1-9:侵略モデルケース

『彼ら』は喫茶店を普段の活動場所に定めていた。


 千晶はすぐに自分たちの本拠地に案内すると告げてきた。先頭を立って歩き、駅前の通りを進んで行く。煉瓦模様の舗道を踏み進み、信号を二つ渡って行く。


 花屋の建物の前で足を止め、傍らにある階段を上るように促してきた。少々傾斜の急なコンクリートの階段を上り、黒塗りのドアに手をかける。『CLOSED』と看板が出ていたが、千晶は完全に無視していた。


 店内はこぢんまりとしている。広さは大体八畳程度で、カウンターの他はテーブル席が二つ並んでいるのみ。

 窓が大きく、明るい雰囲気の店だった。テーブル席のすぐ脇に窓が付けられているため、二階から町の様子が見えるようになっている。


「そこ座れよ」と奥にある黒塗りのテーブルへと促される。左手にカウンター席があり、その奥で黒い前掛けをしたマスターがティーカップを磨いている。白髪頭に白い鬚で、縁の厚い眼鏡をかけていた。愛想はなく、客である千晶たちが入ってきても特に挨拶もない。


「とりあえず、最初にゆっくり食事でもするといい」

 奥の席に座るように示し、千晶が椅子を引いてくれる。「ありがとう」と小声で礼を言い、直斗は座席に腰を下ろす。


 案内された席には、もう一人先客がいた。直斗は向かい合う形になり、どう声をかけたものかと言葉に迷う。


 目の前にいるのは四十歳前後くらいの男だった。銀のフレームの眼鏡をかけ、全体として丸い顔をしている。猫背気味で肩は小さく、どことなく貧相な感じがする。


「紹介する。こちらはさかき英彦ひでひこ先生。大学で民俗学の研究をしている。肩書きとしては准教授、でしたよね」

 千晶は男の隣に腰を下ろし、軽い手振りを加えて紹介する。


「榊だ。半年ほど前から、この町で活動を続けている。大変だと思うが、頑張ろう」

 低めの声で自己紹介をされる。「瑞原、直斗です」と続けて自分の名前と年齢を告げ、ただぼんやりと榊や千晶に目線をやる。


「ひとまず何か頼むといい。あの時間に連れて来られたんじゃ、多分朝飯もまだだろ?」

 千晶は店のメニューを手渡してくる。


「一応言っておくけど、マスターには俺達の話は聞こえないから、その辺は特に気にしなくていい。もちろん金のこともな」

 注文を出し終えると、千晶はマスターを一瞥して説明する。


 どういうことか、と一瞬疑問が浮かんだが、すぐに大体の察しはついた。


 ここにいる三人は例のカラスに集められた人間。だから自然と、あのカラスの力が及んだ環境が身近にある。


 間もなく注文したサンドイッチと共にコーヒーが運ばれてくる。気持ちを和らげるためにも砂糖とミルクを多めに入れ、直斗は喉を潤した。


「じゃあ、改めて本題に入ろうか」


 サンドイッチを一つたいらげたところで、千晶はテーブルに両手を置く。直斗も居住まいを正し、彼の顔に真っすぐ向き合う。


「元いた場所でどれくらいの経験をしたかは知らないが、一応説明しておく。最近は世の中に変な動物が現れるようになった。お前を連れてきたボッティチェリはその一体だ」


 ボッティチェリ、と直斗は言葉を繰り返す。そういう名前の画家がいた気がする。


「ああ、悪い。ボッティチェリっていうのは、お前を案内してきたカラスのことだ。俺たちは一応あいつをそう呼んでる」

「そうなんだ」と呟きを返す。


「まあ、それはどうでもいいんだがな。とりあえずあいつらには、かなり厄介な力がある。それで人類をどうこうしようと考えてる。かいつまんで話すと、大体そんな感じだ」

 千晶は軽く目を細め、大まかな事情を語ってきた。


 とりあえずの知識の確認として、あのボッティチェリというカラスがどんな存在なのかを語られる。


 よくわからない力を持っていて、自在に人間の意識を操ることができること。距離や対象人数、命令内容などにもこれという制限がないこと。しかし、一人の人間を操れるのは二回までで、それを越えると人間の心が動物化してしまうこと。


 そして、何かを伝えたいと思うときには『使者』となる人間を見繕い、その相手に自分の言葉を代弁させてくること。


「奴らの正体まではよくわかってない。でも、あいつらは自分が力を持っていることは十分把握している。その力を使って、これから俺たち人間を支配したいと考えている」

「やっぱり、そういうことなんだ」


「残念なことにな。とにかくあいつらは、人類を侵略するだけの十分な力を持っていて、最低限の知性も持ち合わせている。そしてある日突然、これから自分たちが人類を支配して管理しようという願望を抱くようになった。それが現時点での概要だ」


「そして、私たち四人が出てくるわけだ」

 隣の席の榊が補足する。「四人?」と直斗は問い、店のマスターを振り返る。


「そう。あいつらは侵略するだけの力と知能を持っているが、断然人間に関する『知識』がない。言葉のやり取りはできても、基本が別の生き物だからな。人間の物の考え方とか価値観とか、あと感情なんてものがよく理解できてない。だから、あいつらは独自に侵略することは非効率だと考えるようになった」

 千晶もマスターの方を一瞥し、榊の言葉を継ぐ。


「多分、あいつも直接言ってきただろう。『人間の代表』を選んだってな。そうやってあいつらは人間の中からこれはと思った奴を選んで、自分たちの行う侵略と支配の手伝いをさせようとしてる。言ってみれば、武力で勝利した相手に対して、『どのように支配されるのが幸せか決めておけ』って言ってるようなもんだな」

 小さく肩をすくめ、力のない笑いを洩らしてくる。


「でも、どうして僕がそれに選ばれたんだろう」

 状況が整理されると共に、ようやく一番の疑問が思い浮かんだ。


「それはまあ一応、ひらたく言えば『補充』だな」

 千晶は口元から笑みを消し、隣の榊に目配せをする。民俗学者だという男もこっくりと頷きを返していた。


「少し前に俺たちと一緒に行動してた奴が、ちょっと『失敗』してな。それで脱落することになったから、補充が必要になったんだ。それがどうしてお前だったかっていうと少し難しいんだが、とりあえず運が悪かったとだけ考えておいた方がいい」


 声から同情の色が窺える。「へえ」とだけ気のない返事を返し、直斗は肩を落とす。


 千晶は軽く流してきたが、『失敗』とか『脱落』とか単語が引っかかる。


「あいつらはなぜか、常に『四人ひと組』で自分の手先を用意しておきたいらしいんだ。二年半前にあいつらがこの町に現れた時も、選ばれたのは四人だった。もう何回もメンバーが入れ替わってるが、常に四人分だけ席が用意されるようになっている」


 右手の親指を曲げ、千晶は『四』の数字を示す。「ちなみにマスターは四人目じゃないからな」と補足もした。

「少しあってね。今はちょっとここに同席できない状態なんだ」

 榊が横から付け加える。「そんなところだ」と千晶も軽く話をまとめた。


「なるほどね」と直斗は眉を下げる。


「この町は、あいつらにとっての『モデルケース』みたいなものなんだ。基本的にあいつらはこの町の外では行動しない。お前の時みたいに外から新入りをスカウトする時は別だがな。まずはこの小さな町を完全に支配してみて、人類を統制するにはどんな手法を取ったらいいかを手探りしている。そう考えてくれればわかりやすいだろう」

 理路整然と千晶は解説する。


 おかげではっきりと、自分の立ち位置がどんなものかを知ることができた。

 自分がこれから人類を裏切り、あらぬ存在に売り渡す『手先』になるのだと。

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