第二十話:怒らせると怖い女

 ……先日から、ヘエルの様子がどことなくおかしい。

 俺の言う事を真に受けたのか、大分、いやかなり大人しくなった。

 正直調子が狂う。うるさいよりかはましかもしれないが、静かなのも気になってしまう。


「ヘエル、どこか調子でも悪いのか?」

「いえ、そんなことはありませんよ?」

「そうか。なら、いいんだが……」


 普段ならば俺が心配の言葉でも投げかけようなら嬉しそうに飛びついてくるもんだが、何やら素っ気ない。

 俺が何かしたか? 機嫌を損ねるようなことをしてしまったか?


「コルニクス! 今日こそは――ヘエル・アストレア。どうしたのですか?」

「いえ、別に。何もありませんよ?」

「ほ、本当に? 今日は何も言ってきませんか? どこか具合でも悪いのですか?」


 同性であるオペリオルから見てもヘエルの様子はおかしいらしい。

 本当に微妙に欠片でも残っていた、俺の気のせいという可能性はこれで消えた。

 オペリオルはそっと俺を手招きして、ヘエルに聞こえないように小声で囁いてくる。


「お前は一体何をしたのですか。相当怒ってますよあれ」


 俺もヘエルに聞こえない程度の小声で返す。


「やっぱりそう思うか。……まずいか?」

「まずいですね。相当」


 小声でささやき合っている俺たちを見て、ヘエルがふんわりと笑った。


「お二人は仲がよろしいですね」


 背筋が凍るほど優しく柔らかい一声だった。


「きょ、今日のところは失礼しますね。また日を改めさせてもらいます」

「はい、ごきげんよう」


 逃げないで欲しいと思ったが、もう遅い。オペリオルはさっさと走り去ってしまった。


「他意はありませんよ。安心してください」

「いや、その、ごめんなさい」

「どうしてコルニクスが謝るのですか? 何か悪いことをしたのなら、一緒に謝りに行ってあげましょうか?」


 いや、怖すぎる。あまりにも怖すぎる。これ以上の恐怖体験を俺はしたことがない。

 今にも逃げ出したいが、今逃げ出したらさらに悪化する気がする。俺の直感が言っている。ここは耐えないと後がない、と。路地裏で培った直感だ、馬鹿にできない。

 何か話題を用意しろ俺。何かないか、何か――


「そ、そういえば近いうちに初の魔境入りだな」

「そうですね。護衛としてコルニクスには着いてきてもらいたいのですが、生徒の方々にもパーティを組むためにお声がけしないとですね」

「フェレスたちとはどうだ? 面識あるし、やりやすいんじゃないか?」

「——いいかもしれませんね。お願いしてみましょう」


 間が怖い。セーフか? アウトか? わからないのが本当に怖い。

 誰か助けてくれー。フェレス、バルバ、イレ、誰でもいいから助けてくれ。幾らでも稽古つけてやるから。


「オペリオルさんにもお声かけするとしたら、生徒は五名でしょうか。できればもう一人くらい欲しいところですね」


 何事もなく会話が続いている。よし、今のところ大丈夫そうだな。

 グッドコミュニケーション! 多分!


「あー、前衛二人の中衛一人、後衛二人か。バランスとしては悪くないな」

「私は支援と治癒がメインとなってしまうので、もう一人の方は攻撃できる方が良いでしょうか」

「いや、そうとは限らないんじゃないか。どちらかというと必要なのは斥候だな」

「斥候……?」


 魔境において本当に恐ろしいところは、これまでに通った道が安全とは限らないことだ。

 ゲーム的にはランダムエンカウントとして済まされていたが、要は帰るときにも敵に会う危険性があるというのが魔境の最も恐ろしいところだ。撤退の判断をするときには、帰りの戦闘の可能性も考えて余力を残しておかないといけない。

 これが不慣れだと余力をなくしてから撤退の判断をして、帰り道で魔物に出会ってやられてしまうという目にあってしまう。


 ならば、魔物がいるかどうかを予め察知出来たらどうだ? 魔物に会わない道を帰り道に選択出来たら? 無事に生還できる可能性は格段に上がる。その役目を負うのが斥候だ。


「火力は十分ある。前衛も、まああの二人なら低級の魔境なら問題ないだろう。なら、後は安全性の確保が課題だ」

「安全の確保、ですか。私の魔法も無限に使えるわけでもないですものね」

「ああ、だから俺なら斥候役を一人入れる。火力も支援もできなくてもいい。なんなら斥候以外の役目は期待できなくとも価値がある」


 俺は一人で全てこなせるから必要ないが、初心者ならば必要だろう。

 実際原作メンバーの残りの一人は斥候だったはずだ。


「心当たりはあるか?」

「……お一人、思い当たる方がいます。けれども、彼が受けてくれるかどうかまでは」

「試しに声をかけてみたらいいんじゃないか? 声をかけるのはただだろう」

「そうですね。そうしてみることにします」


 よしよし、上手く会話が続いているぞ。

 まだ背を冷汗が伝っているが、少しは雰囲気が柔らかくなった気がする。


「ありがとうございます。やっぱり、経験者がいると違いますね」

「そうか、それは良かった」

「ええ、頼りにしてますよ。……コルニクスは私の従者ですからね」

「そうだな」


 そう答えた瞬間、これまでのように勢いよく反応をされた。

 ヘエルが何かおかしなものでもみたかのような顔で、思いっきり俺の方を見てくる。


「なんだ、なんかおかしなことでも言ったか?」

「——いいえ、何も」


 ヘエルがちょっとだけ普段の様子に戻った様子で、俺はひとまず胸を撫でおろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る