第3話 『夢』へ出発


 選定の儀から三日後、入念に旅の支度を整え、屋敷を発とうとしたクレールとガイアスの前に、アリスとダリオンが見送りに来てくれた。


「クレール様!」

「あら、アリスさん。それにダリオン殿下まで」


 アリスは可愛らしいワンピースの私服に身を包み、ダリオンもそれに合わせて、お忍び用のシャツとベストという軽装だった。


 まだ選定の儀から三日しか経っていない。『エトワール』の彼女は祭典の準備やダリオンとの婚約発表などで忙しいだろうに。


「今日、出発するって聞いて、居ても立っても居られなくて!」

「一体誰からそれを……」


 クレールがそう言いかけ、ガイアスへ目を向けると、ひらひらと手を振って「オレでーす」と無言でアピールする。


(ガイアス!)

「あの……これ!」


 アリスは小さなバスケットをクレールに差し出した。


「わ、私が作った塗り薬です。早く治るように星の力を込めました! クレール様の巡礼の度にお役に立てたら……」


 小瓶の入った軟膏には、彼女の言う通り星の力を込めているようで、キラキラと輝いている。到底値段のつけられない代物だ。

『星』の彼女から贈り物をもらうのは、これで最後になるだろう。クレールは彼女からバスケットを受け取る。


「……ありがとう、アリスさん」


 ぼんっ!


 近くで草が生えた音が聞こえ、アリスが不思議そうな顔であたりを見回す。


「今、変な音が……」

「気のせいよ」

「え、でも……」

「気のせいよ」


 有無言わせない圧をアリスにかけると、彼女は気圧されたように何度も頷いた。


 ダリオンの方へ目を向けると、彼はいつの間にかガイアスの隣で会話に花を咲かせているようだった。


「君も一緒に旅に出るんだね、ガイアス?」

「ええ、お嬢様とオレはいつも一緒ですんで」

「君以外に世話人はいないのかい?」

「お嬢様がオレ以外は必要ないと言ったので……」


 どこか誇らしげに言うガイアスにダリオンは苦笑する。


「相変わらずだね、君も……」

「ガイアス、ダリオン殿下」


 クレールが二人の声をかけると、ガイアスが小さく手を振った。


「ガイアス。ダリオン殿下と何を話しているのかしら?」

「え~? 別になんでもないですよ~。ねぇ、殿下?」

「まあ、軽い世間話だよ」


 ダリオンが愛想笑いを浮かべ、アリスに目を向ける。


「アリス、ちゃんと渡せたかい?」

「はい! ガイアスさんも出発の日を教えてくださりありがとうました!」

「いえいえ、気にしないでください。お嬢様も、ちゃんと挨拶できましたか?」

「ええ。では、お二人とも、また会える時まで」


 ガイアスの手を借りて、クレールは馬車の御者台に座ると、ガイアスも隣に座る。

 ガイアスは馬車を出発させ、アリスとダリオン、そして屋敷のみんなに見送られながら、巡礼の旅が始まったのだった。


 ◇


 クレールとガイアスが乗った馬車が遠く離れていくのを見つめながら、ダリオンは隣でため息をつくアリスを見つめる。


「寂しいかい?」

「はい。もちろん。クレール様にはたくさん助けられましたから……」


 ダリオンは選定の儀で彼女達のことを見守って来た。普通の友達とは少し違った関係だったが、クレールはよくも悪くもアリスを対等に扱い、そんな彼女をアリスは慕った。ダリオンはクレールに少しだけ嫉妬していたこともあったが、それを彼女の従者に見破られ、大いに笑われたことも今ではいい思い出だ。


「殿下は寂しくないんですか?」

「もちろん、寂しいよ」


 クレールもガイアスもダリオンにとって幼馴染も同然の存在だ。そんな二人がいっぺんにいなくなるのだから、寂しくないはずがない。


「でも、クレール嬢はようやく自分の夢を叶える一歩を踏み出したんだ。僕が引き留めるわけにはいかないよ」


 クレールは『星』の大ファンだった。この目で最果ての大地を見るまで死ねないと耳がタコになる聞かされたほど。しかし、その夢は彼女の身分が邪魔をし、早々に彼女は諦めたのだ。


 そんな彼女を知っているからこそ、ダリオンは彼女の口から巡礼の旅に出ると聞いて驚きはしなかった。むしろ、納得したくらい。ダリオンの脳裏でその場にいなかったガイアスがガッツポーズを決める姿が浮かんだほどだ。


「まあ、ガイアスがいれば、クレール嬢のことは心配はいらないよ……アリス?」


 何か考えるように遠くを見つめる彼女に、ダリオンは心配して声をかける。アリスは一人で納得したように頷いた。


「夢……そうですか。でも、クレール様も素直じゃありませんよね」

「え?」

「だって、巡礼なんて大義名分を用意してまでガイアスさんと駆け落ちするなんて」


 悩まし気にため息を漏らすアリスの隣でダリオンの思考はしばし停止する。


「……………………え?」


 ◇


 屋敷が見えなくなった頃、揺れる馬車の上でクレールは内心で不貞腐れていた。


「もう、ガイアスったら。いつのまにアリスさんと連絡を取っていたの?」

「出発の日取りが決まったその日です~」

「フットワーク軽いわね……」


 ガイアスも平民の生まれだからか、アリスと打ち解けるのが早かった。しかし、まさかすぐに連絡が取り合えるほどの仲だったとは。


「お嬢様、なんでそんなに不満げなんです? もしかして、アリス嬢と顔を合わせたくなかったんですか?」

「いいえ、違うわ。嬉しかったわよ。草が生えるくらいには」

「なのに、ご機嫌斜めなんですね?」

「そうよ」


 小さな嫉妬心を気付いて欲しいとは思わないが、素直にそう口にする。

 ガイアスは「乙女心とは複雑だ」と大袈裟に肩を竦めた。


「ところで、お嬢様。馬車の中に入らなくていいんですか?」

「せっかくだから、御者台に座ってみたかったのよ。わたくしが隣にいたら邪魔?」


 じろっと彼を見上げると、ガイアスは嬉しそうに笑う。


「いいえ。ただ落ちたら怖いので気を付けてくださいよ?」

「子ども扱いしないでちょうだい」

「はーい」


 鼻歌まじりで手綱を操るガイアスの隣で、クレールは地図を開いた。


 巡礼の旅は幼い頃からの夢だったのだ。それが叶った今、それを満喫しないなんて損だ。


 貴族令嬢の枠組みから外れたクレールは、いわば自由の身。ルロワ公爵家は兄が継ぐので心配はいらない。


「お嬢様」


 ガイアスに呼ばれて顔を上げると、彼は深紫の瞳を細めて言った。


「この旅にオレだけを選んでくれてありがとうございます」

「当たり前でしょ? 二人の夢でもあるんだから……」


 ガイアスは元々孤児でルロワ公爵家に代々仕えている執事が拾ってきたことがきっかけで知り合った。クレールよりも二つ年上で人生の半分以上を一緒に過ごしていると言っても過言ではない。


 『星』に憧れ、最果ての大地に行きたいと夢見る幼いクレールに「オレが連れていきますよ、お嬢様!」とガイアスは言ってくれた。幼いながらに一緒に計画を立てたこともある。


 そして巨大彗星が現れた夜。星の証を手に入れたと同時にクレールは前世の記憶が甦った。『星』に憧れていたクレールだったが、力を得ても『星』に選ばれない未来を知ったのである。おまけに自分が笑い者にされて、社交界にいられない未来があることにも。ガイアスにそれを打ち明けると、彼は能天気にも笑顔でこう言った。


『じゃあ、心置きなく一緒に旅に出られますね!』


 彼は切り替えが人一倍早かった。


 当時、公爵令嬢のプライドがあったクレールは「何言っているの、ガイアス! そこは心配してくれるところでしょうが!」と叱ったが「社交界に居場所がないなら、別の居場所を作るのも手では?」と考えを改めた。


 こうして幼い頃の二人の夢──巡礼の旅の計画が再び動き始めたのである。


「お父様には変な顔をされたけどね……」

「あはははははっ! オレは旦那様に呼び出されて色々小言をいただきましたよ」

「小言?」

「ええ。責任をとれって」


 言われた時のことを思い出したのか、彼は遠い目をしていた。


「そういえば、お父様がガイアスに責任をとらせるって言ってたわね? いやよね、わたくし、自分の責任くらい自分でとれるのに……」

「いえいえ! お嬢様に責任は取らせませんよ⁉」


 ぎょっとするガイアスにクレールは首を傾げた。


「なら、どう責任をとるつもり?」

「え、えーっと……」


 彼はしどろもどろになりながら言った。


「まずは、お嬢様を最果ての大地まで連れていって、一緒に屋敷へ帰るまでが第一関門ですかね?」

「そんな遠足じゃないんだから……ふふっ」


 ぼんっ!


 背後で草が生える音がし、クレールは後ろを覗き込む。


 不自然に草が生えて盛り上がった土道を見て、クレールは目を遠くへ向けた。


「これからはいつも以上に笑うことには気をつけないとね」

「別に笑ってもいいじゃないですか」

「せっかく綺麗に整備された道がぼこぼこになってしまうでしょう?」

「あー、それは確かに」


 ガイアスはそう笑って答えるのだった。


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