第二十六話:導くものとして
「それで、俺に話ってのは何なんだ」
教師たちが用意していた休憩場の椅子に座って、俺は学園長と机を挟んで向かい合う。
教師どもの中には俺の態度に眉を顰める奴もいるが、今更だ。路地裏出身のガキに過度な礼儀を求めるな。
「いえ、ね。一教師として、貴方と話したいとずっと思っていましたよ」
「生徒でもないのにか? 職務に熱心なんだな」
「でなければ学園長という座になんて座っておりませんね」
にこやかに笑う目の前の爺さんは、確かに老獪そうに見える。
きっと俺が想像もできない年月の積み重ね方をしてきたのだろう。
そんな人物が俺に言いたいこと? 一体何が言いたいというんだ?
「貴方は最強になるとずっと言ってるそうですね」
「そうだな。俺は最強になる男だ。まだ勝ててない奴がいるから最強でないだけで、いずれはそうなる」
探るような当たり前の質問から入ってくるか。本当に何を考えているんだ?
「では、最強になった後は何をするおつもりですか?」
「……何?」
最強になった後、何をするかだと? そんなもの――
ふと、トートゥムの言葉が脳裏をよぎる。『強いだけではどうにもならないこともあるんだ』といった時のあいつの表情が。
「力を求める。それ自体は簡単です。でも、貴方はその力をどこへ向けるおつもりで?」
「そんなもの、決まっているだろう。最強になれば、思い通りにならないことなんてない」
「では、貴方は何が欲しいのですか? 力を欲するのは良いでしょう。そのあとは?」
最強になった後、何を欲するのか?
考えたこともなかった。最強になれば何も奪われない、権利をはく奪されない。それだけの思いで、俺は最強を目指している。全ては自分自身のためだ。俺自身を守るためだ。
路地裏ではそれが当然だったから――今はどうだ?
「……はっきりと言う。わからん」
「わからない、とは」
「俺は他の生き方を知らん。今更、別の何かを考えろと言われても、考えられん」
そうだ。他にどんな生き方がある。
俺は路地裏で生まれ、路地裏で育った。今更生き方など変えられん。
俺は最強になる。誰にも奪われないように、誰にも脅かさないように。
「でも、このやり取りでわかったことはありますよ」
「なんだ。この程度で何がわかったというんだ」
「コルニクスという人物は、少なくとも人の話を聞いて考えるだけの優しさがあるということです」
満足げに目の前の老人が笑う。慈悲深く、自分の孫を見るかのような眼で俺を見る。
「本当に噂のような傍若無人な人物であれば、最初から私のいう事を老人の戯言と切り捨てていたでしょう」
「……どうだろうな。ただの暇つぶしか、気まぐれかもしれんぞ」
「そうだとしても、貴方は私の言葉の意味を考えてくれた。その行為自体に、意味があるのですよ」
——ああ、不愉快だ。全てを見通されてるような気分になる。
酒場の爺と同じ目だ。俺を見るその視線が同じものをしている。
お前らが俺の何を知っている。俺でさえ知らない何を知っている。
「お前らに何がわかる……っ!」
心の底から不愉快だ。何が優しさだ。そんなもので何が救われる、何が助かる。
「意味なんてどうでもいい! 俺は最強になる、それだけでいいだろう!」
「意味なき力は、ただの力でしかないのですよ」
「それがどうした! 力は力だ! 何も変わりはしない!」
そうだ、力は力だ。力さえあれば何でもできる。全てをねじ伏せるだけの力さえあれば。
「強いだけではどうにもならないこともあるんですよ」
瞬間、俺の思考が止まる。
なぜ――今その言葉が出てくる? トートゥムと同じことをなぜお前が言う?
お前らは何を知っている? 何を見てきた。何を思ってそんなことを言っている。
わからない。理解ができない。
前世の愚かな男の顔が浮かぶ。何も守れず、全てを失った愚かな男。力がなかったからそうなったんだ、力さえあれば何もかも違ったはずだ!
「——極めて、不愉快だ。お前らに、俺の何がわかる」
「いいえ、あまり。けれど、わかることはあります」
「……なんだ」
「貴方は貴方が思っているよりも、恵まれているということですよ」
恵まれている? 俺が? 路地裏の、ただのガキが?
それは、路地裏の弱者どもと比べればそうだろう。俺は強くなれる素質があった。そこは恵まれてるかもしれない。だが、他の奴らと比べてどうだ? ヘエル、フェレスと比べてどうだ?
俺は、俺はどうだ?
激昂して叫ぼうとした瞬間、俺の手元に置いてあった鈴が鳴る。
鳴るはずのない鈴が鳴ったことで、俺の頭は瞬時に切り替わる。戦闘時の、冷静なそれに。
「ここでお前と言い争っている場合ではなくなった。行かせてもらうぞ」
「どうぞ。生徒に大事があってはいけませんからね」
ただし、と目の前のいけ好かない爺さんは付け加えた。
「最後に覚えておいてください。本当に行き詰った時には、周りをよく見てみることですよ」
何の意味があるかもわからない助言を聞き流し、俺は魔境へと足を踏み入れた。
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