第四章 天国の扉
4-1:ヒヨドリの証言
大を生かして小を殺す。
発展のための尊い犠牲。
屍を踏み越えて前に進む。
どの言葉も嫌いだ。大嫌いだ。どれもこれも、失敗を正当化し、誰かを守れなかったことを美化しようとしている。卑怯な逃げ口上にしか思えない。
「君は辛いかもしれないが、私も間に入る。だから堪えて欲しい」
榊英彦は、そう言って家まで迎えにやってきた。
わかっている、とは心の中で考える。
悔しい話ではあるが、自分たちは今確実に『大きな前進』ができるところへ来ている。笹原吉嗣という犠牲を出した一方で、米山桜花を確保することができた。
「頼むよ。本当のことを言うと、私は宍戸が怖いんだ。坂上くんは町の問題の処理で手が離せないし、あいつと二人きりになるなんて絶対に嫌なんだ。だから、私を助けると思って、一緒に来てくれないか」
榊は部屋の入口に立ち、背中を丸めて懇願してくる。
自分は卑怯だ、と心の中で呟く。
榊は大人だった。自分が弱々しい人間だと示すことで、外に出る口実を作ってくれようとしている。
「すみません」と直斗はうなだれる。
本当に、自分が嫌になりそうだった。
宍戸はしおらしい態度を取っていた。
「ごめんよ、直斗くん。あの彼が、君の親しい人だなんて気づかなかったんだ。あの時はつい夢中になって、君の心を傷つけてしまった。どうか許してくれないか」
待ち合わせ場所の駅前に着くと、宍戸が先に来て待っていた。
「本当にすまなかった。あの時の僕は全然クレバーじゃなかった。なあ、許してくれないかい? 僕はこんな些細なことで君という友達をなくしたくないんだよ」
これは本当に謝っているのだろうか。
「そうだ直斗くん、僕の車の助手席に乗りなよ! ほら、これカッコいいだろ。アストンマーティンDB9だ! すっごくエレガントで、なんと295キロも出せるんだよ」
近くにとめてある車を手で示す。黒く平たいボディのスポーツカーだった。「二千万円もしたんだぜ!」と更に宍戸は付け加える。
「じゃあ、行こうか」
榊が静かに促し、直斗は彼の用意した白いミニバンに乗る。「ああいう車で山道走ると最低だからね」と榊はボソリと口にしていた。
シートベルトを締め、助手席に腰かける。サイドミラーを覗き込むと、宍戸がしょんぼりと自分の車に乗り込むのが見えた。
先日と同じ道を車が走る。目に入る風景は同じはずなのに、何もかも違って見える。
今日はやけに空が青々としていた。昼の少し前の時間帯で、雲一つ見当たらない。
ここには何も存在しない。人と人との確かな繋がりも、誰かに対する責任も。すべてがイージーにリセットできて、いくらでも修正も隠蔽も可能となる。
この青空は、そんな町の象徴のようだった。曇りも翳りも引き受けず、薄っぺらに青々と広がっている。
シートベルトを握りしめる。今すぐ全てを解き明かして、一刻も早くこの町から出る。
車は山道に通りかかった。昨日とまったく同じ道を進み、背の高い草に囲まれた一軒家の前に辿り着く。榊はそこで車を止め、直斗は外の空気を吸う。
宍戸も近くに車を止めた。車高の低さが災いしたのか、多少フラフラとしていた。
「では」と榊が目で合図し、先頭を立ってドアに向かう。草をすり抜けてドアノブに手をかけ、台所のスペースへと入る。老朽化した板張りの床を踏み越えて、あの『動物人間』のいる和室へと入り込む。
「おや、二人とも土足であがっちゃったのかい? せっかくスリッパを持ってきたのに」
背後から宍戸が声をかけてくる。この男だけは革靴を脱ぎ、モコモコとした青いスリッパを履いてきていた。
米山桜花は今日も畳みの上に鎮座していた。昨日と違うのは、和室の隅にコンビニ弁当のゴミがあることだけだった。
「オメデトウ、ゴザイマス」
榊が目の前で立ち止まると、桜花はまたペコリと挨拶をする。
「君は何者か」と榊が問う。桜花は先日と同様に「一羽のヒヨドリです」と答え、吉嗣に語ったのと同じ口上を繰り返す。
「ふむふむ。まさか本当に動物人間が実在したとは、なんとも興味深い話だ。有明氏は本当に、僕たちの一歩も二歩も先を行っていたようだね」
宍戸は自分の顎に手をかざし、しげしげと観察をする。
「では、どんどん質問していこう。この彼女と会話をしさえすれば、僕たちは『彼ら』が何者なのかの答えを得ることができる」
榊が隣で咳払いをする。あっさりと主導権を奪われて居心地悪そうにしていた。
もういい。こいつに勝手にやらせよう。
「ようし。では質問だ。ヒヨドリさん、お答えくださいな。君は、有明氏という人間に会ったことはあるね? その彼が君をその体の中に宿した。それは間違いないね」
宍戸は中腰になり、女の顔を覗き込む。女は微塵も動かず、「そうです」と答えた。
「素直でいいね。では次の質問だ。有明氏は君とここで会話をした。有明氏は君からどんな情報を引き出そうとしていたんだい?」
更に問い、宍戸は相手へ耳を近づける。
「死後の世界、というものについて問われました。生き物は死後、どのような場所へ行くのか。その問いを、あの方はずっと探究しておられました」
宍戸は体をまっすぐにし、得意げに微笑みかけてきた。
「では、また質問をするよ。有明氏は死後の世界を追求していたようだけど、君たち動物が人間を管理しようとしていたのも、死後の世界に関係することなのかい?」
女はまんじりともせず、正座を続ける。しばらく沈黙が部屋に続いた。
やがて、ゆっくりと唇が開かれる。
「はい、間違いありません」
動物人間ははっきりと、『彼ら』の正体を認めた。
「なるほど。それは興味深い話だ」
宍戸も満足げに嘆息する。
「じゃあ、続けて質問だよ。死後の世界とは、どんな場所なんだい? 生き物である君たちは死んだあと、どんな場所へ行くのだろう。ただこの世界をさまようのかい? それとも、この世界とは別のどこかが存在するのかい?」
興奮を隠しきれない口調で、動物人間に問いかける。
女の動きはまた停止する。軽くフリーズする感じに、数秒の沈黙が挟まる。
「光です」
ぽつりと口を開き、桜花は言葉を漏らした。
「大きな光です。それが、全ての始まりです。私たちは死後、その光の中へと還って行きます。それはとても温かなもので、人間の言葉で言えば、『天国』となります」
「それが、死後の世界なのかい?」
「そうです。死後の世界とは、光です。すべての魂の根源で、私たちの力の源」
宍戸は「うーん」と唸り、くるくると近くで人差し指を回す。
直斗も宍戸と同じように、腑に落ちない気持ちで天井を見やる。
死後の世界が光だという話は、スピリチュアリズムの世界などで出てきそうな話だ。新興宗教などが好みそうなイメージで、どうにもきな臭い感じが漂っている。
でも、それが真実なのだろうか。
ここで動物人間がそう語るということは、それが死後の世界そのものだというのか。
そしてその世界と動物たちの現状とは、一体どう絡んでくるのだろう。
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