しているのがわかる。
じっとりと、じっくりと、熟熟と。
「……清め給え、隠し給え、守り給え」
男性が、呟くようになにかを唱えた、次の瞬間。
景色が蜃気楼のようにゆらゆらと揺れたかと思うと、アレの姿はなくなっていた。
「き、消えた……。すご、え、すごいすごい! もしかして、そこの神社のかたですか!?」
唐突に目の前で行われた除霊に、私は興奮気味にそう言った。
しかし男性は、私の肩から手を離し、スマホを返しながら、
「いいや。俺は、この町の便利屋だよ」
と、淡々と答えたのだった。
「……便利屋さん?」
想像だにしていなかった回答に、私は首を傾げて、男性の言葉を繰り返すことしかできなかった。
「地域猫から中学生、俺の同級生、俺の順に連絡が来てな。ヤバそうなものに憑かれた女の人が居るから、様子を見てきて欲しいって」
どうして一番最初に猫を含んでいるのだろう、普通に中学生始まりで良くないか? と思いつつ、奇妙な伝言ゲームの末にこの人がここに来たのだということだけは理解できた。
「細かい話は、安全な場所に移動してからだ」
「え? でももう消えたじゃないですか」
「消えたんじゃなくて、互いに姿が見えないようになってるだけだ。一時凌ぎでしかない」
わかるようでわからない説明に、私は再度首を傾げる。
「ともかく、一旦ウチの事務所に来てくれるか? 除霊についても請け負ってやるから」
「え、ええと……」
それは願ってもない申し出だが、しかし、どうだろう。状況を客観的に見てみれば、これほど不審なこともないだろう。事件沙汰にならないとも限らない。
「
と。
逡巡する私の虚を突くように、女性の声が響いた。
見れば、声の主は運転する車の窓から顔を出し、頬を膨らませている。こちらは二十代前半といった風貌だ。男性の後輩だろうか。
「運転中に突然車から飛び降りるの、マジでやめてくださいってば。この辺、一本道ばっかりだから、ぐるっと大回りして戻ってきたんですよ」
「ああ、すまん。悪かった」
怒りを露わにしつつ車を横付けした女性に、志塚と呼ばれた男性は一切悪びれている様子もなく謝罪した。だが、それで女性のほうは溜飲を下げたのか、それで、と態度を切り替える。
「その人が、
女性からの問いかけに、男性は頷きながら再び廃屋を指差す。
「ほら、あそこに居るだろ。見るからにヤバそうなのが」
「……うっわあ」
廃屋に視線を遣った女性は、遠くのものを見るように目を細め、それから、心底げんなりした声を上げたのだった。
「
「もちろん持ってますけど……ああ、だから私も連れてきたんですか」
そのやり取りだけで状況を全て理解したと言わんばかりに、女性は肩を竦めつつ、車から降りてきた。そうして私の正面に立ち、上着のポケットから名刺を取り出す。
「わたくし、この町で便利屋をやっております、笹森と申します。ウチの先輩が失礼な態度をとったようで、申し訳ありません。あの、ほんとに、決して怪しいものではございませんので、通報だけはご勘弁いただけませんでしょうか……?」
受け取った名刺には、『便利屋 スペース スタッフ 笹森 咲麻』と書いてあり、その事務所とやらの住所と電話番号も記載されている。
名刺を見つめ、状況を見極めようとする私に、女性は続けて言う。
「私も志塚さんも、その、所謂『視える』人でして。ちょっと前から視えるようになった私でも、アレはヤバいってひと目見て思ったので、まずはうちの事務所まで避難しませんか? 事務所なら強力な結界を張ってるから、アレは近づけませんし。なにより、死神に誓って、妙なことはしませんから」
どうしてここで死神が出てくるのだろうか。
そう疑問に思いはするが、今は他人の信仰に口を出している場合ではない。
「……動画」
なにが正解で真実なのかを見極められないまま、それでも無難な状況維持もよくないと決心した私は、震える唇で言葉を紡ぐ。
「動画を回したままでも、良いですか?」
それは、決して動画の撮れ高を考えたことではなく。
万が一の場合に備えて証拠を確保しておきたいが為の要求だった。
「良いですよ。ね、志塚さん?」
「生配信中じゃないなら、別に」
存外簡単に了承されてしまった。いや、そのほうが私にとっては都合が良いのだけれど。
「そうと決まったら早く行きましょう。志塚さんの張ってくれた結界も、そろそろ限界っぽいので」
言いながら、女性にぐいぐいと背中を押され、あれよあれよと言う間に車に乗せられたのだった。
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