第四十話:ヘエルの懺悔

 寮の部屋の中に一人、私はベッドの上で苦しんでいます。

 使用人も追い出して、誰にも声は聞こえない、誰の声も聞こえない。そのはずなのに、私の耳元では囁く声がある。


『我を求めよ』


 どこに行ってしまったのですか。どこに消えてしまったのですか。コルニクス。

 フェレスさんは心配ないと言っていましたが、どこにも見当たらないという事実が、傍にいてくれないという事実が私の心を蝕むのです。

 何日も私に黙って留守にして、従者としての自覚が足りないどころの話ではありません。

 私が貴方を置いて町に出ていたのが問題だったのですか? 私が悪いかったのですか?

 助けてください。貴方がいないと声が聞こえるのです。声が、耳から離れないのです。


「違う、違います。私はそんなつもりじゃ……」

『欲せよ』


 あの決意した日から、この声は私の元に届くようになりました。

 最初のうちは気のせいだと思っていました。気のせいだと思えば気にならない程度の微かな声でした。

 ですが、日を追えば追うほどに、貴方を思えば思うほどに、声は大きくなっていくのです。


『求めよ。求めよ』

「うるさい、うるさい、うるさい。私は違います」


 私は私の意思で、コルニクスを手に入れると決意したのです。決して、この声に囁かれたからではないのです。

 私は手段を選んでられないほど弱いのはわかります。でも、私はそこまではやることを望んではいなかった。

 声が無視できないほどに大きくなったのは、上手く行ってしまったからです。声が望んだ通りに絵をかいて、描いた絵の通りに話が進んでしまってからです。


『求めよ』

「違う、私はそんなつもりじゃ」

『求めよ』


 コルニクスが撫でてくれた感触が、かけてくれた言葉の暖かさが、未だに感触として残っている。嬉しさがとめどなく溢れて、もっと欲しくなって止まらなくなる。あれが夢だというのなら、二度と目覚めなくてもいいと思えるほどの快感でした。

 私は知ってしまった。知ってしまいました。

 だから、求めずにはいられない。


「コルニクス、どこにいるんですか。どこに行ってしまったんですか」


 この声も、満たされているうちは聞こえない。乾いて、飢えて、焦がれてしまうから無視できない。

 頭がおかしくなりそうです。理性が保てなくなりそうです。獣のように、欲望のままに振舞ってしまいたい衝動に支配されそう。


「貴方がいないと、私は、私は……」


 声を無視して眠ることすら恐ろしい。

 最近同じ夢を見るのです。全く同じ、この声が聞こえる夢を。

 夢の開始は、下へと続く石の階段がある通路を下るところから始まります。私はもちろんそんなところに見覚えはありません。知らないのに、凄く先に惹かれるものがある気がして、夢の中の私は階段を下るのです。


 階段を下りきると、そこもまた石で作られた大きな部屋に出ます。

 部屋の中央には台座があります。台座の周囲には赤、青、緑、黄の四つの色に輝いた石が安置されており、それらから放出される障壁に台座は守られています。。

 台座の中央には、深紅に染まったひと際美しい石が置いてあります。その石から、この声が聞こえてくるのです。


『欲せよ。求めよ。我を求めよ』


 夢の中の私はすごくその石が魅力的に見えて仕方がありません。

 手を伸ばすと、障壁に一度手をはじかれます。障壁はものすごいエネルギー量で、生中なことでは突破することもできないでしょう。

 少し観察すると、それぞれの色が魔法の四属性を表していることが分かります。火、水、風、地の四属性がそれぞれを補完するように防壁を作り出しているのです。


 この障壁を破るためには、この四属性以外の力が必要なのだと石は語ります。

 だからこそ、私にはこの石を手にする資格があるのだと、権利があるのだと語ります。

 夢の中の私は、その声に誘われるままに障壁に光の魔力で打ち破り――決まってそこで夢は覚めるのです。


 たかが夢だと思えたのならいいでしょう。

 何日も何十日も続けて同じ夢を見て、全く同じ朝を迎えるあの感覚を、私はなんと表現したらいいのかわかりません。

 枯れかけた花が水を求めるように、私は貴方を求めざるを得ないのです。コルニクス。

 朝起きて、焦がれて、貴方がいて、初めて私は私でいられたのです。気が付くまで時間がかかった愚かな回答ですが、そうだったのです。


「もし、もしも」


 ああ、駄目だとわかっているのに。そちらへ傾いてはいけないと理解しているのに。


「あの日と同じように、私が危機に陥れば――」


 貴方は助けに来てくれますか? また、同じように優しい言葉をかけてくれますか?

 一度思考が揺れてしまえば、もう逃げられない。声は私を捕まえて、いつかと同じように囁きます。

 これこそが正しいのだと。そうすれば望みは叶うのだと。私が逃げられない様に優しい口調で、私が忘れられないほど甘い言葉で。


 ああ、神よ。偉大なる神よ。私のこれを悪徳と言わずしてなんというのでしょう。

 ああ、神よ。私のこの悪徳が正しく許されないのならば、裁かれるのならば。

 どうか彼の手によって、裁かれますように。

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