2-4:ボッティチェリとの対話

 千晶には悪いが、忠告を無視することにした。


 この町に来て初めて、一人になる時間がやってきた。


 もう町の地理も大まかには頭に入っている。

 午後の三時半。ほのかに赤みがかった空の下、直斗は電線の上を見上げながら、帰り路を進んで行く。


 現在の自宅である梅嶋家への道の途中に、公営の運動公園がある。


 中央には陸上競技場があり、その傍らには屋内プールのあるスポーツジムが設えられている。競技場の近辺には噴水のある憩いのスペースが用意されていて、犬の散歩に来た老人などが腰を休めている。


 千晶からは、ここが『交信』の主な拠点であると伝えられていた。


 街路樹の植わった敷地内を闊歩し、頭上へくまなく目を走らせる。公園内にはチョコレート色の街灯が何本も立てられており、その真上に鳥が何羽かとまっていた。


 三分ほど歩いた段階で、ようやく目当てのものを見つけることができた。


『彼』は高所には身を置かず、木製のベンチの真上に体を置いていた。


 直斗はショルダーバッグを右手で押さえ、じっとカラスの姿を見下ろす。


「少し、話をしないか」

 間近に人の姿はない。ベンチの数歩先まで歩み寄り、直斗はカラスに声をかける。


 カラスは小首をかしげてきた。いつものように使者を寄越してくることはない。


「今もよく、状況が飲み込めてない。だから、もっと詳しく話を聞かせて欲しい」

 まずは理解が大事だと判断した。


 こいつらは結局なんなのか。なぜ特殊な力を持つに至ったのか。

 彼らは人間を管理すると言っているが、それは動物全体の総意なのか。


「どうして、人間を管理したいと思うようになったんだ?」

 意味がしっかりと通じるよう、ゆっくりと一語一語を噛みしめる。


「お前らは、人間が憎いのか? 人間が動物を殺すから、その復讐をしたいのか? 人間を管理するっていうのは、これから自分たちが世の中を支配したいってことなのか?」

 続けて疑問を投げかける。


「どうなんだ? どうして、人間は管理されないといけないんだ?」

 静かな口調で問いかけ、あとは黙って睨み据えた。


 カラスは身動き一つせず、ただまっすぐに見つめ返してきた。頭の中で何を考えているのか判断できない。


 だが、少しして変化は起こった。


 ボッティチェリはいつもと同じく黒い羽根を広げてみせた。そして小さくひと声鳴く。

 やがて、ゆっくりと足音が近付いてきた。


 夕日を受け、長く伸びた影がアスファルトの上に投影される。影はゆらゆらと近づき、直斗の影と重なり合う地点で立ち止まる。

 背後に誰かがいるのがわかる。だが、あえて振り向かなかった。


「カンリは、ヒツヨウです」


 今日はあの奇妙な挨拶は発せられない。


「なんで、管理が必要なんだ」

「アナタたちが、マチガッテいるからです」

 カラスは嘴を揺らし、質問に答える。


「どうして、間違っていると思うんだ」


 ボッティチェリは首をかしげた。


「ソンザイそのものが、オカシイ。だから、カンリが、ヒツヨウです」


「どう、おかしいんだよ。人間の存在のどこがおかしいのか、ちゃんと言ってくれないと対処のしようがないだろう」

 声を荒げないよう気をつけつつ、カラスに更なる問いを投げかける。


 だが、相手はまた不思議そうに目を向けてくる。


「オカシイものは、オカシイ、です。ワタシたちも、それがシリタイです。なぜ、アナタたちは、オカシイのか。それを、アナタたちに、オシエテほしい、です」


 笑いたい気分になってきた。


 人間がおかしいから、管理して正していくと言っている。

 でも、何がおかしいのかわからない。それを人間に調べてくれと言う。


 矛盾しているにも程がある。


「ワタシからも、シツモン、です」


 直斗は鞄を握る手に力を込める。しっかりと地面を踏みしめ、たしかに立っている感触を得ようとした。


「ワタシたちと、アナタたちは、いったい、ナニが、チガウのですか?」

 質問を発し、羽根を広げてくる。


 何、と呟きながら直斗は一歩相手に踏み寄る。無機質な瞳を覗きこみ、相手の真意を探ろうと試みる。


 動物と人間の違いは何か。


 それはおそらく、先程の会話と同じ内容の問いだ。人間は何かがおかしい。でも、それが何かはわからない。


「それは」と直斗は口を開こうとする。

 ボッティチェリは身じろぎをした。興味深そうにまっすぐ瞳を覗きこんでくる。


「それは多分、感情があるかどうかだよ。怒ったり、悲しんだり、誰かを大切だと思ったり。そういうところが、お前たちとは違うんだ」

 迷った末、そう答えた。


 直斗は瞬きもせず、ボッティチェリと睨み合う。カラスもまったく目を閉じようともせず、黒一色の目を見開いてくる。


 やがて、相手は小さく嘴を揺すってきた。


「リョウカイ、しました」


 言うなり、相手は小さくいななきを発した。それに連動し、背後の影が揺らめくのが感じられる。


 これで話はおしまい。

 そう告げるかのように、カラスは大きく羽根を広げ、空へと飛んで行った。

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