『雪解けのときはまだ遠く』(鬱で療養中の「私」が昔馴染みの雪女と雪だるまを作る話)

『雪解けのときはまだ遠く』1

 小学生の頃、雪が降っている日に限り、同い年くらいの女の子とよく遊んでいた。

 雪が音を吸収し、世界に一枚布を被せたような静寂さが支配する世界では、私と彼女の笑い声だけが響き渡っていた。雪だるまを作り、氷柱つららを使ってチャンバラをし、かまくらを作り、雪合戦をした。

 彼女は、少し――いや、かなり、不思議な子だった。

 烏の濡羽色のような瞳も髪の色も、ただ美しいと思うだけだ。私が不思議に思ったのは、彼女がいつも、こちらが寒く感じるほど薄着であることだ。私がスキーウェアに帽子、手袋と完全防寒の格好をしているのに対し、彼女はいつもワンピース姿だったのである。真っ白な雪の世界に、空色のワンピースが花のように踊る光景は、今思い出しても神秘的なものだった。

 彼女は、人間ではなかった。

 それでも、私は彼女を遠ざけようとは思わなかった。

 彼女と遊ぶのは楽しい。

 だから、離れる理由はない。

 子どもらしい、単純な理由だった。

 ……いや、当時はもうひとつ、理由があったのだったか。

 あの当時、家では両親が喧嘩をしてばかりで、私は家に居たくなかった。だから、毎日のように、許される限り外に出て遊んでいたのだ。

 あの子が私の前に現れたのが偶然か必然かはわからない。

 ただ、当時の私は彼女との時間に、ひどく救われたのは、変えようのない事実である。

 あの子が居るなら、きっと地獄のような日々も耐えられる。そう思っていた。

 しかし、人間の住む環境というものは存外簡単にひっくり返る。

 雪解けの頃には両親の離婚が決まり、私は母に連れられ、生まれ育った透目町すきめちょうをあとにした。

 新しい土地、新しい小学校、新しい友達。

 環境の変化に目を回しているうち、身体はそれに馴染み、いつの間にか心も馴染んでいった。

 月並みに人生のイベントごとが発生したが、月並みにそれらをこなした私は、大学を卒業すると、大半の人間がそうであるように、会社に就職した。

 働いて、働いて、働いて。

 そうして、心身ともに壊れてしまった。

 医者が言うには、しばらく療養が必要らしい。

 鬱状態のときにしてはいけないことのひとつに、就労に関することがある。まともじゃない精神状態で進退を決めてはいけない、というものだ。しかし精神的に追い込まれていた私は、勢いに任せて退職を決めてしまっていた。晴れて、精神疾患持ちの無職のできあがりである。

 だが、生きていくには金が要る。

 一人暮らしを続けるには家賃が必要で、それだけで貯金を削られていく。明日どうなるかわからない不安が、鬱をさらに悪化させていった。

 そんな折、母からひとつ提案を持ちかけられた。

 曰く、お父さんの家に住まないか。

 小学生の頃に住んでいた透目町の家は、十年ほど前に祖父母が亡くなり、家主だった父も去年亡くなったことにより、空き家になっていた。立派な日本家屋だから、壊すか残すかで揉めているという話は、なんとなく聞いてはいたが。なるほど、私を住まわせることによって、結論を保留しようということだろう。確かに、あの家は立派で、壊すのはもったいない。とうの昔に縁を切った母にまで話が回ってくるほどだ、一族としては極力あの家を残しておきたいのだろう。それには私も同意だ。なにより、身内の古い一軒家なら家賃は発生しない。それは無職の身の上である私にとって、かなり大きな理由となった。

 そういった経緯があり、私は母の提案に乗ることにした。

 透目町はなにもない不便な田舎町だが、私は気に入っていた。

 交通の便は悪いが、母の知り合いから格安で軽自動車を貰い受けることができたから、いきなり田舎に放り込まれた、移動手段を持たない都会人とはならずに済んだ。ペーパードライバーだったが、人も車も少ない土地柄故、ゆっくり運転に慣れることができた。

 しかし車は、遠出のときに使うに留めていた。

 田舎において車とは、どれだけ短距離であろうと移動手段として確立しており、都会人なら歩いて向かう距離だろうと、車を使う傾向がある。確かに車は便利だ。一切疲れることなく目的地に向かうことができる。

 それならば、心身共に壊れ、食欲が落ち、体力も落ち、虚弱になった私に車は持ってこいなのだろうけれど。車を使ってばかりでは、落ちた体力は戻らない。それに、失ったものを取り戻し復調する為に、医者は運動を勧めてきていた。

 だから私は、極力毎日、散歩をすることにした。

 適当に、家の周りをぐるりと歩き回るだけで、徘徊と言っても相違ないのかもしれない。平日の昼間から外を歩き回る成人男性の姿を、不審に思われはしないだろうかという不安が常に背中にのしかかる。実際、田舎の車社会では、徒歩の人間は悪目立ちした。車中から、歩いている人間はどこの誰だろうという視線が突き刺さるのだ。そうでなくとも、昔に離婚して出ていった家の倅が鬱病になって戻ってきて、その療養に散歩をしているのだという生温かい視線を、日々感じていた。知り合いが誰も居ない都会より、知り合いしか居ない田舎というのは、それだけで息苦しさを感じるものだ。

 それでも私は、散歩を辞めなかった。

 散歩を続けていれば、鬱が良くなると信じて。

 なにもかもが良い方向に続いていくと信じて。

 それは、執着にも近い祈りだった。

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