第5話 芽吹かない理由
かつてはここには水源があったのだろう。中央部分がくぼんでおり、湖ほどの広さがあったのだと分かる。
「さあ、クレール様。よろしくお願いいたします」
「ええ」
旅路で野菜を育てるために積んでいた植木鉢を用意し、そこに種を植える。土にはたっぷりの養分と湿り気があり、芽が出るにはいい環境だろう。
「じゃあ、ガイアス。お願い」
「お任せください、お嬢様」
クレールだって何も面白くない時に笑えるほど器用ではない。誰か客人が来た時に、咲いている花が見つからない時、旅路で野菜が必要な時は、ガイアスがクレールを笑わせていた。
「では行きますよ、お嬢様」
「ええ……」
「じゃあ、まずですね……初代『星』のアトリエ」
「……ふふっ」
初代『星』のアトリエ。とても素晴らしかった。まさか幼い頃の自分も、初代『星』のアトリエに入れるなんて、思いもしなかっただろう。あの時の嬉しさを思い出して口から笑い声が漏れた。
「初代『星』の本棚」
あれは良かった。初代『星』が農耕についての研究に熱心だったなんて、ここに来るまで知らなかった。ファンとして推しの新たな一面を知れた喜びは計り知れない。
「初代『星』の手記」
そう、さらにはあの研究ノートである。初代『星』が当時感じていたセレスティスの未来についての憂いや苦悩が見て取れた。またあの手記を見たい。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふっ!」
あの時の嬉しさを思い出してクレールが笑うと、植木鉢に小さな芽がいくつも現れる。
「おおおっ! 本当に芽吹いた!」
神父も驚きの声を上げたが、植木鉢を覗き込んだガイアスが顔をしかめる。
「これ……全部雑草ですね」
「え?」
クレールも思わずぽかんとして植木鉢を見つめる。
確かに生えた目は、小さな芽の雑草だ。道中で野菜を育てる時によく映えてきたので間違いない。それにあれだけ大きな種だったのだ。こんな小さな芽なわけがない。
一度掘り起こすと、やはり芽は出ていなかった。
「そ、そんな! なんで⁉」
「お嬢様、もしかして『星』の候補から外れて力が衰えました?」
「そ、そんなはずないわよ! ガイアスだって、アトリエで花が咲いたのを見たでしょ!」
「ああ、そっか……」
そうクレールの能力は衰えていない。衰えていないのなら、種に問題があるはずだ。
「もしかして……休眠してるとか?」
昔、新聞の記事で室町時代から保管されていた花の種が芽吹いたという内容を読んだことがある。なんでも植物の種は環境などの影響で発芽せずに眠ったままの状態になってしまうらしい。つまり、この種も同じような状態なのかもしれない。
いくら前世の記憶があるとはいえ、クレールは専門知識があるわけではなかった。せいぜいあっても、義務教育レベルの知識である。
「一度、アトリエに戻りましょう。植物関連の本がたくさんあったから、少しヒントがあるかも……」
まさか自分の力が役に立たないとは思わなかった。クレールは植木鉢を抱えて再びアトリエに戻り、本棚をひっくり返す勢いで読み漁る。
(何かないの⁉ 種を発芽させる方法!)
クレールと共に机を並べて勉強していたガイアスも古代リュミル語が分かる。彼にも手伝ってもらい、種の発芽方法を探した。しかし、写本だけでもかなりの量が収められている本棚を全て見るには時間が足りない。ひとまず初代『星』の手記を重点的に探して読んでいく。気付けばあっという間に日が暮れ、夜となっていた。
「お嬢様、そろそろ休まないと明日に響きますよ」
「もうちょっとだけ……」
蝋燭の明かりの元で本をめくっていたクレールは、後ろにいるガイアスに視線すら送らずに答えた。
「いけません」
「わっ!」
後ろから本を取られてしまい、クレールが振り向くと、呆れた顔をしたガイアスが立っていた。
「明日も調べるのでしょう? それなら、もう寝るべきです」
「で、でも……」
「焦るのはわかります。初めてお嬢様の力で芽吹かなかった種ですから」
そう、クレールは焦っていた。
公爵令嬢として質の高い教育を受け、さらには『星』の力も得た。しかし、クレールの『星』の力はヒロインであるアリスより能力としても派手さも劣るもの。
笑って草木を生やすなんて、ネットスラングみたいで恥ずかしくて笑うのすら戸惑ったこともある。
しかし、そのクレールの『星』の奇跡で喜ぶ人もいた。両親だってアリスのような奇跡でなくても笑ってくれた。
自分にしかできない奇跡だからこそ、今回の種だって芽吹くと思っていたのだ。
「得意なことでも、いつかは壁にぶつかるものです。今日はセレスティスについたばかりで疲れていると思いますし、もう休みましょう」
「ええ、ありがとうガイアス。やっぱり頼りになるわね」
「当たり前です。オレはお嬢様の忠実なる下僕ですから」
◇
「やっぱりダメだわ……」
発芽方法についての調べは難航していた。作った本人の手記を見ても、特別なことなんて何も書いていなかった。
ただ植えて、発芽して、オアシスになったということだけ。
一応、植木鉢に水を与えて日向に置き、ひと笑いしてみたが、効果はなかった。
「なぜ、なぜなの……?」
今、ガイアスと共に気晴らしに街に出ていた。俗にいうバザールという市場には、乾燥に強い作物や行商人が運んできた品々が並んでおり、意外にもにぎわっている。
「ほら、お嬢様。蛇の肉ですよ。ここでは貴重なたんぱく源らしいです」
「ありがとう……おいしい」
渡されるまま口にし、クレールはただ口を動かした。
(なんでかしら……いつもと一体何が違うの?)
頭の中でオアシスの種のことばかり考えていると、どんと誰かが後ろからぶつかって来た。その人物は謝りもせずにクレールを通り過ぎようとし、ガイアスが素早く捕まえる。
「こら、悪ガキ! うちのお嬢様から取ったものを返しなさい!」
「わっ! 放せよ!」
ガイアスがとっ掴まえたのは、十歳くらいの少年だった。彼の手に持っているのは、クレールの種袋だ。金目のものではないが、クレールにとって食料や資金源の一部だ。
「残念だったな。お嬢様はこう見えてぼんやりしているから、金品の類いは持たせていないんだ。狙うならオレにするんだったな」
「自慢気に言うことか、それ!」
ずいぶん威勢のいい少年だ。ガイアスに掴まってもなお睨みつけてくる少年に、クレールは目線を合わせて訊ねた。
「何か困っているの? お金は渡せないけど、野菜くらいなら出せるわ」
「は? 野菜?」
少年がぽかんとした表情を浮かべた後、すぐに首を横に振った。
「い、いらねぇよ! オレは薬草が欲しいんだ!」
「薬草?」
「妹が病気なんだ。でも……ここは薬草が育ちづらくて、バカみたいに高いんだ」
「それでスリか……」
ガイアスはため息をついて、クレールに目を向ける。
「どうします? お嬢様」
「そうね。アリスさんからもらったのは傷薬ですし……」
クレールは種袋の中身を確認すると、薬草の種が入っていた。三粒あれば、おそらく足りるだろう。
ガイアスへアイコンタクトを送り、手の平に乗せた薬草の種を見せると、彼はやれやれと言った顔で、少年を解放した。
「お前は運がいいぞ、なんたってうちのお嬢様に会えたんだからな」
「は?」
わけが分からないという顔をする少年にガイアスは言った。
「喜べ! お嬢様がお前の為に笑ってくださるそうだ」
少年はガイアスの言葉を聞いて驚くと、怒りと嫌悪を露わにする。
「バカにしてんのか!」
「えええええっ⁉」
なぜ罵られたのか分からない二人は揃って声を上げると、少年はクレールを指さして怒鳴り散らした。
「人が苦しんでるっていうのに笑ってやるってどんな神経してんだよ! ほんと最低だな!」
「落ち着いて、わたくしは別に貴方の不幸を笑うつもりはないのよ」
「ぁあんっ⁉」
「あなたの為を思って、真剣に笑うつもりだったの」
「なお質悪いわっ!」
ぎゃんぎゃん吠えるようにツッコミを入れていく少年が、なんだか愛らしくクレールの口から笑い声が漏れた。
「まあ、元気がよくてよろしいこと。ふふっ」
「あのなぁ! …………ん?」
クレールの手にあった薬草の種が芽吹いたことに少年が気付き、目を見開いた。
「種が……芽吹いた?」
「そうよ。わたくしは元『星』の候補だったの。笑うとこうして草木が成長するのよ」
「は……は?」
「ほら、少年。薬草が欲しければお嬢様を笑わせるがいい。労働なくして報酬なんてもらえないんだからな。自慢じゃないが、うちのお嬢様の笑いのツボは浅いぞ」
ガイアスは少年の肩をぽんと叩きながらそう言うと、少年は怪訝な表情を浮かべながらもクレールをどう笑わせるか考えているようだった。
「…………ふ、布団が吹っ飛んだ!」
「ごめんなさい。親父ギャグはガイアスのせいで笑い尽くしてるの」
「知るか、そんなこと! おい、あんちゃん! オレの渾身の笑いを潰したんだから、あんちゃんが責任取って笑いを取れ!」
「オレだって笑いの引き出しは無限じゃないんだよ」
「………………ああ、それだわ」
クレールはぽんと手を叩いた。
「ん? お嬢様、それとは?」
「わたくし、ガイアスに飽きたのよ」
「…………………………は?」
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