第2話 前世の記憶と現世の夢


「お嬢様……気持ちは分かりますが、少しは加減を覚えてくださいよ」

「ごめんなさい。嬉しくて嬉しくて……」

「嬉しいのは、庭の様子を見れば十分分かりますって」


 裏庭の隅にある小さなゴンドラに腰掛けた二人は、荒れ果てた裏庭に目をやった。

 煉瓦の下から下草が生えたせいで、煉瓦畳みの通路はぐちゃぐちゃ。綺麗に剪定されていた植木はいびつな形になり、生垣にはつる植物が絡みついている。さらには開花時期が異なるはずの花々が、種類問わず花を咲かせていた。


「あまりにもずっと笑っているから、気が触れたのかと思いましたよ」

「仕方ないじゃない。ゲーム本編がようやく終わったのだから……」


 クレールにはおいそれと口にはできない秘密がある。

 それは、自分に前世の記憶があることだった。この秘密を共有するのは従者のガイアスだけだ。


「ゲーム本編ねぇ……確か『アリエト』でしたっけ?」


 彼はクレールの頭に乗った花びらを払いながら呆れた口調で言い、クレールは静かに頷いた。


 乙女ゲーム『アリス☆エトワール』


 通称『アリエト』は星の力を宿した少女、アリスが攻略対象に支えられながら民の希望となる『星』を目指す恋愛ゲームだ。


 クレールは『アリエト』で主人公アリスのライバル兼攻略対象として登場する。


 平民出身のアリスとは違い、公爵家の生まれで無表情で冷たい口調をしているせいか、プレイヤーから鉄仮面の女と呼ばれていた。しかし、彼女はアリスのライバルでありながら、恋や試験のサポートをしてくれる。


 しかし、ほとんどのルートで彼女は『エトワール』の証を持っていながら、その力を発揮できずに終わるのだ。


 そんなクレールに自分が転生していたことに気付いたのは、ほかでもない先代の『星』が亡くなった夜に現れた巨大な彗星を見た時。


 ゲームスチルにもあった彗星は美しかったが、クレールにとって恐ろしい存在だった。

 なぜなら、クレールにとって『人生の汚点』の象徴だったからだ。


「たしか『アリエト』のお嬢様は、アリス嬢に負けた後、辺境へ移り住むんでしたっけ?」

「他のルートではね。平民に負けた公爵令嬢なんて外聞が悪いもの」


 クレールは公爵令嬢だ。父親が王弟という身分であった故に誰よりも貴族であることに誇りを持っていた。


 そんな彼女が『星』に選ばれた時、不幸なことに平民の少女も『星』に選ばれた。クレールは貴族らしい気高さから、相手に不利があってはいけないと平民の少女ために自ら教鞭をとった。そして、正々堂々と正面から選定の儀に挑むのだ。


 ルートによっては、彼女が辺境へ移り住んだり、留学という名目で国外へ出て行ってしまったりするのだが、クレールはその理由が貴族社会のせいであろうとすぐ考え付いた。

 公爵令嬢が平民の少女に負け、さらには与えられた星の力を開花させられないなんて、笑い者もいいところ。


 心晴れやかに負け、綺麗に退場できるのは、所詮物語の中だけだ。


「う~ん、でもダリオン殿下がアリス嬢と恋に落ちれば、お嬢様は安全なんだ?」

「ダリオン殿下ルートでは、王族が味方についてサポートをしてくれるから言い訳がたつのよ。『王子が手取り足取り教えたおかげだ』『二人の愛の力で星の力を開花させた』とか、いい美談でしょ?」


 そう言えば、ガイアスはうげぇと顔を歪めた。


「ほんと、貴族って汚い」

「わたくしもその貴族なのだけれど?」

「お嬢様は別」


 甘い笑顔でさっと手の平を返してくる従者にクレールは空笑いで返すと、ガイアスはむっとした表情を浮かべる。


「だって、お嬢様はこんな素敵な星の力を持っているんですよ? 草木を成長させる奇跡! 素晴らしいじゃないですか!」

「ガイアス、誇張はいけないわ。笑うと草木を成長させる奇跡よ?」


 実のところ、ほとんどのルートでは明かされないが、クレールはちゃんと星の力を発現させていた。


 それも『笑うと草木を成長させる奇跡』である。


 鼻で笑えばと、ぼんっと草が生え、室内の花瓶に蕾がいけてあれば、微笑み一つで開花させられるのがエクレールの力だった。


 しかし、クレールは気高き公爵家の人間。貴族令嬢とはいえ、社交界では誰彼かまわず笑顔を向けるようなことはしない。


 その愛想のなさ、そして感情を読ませない表情から鉄仮面嬢と陰で揶揄されているほど。おかげで彼女はこの力に気付けず、ゲーム本編で彼女の力が発揮されるのは、クレールルートとダリオン殿下ルートの友情エンドだけだ。


「それでもすごい奇跡じゃないですか。なんで『星』に選ばれないんですか?」

「地味だからでしょ?」


 そうあっさりと答えれば、ガイアスは顔をひきつらせた。


「地味……?」

「ええ。人の傷や病を治すアリスさんの力と比べたらね」


 現に、クレールルートでは、この力を発現させたものの人を多く救えるのはアリスの力であることを理由に、『星』にはなれなかった。


 しかし、エンディングでは、『星』の就任パーティーでクレールが蕾の花束を持ってアリスの前に現れる。


『これはわたくしの気持ちよ。おめでとう、アリスさん』


 そう言って差し出した花束の蕾が一斉に花開き、アリスはクレールの心からの祝福を受け取るのだ。


「やっぱり、草木を成長させるより、病や傷を癒せた方が便利だもの」


 クレールがそう口にすれば、ガイアスは不満げに声を漏らす。


「オレは、お嬢様の力の方が好きですけどね」

「ふふっ、慰めてくれてありがとう、ガイアス」


 ぼんっと近くで草が生える音がした。


 日常生活では、鉄仮面を脱ぎ捨てているため、油断していると草だらけにしてしまうのが、この力の難点だ。


(でも、笑うと草が生えるなんて……前世のネットスラングじゃあるまいし……)


 ふと、思い出し笑いをするとまたぼんっと草が生えた。


「お嬢様……?」


 ガイアスの呆れた視線が突き刺さり、クレールは誤魔化すように咳払いする。


「そろそろ屋敷に入りましょうか。お父様とお話することがあるし」

「そうですね」


 二人はゴンドラを降り、屋敷の中へ入るのだった。


 ◇


 屋敷に入り、自室で豪奢なドレスからワンピースを着替え終わった頃、選定の儀に同席していた父がようやく帰って来た知らせを聞く。


 クレールは軽い足取りで父の部屋へと向かった。


「お父様、失礼いたします」


 執務室に足を踏み入れると、そこには頭を抱えたクレールの父、ルロワ公爵いた。


「クレール……」


 ひどく疲れた顔をしたルロワ公爵は、クレールの顔を見るなりため息をついた。


「父親の気も知らないで、清々しい顔をしおって……」

「あら、わたくしはちゃんとお約束したではありませんか。アリスさんが『エトワール』になったら、聖地巡礼の許可をくださるって」

「ああ、そうだったな」


 ダリオンルートでは最後、『星』の力を発現できなかったことを己の努力不足だと戒め、クレールは歴代の『星』達が奇跡を起こした土地へ巡礼の旅に出ることを決意する。

 そう、つい数時間前にクレールがアリス達に告げた通りのことである。


 クレールは事前に父親と約束を取り付けており、選定の儀が終わり、アリスが選ばれた為巡礼は決定となった。


「クレール……私の可愛い娘。なぜ、『星』の力を発現できなかったと嘘をついてまで巡礼の旅なんかに……たとえ、お前がひと笑いで庭を草原に変えようと、お前を嘲笑う格下どもを黙らせてやるというのに」

「周囲のことなんて関係ありませんわ、お父様。アリスさんやダリオン殿下に申したことはただの大義名分。わたくし、どうしても最果ての大地に行きたいのです」


 最果ての大地。それはリュミル王国の辺境にある初代『星』が降り立った地だ。


 初代の『星』は最果ての大地で巨大彗星から星の力を授かったと言われている。数々の逸話を残す歴代の『星』の中でも、初代は不毛の土地である最果ての大地に緑を復活させ、幻のオアシスを作ったという偉業を残していた。


 そんな幻のオアシスをクレールは自分の目で見てみたいという思いがあった。


 しかし、公爵令嬢であるクレールは『星』にでもならない限り聖地に、それも最果ての大地に足を延ばすなんて許されなかった。

 クレールは父親の目を真っすぐ見つめると、彼は重たいため息をついた。


「『星』に選ばれることは、小さい頃からのお前の夢だったな、クレール」

「はい」

「それと同じくらい最果ての大地へ赴くことも……」

「……はい」


 ルロワ公爵の声に震えが混じる。


 巡礼の旅に出れば、クレールが屋敷に帰ってくる保障はない。最悪、途中で命を落とすことだってあり得る。


 貴族令嬢でいれば、少なくとも生活に不自由なく暮らすことができる。たとえ、『星』に選ばれなかったとしても、星の力が地味だったとしても嫁の貰い手なんていくらでもあるだろう。


 それを蹴ってでもクレールは巡礼に出るというのだ。まだ十代の娘の決意に、ルロワ公爵はまたため息をついた。


「旅の準備は念入りにしなさい」

「はい」

「それから護衛や世話人のことだが……」

「ああ、それならガイアスだけで十分です」


 クレールがきっぱり言うと、ルロワ公爵は渋面を浮かべていた。


「本当にガイアスだけでいいのか?」

「はい。彼が腕を立つことはお父様もご存じでしょう?」

「それはよく知っている。だが、ガイアスだけでいいのか?」

「はい?」

「世話人は他にいなくていいのか、クレール?」

「ええ、彼だけで十分です」


 クレールは大概のことは自分でできるし、ガイアスはいれば心配はいらない。長年培ってきた信頼関係がクレールにそう確信させていた。


 ルロワ公爵は額に手を当てると小さく呟いた。


「これが教育の賜物か……」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 ルロワ公爵が小さく首を振り、唇の前で両手を組んだ。


「もし、何かあればガイアスに責任を取らせる」

「いやですわ、お父様。ガイアスに責任をとらせずとも、自分のことは自分で責任をとります」

「いや、ガイアスに責任をとらせる」

「は、はい?」


 クレールは返事をしたものの、内心で首を傾げたのだった。


 ◇


 執務室を出ると、部屋の外で待機していたガイアスと合流し、クレールは自室へ足を向けた。すぐ後ろに控えていたガイアスは感慨深い様子で口を開く。


「お嬢様、本当に巡礼の旅に出るんですね……」

「ええ、もちろん。ガイアスもついてきてくれるのでしょう?」


 足を止めたクレールがそう訊ねれば、彼は片膝をついて恭しく頭を下げる。


「オレは忠実なるお嬢様の下僕。お嬢様が望むならどこへでもお供しますよ?」

「あら、大袈裟ね。普段はわたくしを敬っていないくせに」

「それは心外だなぁ~。オレはいつもお嬢様のことを一番に思っているのに」


 飄々とした態度に呆れながらも、クレールはガイアスに手を伸ばす。


「なら、巡礼の旅の間、わたくしをしっかり守ってちょうだい」


 片膝をついていたガイアスは見上げるようにクレールを見つめた後、差し出された手に軽く口づけを落とした。


「旅の間と言わずとも、一生お守りしますよ、お嬢様」


 深紫の瞳をいたずらに光らせたガイアスの返事に、クレールの心臓が小さく跳ねた。

 そして、ぼんっと窓の外から草が生える音が聞こえる。


「ん? 草?」

「さ、さっさと旅の準備をするわよ! ついてきなさいガイアス!」

「え、はい! お嬢様!」


 窓に顔を向けたガイアスの手を引っ張り、クレールは旅の支度を始めたのだった。


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