1-11:人類はもう、敗北してるんだ
この町の中には、既に厳密なシステムが幾重にも張り巡らされている。
この町ではとにかく、安全に『計画』を進められるだけの体制が作られているようだ。
動物たちの力を使えば、当然不穏な出来事が発生する。そうなれば当然不信感を抱く人間が出てくる。新聞記者や警察が動けば厄介なことになり、下手をすればこの町の異変が全国的に知れ渡る恐れも出る。
そうならないで済むよう、有明という男は徹底してシステムを構築したそうだった。
「東京の家族の方は、当面は会えないと思った方がいい。でも、学校の方は心配しなくてもいい。前にも学生がこの町に連れて来られたことはあったけど、その辺りもちゃんと手は打たれていたからな」
千晶は生活面の問題についても逐一語ってきた。
吉祥寺の学校の方では、担任や学校の事務の方に操作が加わり、直斗は転校したことになるそうだった。
家族は今も意識を操作されており、直斗という息子がいたことも記憶から消え、更に本人が近くにいても認識すら出来なくなっている。
「難しいかもしれないが、家族を元に戻したいなら、動物たちを納得させるしかない」
要するに、彼らの求める『管理』に対する答えを出すこと。それが実現できた時、晴れて自分はお役御免となり、元の日常に帰ることが許されるのだと。
「そうなんだ」としか直斗は返す言葉が見つからなかった。その場で浮かんでくる疑問があったが、それを口にするのはやめておいた。
それはきっと、聞けば虚しくなる質問だ。
これまでの二年半に、この町から出ることを許された人間はいたのかなど。
『里親』は、とても優しそうな人たちだった。
一通り町の中を案内され、夕暮れ過ぎの時間に当面の生活の場所へと連れて行かれた。
駅からの距離は大体二十分くらい。住宅街の一画に位置する一軒家で、庭付きの小綺麗な家だった。
二階建てで建物の色は白。頑丈そうな造りで、家の周囲は真っ白な塀で囲われている。数段の階段を上った先に玄関があり、茶色い扉には『梅嶋』と表札があった。
家の主人の名は
哲春は精悍な感じのする人物だった。眉毛が太く、額がとても広い。顎のあたりに不精髭が伸びていて、ポツポツと白い物が混じっている。話し方がゆっくりで表情は柔らかく、笑うと目尻にくっきりと笑い皺が刻まれる。
徳子の方もおっとりした女性で、灰色になった髪を後ろで一つに束ねている。目を細く、いつもニコニコと笑っているような顔をしている。
千晶と共に家に帰ると、二人はすぐに夕食を出してくれた。ケチャップピラフにハンバーグと、子供が好きそうなメニューだった。
彼らは千晶を息子だと思い、直斗はホームステイしている親戚の子供だと思っているらしかった。千晶と直斗は昔から仲が良く、何度も家に泊まりに来ていたと。
「あの夫婦の本当の子供は、もう随分と昔に亡くなってるんだ」
食事を終え、千晶と共に部屋へと入る。これから寝泊まりする部屋として、この家の子供部屋に案内された。
部屋の広さは八畳程度で、部屋の右手には木製の二段ベッドがある。その傍らには学習机が二つ並んで据え置かれていた。
二段ベッドの上の方に腰かけるなり、千晶はこの家の事情を語ってきた。
「なんでも、中学生の時のことだったらしい。水の事故らしくて、部活の仲間と川遊びに行って、そのまま二人とも帰らなくなったそうだ」
淡々とした調子で語られる。直斗は神妙に頷き、用意された二段ベッドに目を向ける。清潔そうな白いシーツが用意され、布団はまだ真新しく見える。
「まあ、気持ちはわかる。でも、すぐに慣れるさ。感傷に浸っていられるほど、俺たちは恵まれた人間じゃないんだからな」
二段ベッドの梯子に足を乗せ、千晶はしんみりとした口調で言う。直斗はそっと肩を落とし、心を決めて下のベッドに入り込む。
色々あったので、さすがに体は疲れている。それでも神経は高ぶっていて、すぐには眠れる気がしない。
掛け布団は柔らかい。でも、枕は少し硬かった。
時計を見ると午後の十時。「少し早いかな」と呟きつつ、千晶は部屋の明かりを消した。
「居心地は悪いかもしれない。でも、俺が提供できるのはこのくらいが限界だ。家族の件は辛かったと思うが、とにかくいつかは戻れるって信じるしかない」
頭上で布団を動かす音がする。ベッドに体を収めた後で、千晶が静かに言い含めてきた。
直斗はぎゅっと布団を握りしめる。何か返そうかと思ったが、うまく言葉は浮かんできてくれなかった。
「まだ気持ちの整理はつかないだろう。動物たちの侵略の手先になれって言われても、そうそう受け入れられるもんじゃないからな。だから最初は無理せずに、この町に慣れることから始めてくれればいい」
上のベッドから彼は静かに語りかけてくる。「わかった」と今度は小さく応えを返す。
「とりあえず、目立つ行動を取らなければ問題ない。ここで生き残るためのルールは三つだ。『絶対に動物たちに逆らわないこと』、『絶対に秘密を人に喋らないこと』、それから『動物の力を悪用しようとしないこと』だ。これだけ守ってれば、そうそうあいつらから粛清されることにはならない」
うん、と直斗はまた小声で返す。
「抵抗はあると思う。でも、割り切ってくれ。ここで何があっても、絶対に自分を責めないことだ。この町にはどうしようもないことがたくさんある。だから、何もかも抱え込んでたら、すぐにもたなくなる」
声は出さず、ただ首だけを縦に振る。千晶の声も少しずつ小声になってきた。
「とにかくもう、何もかも仕方のないことなんだ。人類はもう、敗北してるんだからさ」
最後に彼はそう言い、その後は何も喋らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます