第四話:ヘエルの内心


 私は不安で不安で仕方がありませんでした。


 お父様やお母様、家来の皆様方に不満があるわけではないのです。

 ですが、彼らは私だから愛してくれているのだろうかと思うことがあるのです。私ではなく、お父様の娘だからこそ私は愛されているのではないのだろうか、と。

 例えば、私がもっと悪い子だったとしても、何も変わらないのではないかと。

 私は私に自信が持てなかったのです。


 外の世界を知りたくなったのはそんな疑いを持ち始めた時でした。貴族ではなく、一市民であればこんな考えを抱かずに済んだのでしょうか。違う形で生まれ、違う形で生きていれば不安にならずに済んだのでしょうか。

 私が連れ去られてしまったのは、そんな疑いを抱いたせいでした。


 言いつけを破り、こっそりと家を抜け出したところで私は捕まってしまったのです。

 外の世界を見たいと言えば、きっとお父様たちは許可してくれたのに。私が自分の衝動を抑えきれずに動いてしまったばっかりに。

 私のせいで何もかもが悪くなるのです。私のせいで、みんなに迷惑をかけてしまうのです。

 私は何もしない方が良かったのです。私が考えていたことが間違いだったのです。

 そんなことを考えてしまいました。


「……クソったれ。こんなことなら奪うんじゃなかった。どうしろってんだよこれを」


 自己嫌悪に苛まれている最中に光が差し込みました。薄暗い路地裏で、一人の男の子が袋の口からこちらを見ていました。


 彼と目が合った瞬間に、彼の事が知りたいと思いました。

 黒い髪の中に赤い瞳が輝いていて、美しいと思いました。見た目はみすぼらしくとも、立ち居振る舞いにその気高さが満ち溢れていました。

 話をしてみて、そのあり方が好ましいと思いました。

 一人で生きている人。一人で生きていこうとしている人。私にはできない、強く生きられる人。


 話をしてみると、口調は強いものの私の事を決して無視はしませんでした。

 本当に私の事が嫌なら放っておいてどこかに行ってしまえばよいのに。わざわざ会話をして、わざわざ目を見て話をしてくれる。

 私を一人の、ただの人として見てくれている。そのことが嬉しくて、もっと話をしてみたくなったのです。


 でも、私がこのままでいると、彼に迷惑をかけてしまうかもしれません。私は一度帰らなければなりませんでした。

 心地が良いからと言って、彼を一緒にいるともし見つかった時に勘違いされてしまうかもしれません。それは本意ではありません。

 そんな時、彼のお腹の音が鳴ったのです! これはチャンスだと思いました。


「私、少しばかりお願いがございまして」


 打算的ではしたないですが、きっと彼は提案に乗ってくれるだろうと思って言いました。

 なんだかんだ、理由さえあれば彼は話を聞いてくれるだろうという確信がありました。

 お腹が空いているのなら食べ物と引き換えにすれば――と思っていた私は浅はかでした。

 彼が求めたのは、アストレア家で最も強い人を連れてくること。彼の目に映っているのは強い飢えでした。何かを必死に求めている人の目でした。

 余計に彼が欲しくなりました。私にはない熱量を持っている彼が、欲しくなりました。

 彼を手に入れられれば、私も私に自信が持てるような気がして――



 お父様に無理を言ったのは初めての事で、お父様もお母様も大変驚いたみたいです。

 最初は路地裏に関わるなと言って、いい顔をしてくれませんでしたが、私がどうしても折れないことを知ると条件付きで了承してくださいました。

 条件は二つ。彼が庇えないような問題を起こしたらきちんと見捨てる事、学園に通うまでの二年間の間に彼を人前に出せるぐらいまで教育すること。

 私は二つ返事で承諾しました。その程度のことで彼が手に入るならば、安いことだと思ったのです。


 結果として、彼は我が家に迎え入れられました。私の従者として、恥ずかしくないように勉強もしていて、今は結果を待っている最中です。

 私のいう事は話半分にしか聞いてくれないので、トートゥムにお願いして言うことを聞かせてもらっています。今のところは。

 学園に通うまでには私のいう事を聞いてもらえるように頑張っています。トートゥムのいう事しか聞かないなんて、まるで主人がトートゥムみたいで不公平だからです。私が見つけて、私がお願いして迎え入れてもらったのに。


 私が彼に何か言うと、彼は全く同じことを繰り返し言います。それこそが彼の強さの秘訣なのでしょう。

 彼は言います。「強くなければ選ぶ権利も得られない」と。

 私にとっての強さとは何なのでしょうか。私は彼のように戦うことはできません。できる事はせいぜい勉強して学んだことを披露することと、彼の側にいることぐらいです。

 彼は言います。「本当に俺を従えたければ、俺よりも強くなって見せろ」と。

 私が彼よりも強くなることなんて本当に可能なのでしょうか? 彼と一緒にいれば私も強くなれるのでしょうか?


 もし、もし出来たのなら……あなたは本当に私のものになってくれますか?

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