第7話 その一歩で(上)

 ……気のせいじゃなかった。


 時刻は夕方、空はオレンジと薄紫色に染まっていた。

 

「またねーキョーちゃん!」


 ニナが乗り込んだのは黒塗りのベンツ。


 ほかの保護者が自転車で園児を迎えにくる中、明らかに浮くその存在。


 ここで思い出した。


 確か前世で保育園に通っていたころ、1人かっこいい車に乗る子がいるなーと思っていた記憶がある。


 四草製薬よつくさせいやくご令嬢、四草よつくさ 庭菜にわなさん。


 つまりは、お嬢様である。



 ◇



 9月から少し時は流れ、季節は冬の12月。


 保育園の空は鱗雲うろこぐもに覆われる。雲の所々から日差しがのぞいているが、息が白くなるほど寒い。


 それでも園児たちは、園庭で元気に遊んでいる。


「みんな、元気だな……」


 おっと、いかんいかん、この歳(3歳)で年よりくさい発言をしてしまった。


「キョーちゃんも、なわとびやろーよ!」


 ニナが俺に縄跳びを手渡す。


 前に、天下のお嬢様がなぜこの保育園に来たのか聞いたことがある。


 上位階層の保育園というものは存在するらしいが、厳しい学習方針はニナに合わなかったようだ。


 家から出ることが少なかったお嬢様には、ほかの園児と遊んだりする期間も大事ということで、会社の知り合い(横内先生)がいるこの保育園に預けることになった。


 実は教育方針が合わなかったらまた別の保育園に移転することになっていたらしい。

 

 しかし、ニナの「あたらしいともだちとはなれたくない!」という発言から、この『みどり島保育園』から移転することはなくなったそうだ。


 そういえば、前世でニナは保育園に来なくなった記憶がある。おそらく前世ではみどり島保育園とはまた別の保育園に移ったのだろう。


 前世の保育園ころの記憶を覚えているなんて、自分でも驚きの記憶力だ。


―――ひゅん、ひゅひゅん、ひゅんっ  


 そんなことを考えながら縄跳びで連続3重跳びをきめていると、保育園の中から横内先生の声が聞こえた。


 そろそろお昼ご飯の時間のようだ。


 しっかり手を洗って保育園の中に入ると、隣でニナが「わああ……!」と声をもらした。


 園内は、折り紙で輪っかを繋げた『ガーランド』やカラフルな風船で飾りつけられており、華やかな印象に変わっている。


 俺たちが外で遊んでいる間に飾りつけしたのか。なかなかおしゃれな演出だ。


―――そう、今日『12月6日』はニナの誕生日なのだ。


「ハッピーバースデー! 庭菜ちゃん!」


 ニナは今日で3歳。横内先生がクラッカーを鳴らしながら誕生日を祝う。


 みんなで歌を歌って、折り紙のメダル貰ったニナはとても嬉しそうだ。


「なんと、今日の給食はケーキが出てくるよー!」


 やったー!とみんなが喜ぶ。


 ケーキは、ニナのお父さんが用意してくれたものらしい。園児のぶんも用意してもらえるとは太っ腹だ。


 東京シャルパンティエ・フルーツオーディナルとかいう所のケーキらしいが、これ高級スイーツ店だよな。


 なんか横内先生の「ああ、これ1個1万2000円もするのか……」というつぶやきが聞こえた気がするが気のせいか。


 とにかくお嬢様万歳である。


「ちょっと待っててね」


 横内先生がケーキの準備をするために、調理室へ向かったときだった。


 

 ……ん?

 

 今まで気付かなかったが、外から微かに車のエンジン音が聞こえる。


 誰かの保護者が園児を迎えに来たのか?


 いや、まだ午前11時30分だから迎えにしては早いな。


 窓の外を見ると、タイヤが大きい藍色の車が、園外の電柱の傍に止まっていた。


 しばらくすると中から一人の男が出てくる。


 男は紙マスクをしていて、格好は黒いセーターと長ズボン、手にはスーツケースを持っている。見た感じ50代だが、顔が見えなくて判断がしづらい。


 男は保育園の門を通り抜け、俺の方向から見て右側に向かう。


 あっちは、職員室のほうだな。何か先生たちに用事でもあるのか? 


 たどたどしい足取りで職員室の扉に手をかけ、その男が職員室に入った瞬間。


―――警報音。




 ビィィィィィィーーーーー!と甲高い音が脳内に響く。


 なんだ、何が起こった⁉


 目をつぶり脳内マップを確認すると、職員室を示す場所にオレンジのマークが浮かんでいる。


 脳内マップの能力『サーチ』、半径10m内で危険を感じた人をオレンジ色で表す能力。


 合計4つのマーク、つまり今この瞬間、職員室内の4人が身に危険を感じたということだ。


 あの男、職員室に先生たちが集まるのを待っていたのか⁉


 そう思っていると突然、脳内マップのオレンジのマークが次々に消えていく。


 なぜ、マークが消えた⁉


 驚いたのもつかの間、俺は恐るべきことに気づく。


 考えられる理由は1つ。この能力は危険を感じている人がいないと発動しない。よって、危険を感じている人をなくせばマークは消える。


 つまりだ。


 

 今、この短時間で、にしたということだ。


―――あいつは、やばい!


 職員室とこのクラスは1番近い場所にあるので、次にあの男が来るのはこのクラスだろう。

 

 見ると職員室内からモウモウと煙が上がっている。おそらく催眠ガスなどのたぐいか? この短時間で意識がない状態にできたのも納得だ。


 職員室の扉の前に、何か重いものを置いて閉じ込める作戦を考えついたが、3歳児の俺の力では、重い物を持ち上げることはできない。何よりもう時間がない。


 苦難の末、考えた作戦はこうだ。


「みんなー! かくれんぼしよー! 私が鬼やるから!」


 わあああー! とみんなが隠れだす。


「音立てても、負けだからね!」


 辺りの窓を大雑把おおざっぱに開け放ちながらそう警告する。


 それでも隠れない子供は無理やり手を引いてロッカーの裏に隠れさせる。


「キョーちゃん、きゅうにどうしたの?」


「いいから、早く隠れて‼」


 不思議そうなニナをつれてピアノの下に隠れる。さらにその上にお昼寝用の布団を掛けて姿が見えないようにした。


 おそらくあの男の狙いはニナだろう。四草製薬のお嬢様であれば身代金の金額は考えられないほど大きな額になる。


「あれっ? 急にかくれんぼ始めたの?」


 先ほどケーキを取りに行った横内先生が帰って来たようだ。


 ナイスタイミング!


「先生、警察呼んでて下さいっ!」


 先生はまだ重大さが分かっていないのか苦笑した。


「なあに、警察ごっこでもして……」


 俺が指さした方向を見て先生が驚愕する。


 煙が上がる職員室からあの男が出てきている。


 黒いセーターやマスクをしているところは変わっていないが、煙が目に入らないようにするためのゴーグルが顔に着けられている。


「―――なっ‼」 


 先生は驚きで目を見開く。男はこのクラスの、入り口に向かっているようだ。

 

「分かったわ。あなたも早く隠れて!」


 頷いた俺は、男にばれないようにクラスの入り口から距離を取る。


 だが、先生が警察を呼ぶため携帯をポケットから探そうとした時、ちょうど男も教室にたどり着いてしまった。



―――プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ


 男が持っていたスーツケースの中から、白い煙が噴き出る。催眠ガスだ。


 俺は姿勢を低くして、服の袖を口元に当てた。


 こうしていれば、先ほど窓を開けておいたので、しばらくすれば煙は外に出る。


 隠れている園児も煙を吸わなくて済むはずだ。


 しかし、男の近くにいた横内先生は直に煙を吸ってしまい、ゆっくりとその場に倒れてしまった。


「四草の女はどこだっ!」


 野太い声で男が叫ぶ。―――やはり狙いはニナか。


 まだ隠れている園児達は見つかっていない。


 先生が倒れている隙に、縄跳びと、床に置いてある体操用のラジオを手に取った。


 それを手に持ったまま、わざと煙に紛れて移動する。


 煙は少しずつ晴れているが、まだ身を隠しながら移動できるだろう。

 

 目指すのは2階。2階に通じる階段は園児が登らないように柵が置いてあるが、それをよじ登って階段へ進む。


「そっちにいるのか?」


 予想通りだ。


 男は俺の足音に引き付けられ、2階を登ってくる。


―――右側、2番目の扉っ!


 一足先に2階に来た俺は、脳内マップで倉庫だと判断した部屋に逃げ込む。


 部屋の中は、行事用品や段ボールが積み重なっていてかなり狭い。


 部屋の隅に移動し、そこに持ってきたラジオを置いて再生ボタンを押す。


 すぐに俺はその部屋から離れ、近くの別の部屋に隠れる。


―――頼む、うまくいけ。


 遅れてやって来た男が、ラジオの音につられて倉庫部屋に入った。


「なんだ、ラジオだけ……?」


―――バタンッ!


 即座に扉を閉める。


 そして今閉じた扉と、隣にある扉のドアノブに、持ってきた縄跳びを巻き付ける。


「―――誰だっ! ここから出せっ!」


 ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえるが、きつく結んだ縄跳びが引っ掛かって外に出れないようだ。


 

 危なかったあ……


 ほっと息をつく。


 念のために隣の部屋にあった机を引きずりながら持ってきて、扉の前に置いておく。


 先生たちは大丈夫だろうか。



 俺は下の階に降りる。ガスの煙は外に出たようだ。


 俺は、倒れている先生に近づいた。


「大丈夫ですか⁉ 横内先生!」


―――反応はないが息はあるようだ。

 

 職員室の先生たちは⁉


 職員室の方を見ると、扉は開け放たれている。


 男が職員室を出るときに開けたままにしておいたのだろう。中の換気は大丈夫そうだ。


「早く救急車を……」


 先生が持っていたスマホを手に取るが、暗証番号がありロックが開けられない。

 

 職員室内に固定電話があるかもしれないが、まだガスが残っているかもしれないので中に入るのは危険だ。周りの家に助けを求めるしかない。


 ふと横を見ると、ニナが不安そうにこっちを見ていた。


「すぐ戻ってくるから、まだ隠れてて」


 隠れていてといったのは、 男に仲間がいないとも限らないからだ。


 車のある方向を見てみるが、男が乗ってきた車の中に人は誰もいない。


 最初から1人で侵入してきたところから考えるに、男に仲間がいるとは思えないが、迅速な対応を心掛ける。


 すぐさまクラスから園庭に移動。フェンスをよじ登り、園の外に出る。



 保育園と向かい合った位置にある家に着いた俺は、チャイムを鳴らした。


「はい、どちら様……あら?そこの保育園の子かしら?」


 中から出てきたのは白髪のおばあさんだった。突然の訪問に驚いている。


「園内に不審者が出たので警察と、意識がない人がいるので救急車を呼んでください!」


 驚いた様子だったが、俺が園児だからかまだ信じていない。


「まあまあ、そんなに慌てて、本当にそんなことがあったの?」


 心配するように気遣うおばあさん。


 その時だった。


―――パリィィィィィィンッ


 ガラスが割れる音。保育園の方向からだ。


 猛烈に嫌な予感がする。


 おばあさんもその音で異変を感じたようだ。


「分かったわ。警察と救急車を呼んで置きます。危険だからあなたもここにいて頂戴―――」


それを聞き終わる前に、俺は保育園へと駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る