1-10:世界が綻び始めた日

 町はとても平和だった。


 東京と山梨の境に位置し、三方を山に囲まれたなんの変哲もない田舎町。人口は一万三千人と小規模だが、人口分布に偏りはなく、子供の数も少なくない。少子高齢化の波をそれほど受けることもなく、それなりのバランスを持って自治体の運営も進められていた。


 何もない町。その一方で、特に悪くもない町。


 坂上千晶は生まれた時からこの町で過ごし、町の名士の息子として、年を取ってからもずっとこの町に住み続けるのだと考えていた。家は代々続く大病院で、将来は医者になって跡を継ぐことが期待されていた。千晶自身もそれが自分の人生だし、それできっと悪くないと思っていた。


 だが、ある時期から町の空気が歪み始めていった。


 最初に感じたのは、鳥の数の多さだった。


 中学校に通おうと早朝に自転車を走らせる途中、空が異様に黒いのに気づいた。鉄塔から伸びる電線も普段より太く感じられる。鳥たちが密集して空を飛び、時には大挙して電線の上にとまる姿は、まるで空の写真に墨の滴でもこぼしたかのようだった。


 町の空が汚れている。

 まだ日の昇りきらない灰色の空を見て、千晶はふとそんな風に感じた。


 それなのに、町はとても静かだった。カラスなどはゴミの日になると大騒ぎをするし、雀やヒヨドリだって数が増えると相当な音量の声を出す。しかし、鳥の数が普段の何倍にも増えているにも関わらず、鳥の鳴き声をうるさく感じることはなかった。


 彼らは集団で町にやってはきたものの、声を大にして騒ぎたてることはしない。ただじっと電線の上に集まって、頭上から町の様子を窺っている。


 一度気になり始めると、どんどん変な点が見えてきた。


 学校で授業を受ける間も、ベランダの縁にとまる鳩の姿が妙に目につく。いつもなら勝手に姿を現し、しばらく羽根を休めるとまた飛び立っていくのが普通だった。しかしこのところは縁の上をゆっくりと闊歩し、窓の中の生徒たちをじっくりと窺っているかと思しき態度を取ってくる。


 学校だけでなく、自宅の病院の近辺でも、そんな不穏な動きをする鳥が目立ってきた。


 その中で特に目を引いたのが、一羽のキジバトだった。


 灰色の羽根を持ち、首の回りだけがエメラルドグリーンに光って見える。外見的にはごく普通の鳩と変わらないが、行動パターンがどこかおかしかった。他の鳩と群れることなく、ただ一羽だけじっと電線の上にとまっている。家に帰ってくるといつも部屋の窓の外におり、外を歩く人々を観察しているのが感じられる。


 試しにパン屑を投げてみたが、鳩はまったく反応もしなかった。普通の鳩だったらここで確実に飛びついてくるはずなのに、食べ物になど目もくれない。


 千晶は鳩のことを『ウォッチャー』と名付け、その日から観察を続けることにした。


 ウォッチャーの方も、千晶が自分に注目していることに気づいたようだった。次第に相手は他の人間には目もくれず、千晶の周辺にばかり姿を現すようになった。自宅の庭にも入り込み、帰宅するのを待ち構え、扉の前までついてくることもしてきた。


「お前、本当にただの鳩なのか?」


 ある日、千晶は鳩に声をかけてみた。鳥に話しかけたって答えが返ってくるはずもないとはわかっている。それでも、日々の観察を続ける中でウォッチャーには人間と同様の知性が備わっていると感じられてきていた。だから言葉を喋れないにしても、何かしらのリアクションが返ってくるのではないかと思えていた。


 そして実際に、ウォッチャーは答えを返してきた。


「アナタは、とてもカンが、スルドイようだ」

 鳩が小さく羽根を広げた直後、そんな言葉が聞こえてきた。


 言葉を発したのは近くを通りかかった老人だった。背中の曲がった七十過ぎの老人で、よく千晶の家の病院に通っていた。塀の隙間から庭の中を覗きこみ、千晶の姿をぼんやりと眺めてくる。


 すぐに、老人が普通でないのにも気づいた。ウォッチャーもすかさず塀の上へと飛び、老人のすぐ間近へと移動してきた。


「アナタを、ダイヒョウに、スイセンしたいと、オモイマス」

 老人が続けて口を動かし、謎めいた言葉を発してくる。千晶は呆然とウォッチャーを見やり、言葉の意味を問う。相手はそれには答えず、「いずれ、ワカリマス」と言い置いて飛び去って行った。





 三日後、千晶は三人の人間と引き合わされた。


 場所は町外れにある小さな児童公園だった。千晶が足を運ぶと、中央にある噴水のところに三人の人間が集まっていた。


 一人は三十歳前後で長髪の男。目つきが鋭く、どこかギラギラとした光を放っている。青いジャンパーのポケットに両手を入れ、ニタニタと唇を歪めていた。


 他の二人はおどおどとした顔をしていた。片方は白髪頭で小太りの男。もう片方はスーツを着た会社員風の男。


 ウォッチャーの他、ヒヨドリや鳩やカラスが公園に現れ、千晶たちを頭上から見下ろしていた。そして先日と同じように意識を操られた人間を寄越し、四人に対してメッセージを伝えてきたのだった。


「アナタたちは、ニンゲンのダイヒョウにエラバレました」と。

 これから人間を管理する。そのために必要な方法を考えて欲しいと。


 他の二人はただ戸惑った顔をしていたが、長髪の男だけは面白そうに頬を緩めていた。男は動物たちの言葉に興味を示し、具体的に相手には何ができるのかと、その場で情報を引き出していった。


 その結果、動物たちには特殊な力があることが判明した。


「こいつは傑作だ」と男はかすれた笑いを洩らしていた。これから動物たちの手先になり、人間を裏切れと言われたこと。その話が愉快でたまらないという顔をしていた。


「言うまでもなく、これは絶対にここだけの秘密にしておかないとな」

 男はそう言って場を仕切り、千晶たちに歪んだ笑みを向けてきた。


 ひとまず、そこで四人は自己紹介をし合った。


 長髪の男の名は有明ありあけ拓郎たくろう。自分ではIT系ベンチャー企業の社長をしていると語った。

 白髪の男は田丸たまるひろし。画家をやっていると語ってきた。もう一人のスーツの男は川崎かわさきみつるという名で、職業はシステムエンジニアだとされた。


 この三人に関しては、第一印象が全てを物語っていた。


 有明は危険な感じのする男だった。職業もIT企業などとは名前だけで、実際には老人などに嘘の電話をかけては金品を巻き上げる詐欺行為を生業としていた。突然相手に電話をかけ、「おめでとうございます」と祝福を告げ、景品が当たったと嘘をついて強引に高額な品物を売りつけることもよくやっていた。


 有明は倫理の壊れた人間で、動物たちが人間を操れるという事実をただ面白がった。動物たちには何ができるのかを確かめるため、平気で人体実験も繰り返した。その結果として動物の精神操作は防ぎようがないことや、同じ人間に三回の操作を行うと心が動物のものになってしまうことも解き明かした。


 一方で、田丸と川崎の二人はいつも怯えていた。

 動物たちの手先になって人間を裏切るという感覚が、二人にはどうしても受け入れられなかった。事態を打破する方法を考えることもせず、ただ逃げることばかりを願っていた。


 公園で引き合わされた日から一ヶ月もしない内に、田丸は町から逃げようとした。その先で知り合った水商売の女性に動物たちの話を伝えたが、当然相手には信じてもらえなかった。それでもウォッチャーたちは事態を憂慮し、ただちに田丸を『粛清』すべき対象と判定した。


 逃亡してから三日後には田丸は町に戻り、以後は二度と人間の言葉を話すことはなかった。病院のベッドの上でいつも頭を抱えて丸まっており、まるで亀のようだと看護師たちからは噂されていた。


 川崎の方もどうにか助けを呼ぼうと信頼できる筋に事実を伝えようとしたが、結果は変わらなかった。彼も言葉と知性を奪われ、「チュウ、チュウ」としか口にしなくなってしまった。


 動物たちは常に四人の人間を『人類代表』として確保しておきたがった。田丸と川崎のいなくなった分はすぐに補充され、人間の管理の方法を考えるように言い渡された。


「どうやら奴らは、情報が漏れるのが嫌でたまらないらしいな」

 二人の失敗を見て、有明は愉快そうに分析していた。それならば自分たちのするべきことは定まってくるとし、町の中で実験を行う体制を強固なものにしようとした。


 有明は誰よりも熱心だった。動物のことを解明し、動物たちの力で何ができるかを徹底的に探ろうとしていた。彼自身も秘密を守ることを重要視し、自分たちの存在に気づきそうになった町民を見つけると、すぐさまウォッチャーに命じて相手の記憶を消去した。


 自分の探究の末に待っていることが、人類の損害になるとわかっていても尚、有明はまったく気にする風はなかった。


「仕方ないだろう」と有明は笑いを顔に張り付かせたまま、ある日語ってきた。

 何人かの人間を実験の結果として無為に死なせ、その光景を見ながら言ってのけたのだ。


「今更悩んでたってしょうがないだろう。人類はもう、敗北してるんだ」

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