1-7:ニンゲンのダイヒョウ

 あれはやはり、自分のせいだったのだろうか。


 家に戻ってからもずっと、震えが止まらなかった。

 部屋に籠もるなり布団を頭から被り、直斗は必死に体の震えを抑えようとした。眠ってしまえば楽になれるかと考えたが、頭の芯が熱を持ってしまっているようで、目を閉じても少しも意識が休まってくれない。


 何度も何度も、教室で目にした出来事が脳内でリフレインを続ける。

 あの後は逃げるように教室を離れてしまったから、何が起こったのかわからない。クラスメートたちは元に戻ったようだが、芳市は多分現在も動物になったままのはずだ。


 あそこで自分が言わなければ、きっとクラスメートらは救われなかった。芳市もきっと暴走を続けた。でもだからと言って、これが正しい結末だったのか。


 そして、と考えを続けながら直斗は毛布を強く握りしめる。カラスが飛び去っていく光景が浮かぶ度に、どうしても一つの疑問が浮かんでくる。


 これで、何もかもが終わったのだろうか。





 いつの間にか、眠りについていたらしかった。

 目覚まし時計は鳴らない。それでも朝の六時には自然と目が覚めていた。


 昨日は制服のままベッドに入り、そのままずっと過ごしてしまった。シャツが少しだけよれてしまっている。すぐにそれだけ着替え、新しい半袖シャツに袖を通す。


 姿見の前で髪の毛だけ整え、直斗は一階へと降りていく。部屋のドアを開けた瞬間に、香ばしいパンの匂いが漂ってくる。今日もハムエッグトーストのようだ。


「おはよう」と普段通りを装って居間へと入る。白いテーブルを囲み、父も母も妹も既に集まっていた。紅茶を片手に妹がトーストを口にする姿が見える。


「あれ?」とテーブルの前に来たところで直斗は声をあげた。傍らの母に視線をやるが、こちらには一瞥もくれようとしない。


 なぜか、朝食は三人分しか用意されていなかった。


 時計を見るが、寝坊したわけでもない。昨夜は確かに話もまともにしなかったが、朝食を作ってもらえなくなるようなこともした覚えはない。


「僕の朝ごはんは?」言いながら台所の方を覗く。コンロの上には空っぽのフライパンが置かれているだけで、作り置きの食事は見当たらなかった。


 母も父も、まったく応えようとしない。黙々と食事を続けるのみだった。


「お母さん?」と声をかけるが、やはり反応は返ってこない。トーストした食パンを片手に食事を続けるのみで、息子の存在そのものが見えていないようだった。


 まさかな、と頭にふとよぎるものがある。だが、すぐに打ち消した。


「ねえ、お母さん。聞こえてる?」

 何かの間違いだと思いたい一心で、母の肩に手をかける。小さく揺すってみせるが、それでも母は反応しない。ただうるさそうに肩を揺するのみで、声に応えようとしない。


「どうした?」

 向かいの席の父が顔を上げる。


「いや、お母さんがさっきから無視して……」

「なんか、肩が重いのよ」


 自分に言ったと思い、安堵して言葉を返す。しかし、父の目は自分を見ていなかった。母も肩をなおも動かし、違和感があることを告げてくる。


「幽霊かなんかに取り憑かれたんじゃない?」

 父の隣で珠希が笑う。「そうかもね」と母も笑い返し、不思議そうに首を左右に揺すった。


 直斗は呆然と隣に立ち尽くす。母の肩に手を触れるのはやめ、三人が食事をする様をその場でじっと見下ろした。


 上体が揺らぎ、咄嗟にその場でたたらを踏む。ひとつの可能性が頭に浮かんだ瞬間、急に目の前がぼやけてきた。

 頭の中から血の気が引いていくのと同時に、体の芯からは嫌な寒気が込み上げてくる。頭を巡っていた血液の代わりに、冷気が脳内を侵食していこうとする。


 耐えられず、直斗は食卓を後にした。よくわからないが、ここにこれ以上いてはいけない。すぐにでも外へ出て、誰かにこの事実を伝えようと思った。


 そうして玄関へと向かおうとした時だった。


 唐突に、チャイムが鳴らされた。一回では終わらず、続けて何度も何度もせわしなくチャイムが押し続けられた。


「なんなんだよ」と呟き、直斗は玄関と居間のドアを見比べる。


 内側から鍵を開け、ゆっくりと鉄の扉を押し開ける。

 その先に待っているのが何者なのか、見てみなくても想像はついた。


「オメデトウ、ゴザイマス」


 予想した通りの『挨拶』が、ドアの隙間から発せられた。

 咄嗟に息を呑み、来訪者を見つめ返す。


 今回は見覚えのある人間だった。よく家の前を通るサラリーマンで、年齢は二十代の半ばくらい。背は低く、顎のところだけかすかに鬚を伸ばしている。


 黒いスーツを着た彼の右肘には、同じく黒い一羽の鳥が座していた。

 カラスが小さく頭を揺すった。


「アナタは、『ニンゲンのダイヒョウ』にえらばれました」


 焦点の定まらない目を向け、男はメッセージを再生する。直斗はドアノブを手で押さえたまま、男とカラスの顔を交互に睨む。


 どういうことか、と考えをまとめる前に、男は続けて伝言を再生していった。


「これから、ワタシたちとイッショに、きてください」

 カラスが嘴を巡らし、直斗に言葉を伝える。


「ワタシたちは、ニンゲンを『カンリ』することにキメました」

 無機質な声が続く。


「ですが、ヤリカタがよくわかりません。ダカラ、アナタたちにヤリカタをおそわりたいとオモイます。どうすれば、ニンゲンをうまくカンリできるのか、イッショにかんがえてください」


「かん、り?」

 直斗は呆然と言葉を繰り返す。


 今、たしかにこのカラスは、明確な目標を口にした。

 あまりのことで、頭が理解を拒否している。


 ただわかっているのは、今起きている出来事が『最悪』なものだということだけだ。

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