4-7:ネアンデルタールの教え

 千晶の宣言した『結果』が出るまでの間、また病院へ足を運んだ。


「今日はお土産だ。前に読みたがってた本、見つけたから買って来たんだ」

 千晶は八歳の姪を見舞いに行く。近所の本屋で買ってきた絵本を手渡し、ほんのりと笑いかける。直斗もそっと傍らに立ち、彼らの姿を見守った。


 存在を知らされて以降は、直斗も千晶に同行することが増えた。共に夕美の病室を訪ね、そこで一時間ほど彼女と語らって過ごす。少女はとても嬉しそうに微笑み、病院であった出来事などを逐一千晶に語って聞かせていた。


「じゃあ、また明日な」

 いつも通り夕美には別れを告げ、病室を出る。少女も小さな手をしきりに振ってきた。


「今日も、ありがとな」

 すぐには建物の外には出ず、二人は病院の屋上へと向かった。中央にあるベンチに腰を下ろし、千晶は礼を言う。


「やっぱり、俺だけだと限界あるからな。誰か他の奴も連れて行くと、あいつはすごく嬉しそうにするんだ」

 背もたれに体を預け、夕暮れの空に顔を向ける。灰色がかった雲を見ながら、千晶はしみじみと語る。


「ここに連れてきたのは、お前で三人目だ。榊先生も夕美の存在は知ってるが、まだここには来てない。あの人はなんというか、少し人見知りだからな」

「そうなんだ」と猫背の姿を思い浮かべる。


 他の二人は誰なのか、と考え、今まで聞いた話が頭をよぎる。


「一人は鈴木さんっていう、野鳥の会の人でな。穏やかで楽しい人だった。子供も好きだったし、夕美に珍しい鳥の話をして喜ばせてくれた。あの人がいなくなった時は、どう説明したらいいかって悩まされたよ」

 吐息をつき、千晶は感慨を語る。


「もう一人は房江さんっていうお婆さんでな。この人も凄く優しかった。夕美はまだ小さいのに母親がいなくて寂しがってたし、俺の両親は忙しくしててろくに夕美とも会えてないみたいだからな。本物のばあちゃんみたいな感じで、夕美もかなり懐いてた」


 直斗は黙って話に聞き入る。


「房江さんはさ、人類学者で世界の民族とか、あと原始人の生活とかについて研究してる人だったんだ。それで、日本人が忘れちまったような人と人の繋がりとかさ、そういうのを色々夕美に語ってくれて、とにかく温かい人だったよ」

 千晶の声は穏やかだった。風を受け、気持ち良さそうに目を閉じている。


「あの人、前にすごくいいこと言ってたんだ。知ってるか? ネアンデルタール人っているだろ。現在の人間の前にいた人種だけどさ。そいつら、言葉もまともに喋れてたかも怪しいのに、ちゃんと死んだ人間を弔う習慣があったんだってさ」

 ふうん、と静かに相槌を打つ。


「よく考えると不思議な話だ。その時代にはきっと宗教なんてなかっただろうに、ちゃんと死者の冥福みたいなのは祈れてたんだ。そいつらにとって、死後の世界ってのはどういう風に映ってたんだろうな。現代の宗教問題であれこれ戦争なんかしてるの見ると、今よりずっと穏やかだったんじゃないかって思う」

 そうかもしれない、と心の中で呟く。土と石しかない集落の中で、原人たちが仲間を弔う姿を思い浮かべる。


「房江さんは言ったんだ。その頃の奴らにとっては、死者は『心の中で生きる』ものだったんじゃないかって。あの世とか天国とか難しいことは考えないで、生きてる人間の心の中でしっかりと『死んだあとも幸せでいる』って思えるようにすることが大切なんじゃないかって。それを夕美に話したら、なんだか嬉しそうにしてたよ。『お母さんは夕美の心の中で生きてる』ってさ」

 直斗は嘆息する。病院の屋上はとても静かで、心が凪になるのを感じた。


「俺も、それでいいと思うんだよ」

 千晶は背もたれから体を起こし、顔を向けてくる。


「死後の世界とか天国がどうとか、難しいことは必要ないんだ。大切なのは生きてる人間がどう受け止めるかってことで、具体的なことは掘り下げる必要はないと思うんだ。実際に、それで夕美は嬉しそうにしてた。だからそれで十分なんだ」


「そうだね」と直斗もはっきり頷いて返した。


 今の話からすると、自分たちはこれからとても『野暮』なことをしようとしていることになる。動物たちと関わることで、死後の世界を暴くことになりかねないから。


「でもまあきっと、誰かが背負わないといけないんだろうな」

 千晶はまた前へと顔を戻し、ポツリと呟いてきた。


「なあ、知ってるか? ある宗教によれば、人間はすごく罪深くて、死んだら絶対に地獄に行くことになってたんだと。でも、『ある人物』が現れて、そういう罪を全部背負ってくれた。そのおかげで人間は天国に行けるようになったんだってさ」

「有名な話だよね」


「まあな。でも、動物どもを大人しくさせるには、やっぱり誰かが何かを背負う必要があるのかもしれないな。それが一番、綺麗なやり方かもって思うよ」

「でも、それじゃ死んじゃうよ」


 人間の原罪を背負うには、十字架に架けられて死ぬ必要がある。


 話の弱点を指摘し、直斗は穏やかに笑い返す。「違いない」と千晶も噴き出し、喉を震わせて笑った。


 とても、静かな時間だった。

 この町に来た時には、こういう時間がやってくることなど想像もしなかった。胸いっぱいに空気を吸い込み、直斗はそっと空を仰ぐ。


 もうすぐ、全てが終わるのだろうか。

 千晶の狙いがうまく実現していけば、動物たちからも解放される。そうすれば、この町を去る日も来ることになる。

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